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グッバイ お酒           まもる

2010年10月05日 14時42分17秒 | Weblog
女狂いと酒狂いは同じなのか違うのか知らないが、果ては狂い死にするのは確からしい。

 私は女に縁がないから女狂いはない。

 しかし、酒狂いは人後に落ちなかった。

 おかげで、狂い死にするところであった。

 退職後の七年間の断酒もクラス会の一杯の冷酒で絵に描いたようにフラッシュバック。

 一年後、案の定 狂い死に寸前に至り、緊急入院。

 退院はしたが肝臓は余年わずか。

 一日一日をひそやかに生き延びる身の上となった。

 こうなると、四十年の酒の思いでがあたまをよぎる。


 俳句を読んでも酒の句が目につく。

   木曽谷の養生訓に菊の酒         加藤耕子

 この句のように、菊の花びらを浮かべ、季節に思いをはせて飲むことが出来てたら

 もう少し長く酒が愛でたのにと後悔しきりである。

 長生きできぬという医者の宣告であるが、平和をめぐる日本の未来を少しでも見届けて

 あの世の仲間にに伝えたいものである。
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4 コメント

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大事な文章 (文科系)
2010-10-05 15:25:31
 一読、どんな政治論議や人生訓よりも大切な内容の一つとお見受けしました。若い人が読んでいたら是非生かして欲しいものです。

 僕も毎日飲みました。25歳から50歳ぐらいまでは。30前に腰を痛めて手術したそれまでの間に、痛みを紛らすためにかなり深酒の習慣も付けてしまったし。ただ、50歳前にこう思ったもの。
『このまま飲んだら、間もなく飲めなくなるのは明確。細くても長く飲みたい』
 それから少なくとも10数年は週1~2日止めました。すると、飲む日の量が少なくなるんですよ。週1日休でも、肝機能数値の改善は明白でしたし。それで、退職してからはほぼ毎日飲んでいますが、体が自然に量を調節してくれるようになっています。
 こんな経験的知識もありました。「走れる人は、肝臓への負担が少ない」。きっと、アセトアルデヒドを分解する酸素摂取量が急には減らないからでしょうね。急には酒に弱くならないということなのでしょうか。
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同病相憐 (只今)
2010-10-05 17:44:38
 そうでしたか。小生、インターフェロンとやらは効かない注射器連射によるC型肝炎患者。
 退職時、肝硬変に間もなく移行と通告されましたが、今はもう、「持ち時間多くなき身は GOTの数値などさほど気にせず」。
 という心境でありたいと、月一回の検査を命じられた八事の病院をサヨナラしました。
 
 そして、小沢変哲さんの「秋風やこの橋俺と同い年」と口ずさみながら権狐の橋を見て只今帰宅し、「疲労困ぱいの字を引く秋の暮」。
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小沢信男さんスミマセン (只今)
2010-10-05 17:56:59
 正しくは
「疲労困ぱいのぱいの字を引く秋の暮」
 でした。
 
 思えば蕪村の時代から
 「去年より又さびしひぞ秋の暮」

 ついでに名古屋生まれの浅井慎平さん。
 「咳すれば橋の下から秋暮るる」
 
  
 しかし少しは毅然としたくて、
 「秋の日や拠るべきものにわが孤独」夕爾
 
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只今さんへ (文科系)
2010-10-06 11:39:10
 初めて知りました。一昨日僕がもらった電話主を思い出しています。80に近い長欠の同人男性から初めてもらったもの。お別れの挨拶なのですが、要約してみましょう。

 4年前に妻を亡くした。ワンマン・我が儘な亭主関白だったから1人では何もできないし、子は寄りつかない。昨年末肺癌、宣告さる。病院技師が職業だったから自体は分かっていたが、放置してきたのだ。自殺をする勇気がないから、緩慢な自殺を選んだということ。痛みが始まったから仕方なく病院に行き、間もなくホスピスに入る。

 「残った日々は大切にして下さい」。
 そんな声さえかけられなかったのだけど、只今さんにはそう言いたいです。「お一人様はかってにせい!」とかいう変な本もありましたが!  
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