コロナ蟄居が高齢者に痛い H・Sさんの作品です
新型コロナウイルスの拡散で図書館、美術館、温泉、公開講座等、私が日頃出入りする
場所が閉鎖になってしまった。食糧と夫の晩酌用の酒を買い込み自宅待機となり、自宅の
敷地内での生活を余儀なくされることになってしまった。私は自宅の敷地の内で一日を過
ごす四百平米の世界の住人となった。
幸い今年は暖冬で、暖房を利かせ家の中に閉じこもることをしなくてもいいので、畑仕
事をすることにした。暖かく日当りがいいのは嬉しいが、草の伸び方も激しいので草ぬき
に追われることになった。
畑の前の道は、バス停、スーパー、ドラッグストア等への通い道になっているので、通
勤、通学の時間が終わると、いつもなら小ざっぱりした服装の年配の人達のグループとかおひとり様とかが、軽やかな足取りでバス停を目指す姿を見かけていた。が、二月の終わりからこの様な人達の姿は見かけなくなった。代わりのように新しく登場したのはキャリーバッグにトイレットペーパーを乗せ、ごろごろ音を立てて引いてゆくおばさん達の姿だ。
顔見知りのおばさんが畑の前で立止り、私に近づき、トイレットペーパーを指さし、ま
くし立てた。
「一時間前からドラッグストアに並んでやっと手に入れたのよ。しかも一メーター以上の
間をあけて並ばされてね。大通りの側道まではみ出す大行列が出来たよ」
「店の人が、一メーターの間隔を開けて並んでくださいと、お客さんにそんな失礼なこと
を言うの」と、私は、おばさんに訊いた。
「店の人は、外の客とは関係ないわよ。客の中に仕切り屋がいるの。コロナ予防のた
めにそうしろと言って譲らないのよ。ああ疲れた」と、怒りをぶちまけた。
その日から、ふだん着姿でキャリーバッグを引いて買い物に行くおばさんたちがぐんと増えた。その人たち全員が、キャリーバッグにトイレットペーパーを乗せている。
「今日は、やっと買えたよ」「棚に一つだけ残っていたので、予備に買ってきた」
「勤め人がいるので、マスクが欲しいのだが、ドラッグストアを回っても手に入らない」
と、口々に店の現状を私に話した。
道を通るこのおばちゃん達とは、会釈、二言、三言、会話を交わす程度の知り合いだが、
この季節には畑に植えた早咲きの花を、買い物の行き帰りに立ち止まって見て楽しんでい
る姿を見かけることが多かった。そのようなおばちゃん達の気がかりは、トイレットペパ
ーとマスクで占領され、花を愛でる緩やかさは吹っ飛んでしまっている。
私の行きつけの生協店でも棚からトイレットペーパーが消えていた。酒の量販店は売り出しでもないのに駐車場が満杯で車を止めるのに時間がかかった。店内には夫のお気に入りの清酒は一本きりだった。夫が他のメーカーはいやだとか言うので出直すことにした。
〈このすごい酒屋のこみかたは、いったい何なんだ〉と、私は呆れた。これは、外食を控えた人によって家で食事して飲酒をする家飲みが増えて、酒の販売量が増えた影響だと、テレビの放送で知った。風が吹けば桶屋が儲かるというたぐいかと、納得した。
感染症の専門家の医師たちが、入れ替わり立ち代わり、新型コロナウイルスは、新しく
出てきた病気だからワクチンは無い、治療薬も無い、若い人は感染しても軽症ですむが高齢者の死亡率は二十%だと、テレビ、ラジオでひっきりなしに語りかけている。用心に越したことはないが、少々気がめいって来る。でも私にとって二週間ほど続いている四百平米の世界での生活は、コロナが原因の世情とは関係なく、近い将来やってくる私の老いの現状を先取りして見せつけられたようなものだ。何れやって来るその日のための予行演習だと思えたが。今回は、笑って済ませられることではなかった。先に希望が見えてこない。いつまでこんな状況が続くのか分からない。こういう不安の連続は頭の働きを封じ込めてしまう。外に出れないのだから、別の事をやろうとしても心が縮んでしまってひらめきも気力も全く起きてこないのだ。困ったー、万事休すだ。
まだまだ明るさの見えない時間がこれからも続いてゆくのだろう。こういう、何と
か生きているという現状はつらい。
今日も四百平米の世界の住人。私のしんどい一日が始まるのか。と、庭に出た。
小さな葉っぱの中心に叡山すみれの白い蕾が目についた。この菫は昨年生きにくいとこ
ろに種が飛ばされ、一本葉で二ミリぐらいの根っこ。漸くにして土から栄養を吸い上げ命
を保っていた。秋に植木鉢に植え替え〈生きろ生きろ〉。と、言葉をかけ乍ら様子を見ていた。董は、冬の間全く音沙汰なし、生きているのか、枯れてしまったのか不明のままだった。それが突然頭をもたげてきた。こんなこともあるのか、植物の逞しさに触れた私は〈明日はどの様に姿を変えて行くのだろう〉と、小さな命を見守ることにした。
これは、「老害」を表明しているだけかと。
恥ずかしいよ。