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保守系論客の歴史欺瞞・偽造を切る その7    千里眼

2006年11月08日 09時19分09秒 | Weblog
 このブログに参加して、保守系論客の著作を読むようになって、彼らの見解の根底に欠けているものがある。という思いを抱くようになった。
 太平洋戦争とその戦後処理をめぐる諸事件・諸問題を見ていくとき、世界史の大きな流れのなかに位置づけて見ていく必要があると私は思っている。特に一次世界大戦の戦後処理とそのなかで示された諸思想・諸理念を把握し直して、それとの関連のなかで押さえ直していく必要があると私は思っている。自虐史観として相手を攻撃する保守系論客にはその視点がほとんど欠けている。欠けていると言うよりも、意図的・意識的に避けているのだと私は思うようになったのだ。

 私自身の考察がまだ不十分なまま、取り急ぎまとめているので、不十分さがあることを承知のうえ、投稿した。今後さらに練り上げていくつもりである。
 この投稿では、第一次世界大戦を契機として示された、思想的また理念的な変化を見ていきたい。次の投稿で、保守系論客が、世界史的視野・視点をネグった主張や論点を取り上げ、分析していきたい。

1.第一次世界大戦

 第一次世界大戦は、それまでの戦争ときわだった違いを示している。その第一は、殺傷力の大きな新しい武器が投入されたことである。戦車、重機関銃、飛行機、潜水艦などである。さらには毒ガスまで使用されたのだ。ドイツのUボートによる無差別攻撃により、客船・貨物船を含め約300万トンの船が沈められた。
 第二に、そのために、それまでの戦争とは桁違いの死傷者が出たことである。ヴェルダンの戦いのみで、ドイツ軍・フランス軍合わせて23万人もの戦死者を出した。結局、この戦争での戦死者は1000万人にものぼり、民間人などの死者を合わせると1300万人にもなった。
 第三に、戦争が国家挙げての総力戦・消耗戦という性格になり、勝者も敗者も、国家の疲弊は著しくなった。参戦したとはいえ、日本とアメリカは戦場とはならなかったので、例外的に戦中・戦後の経済発展は著しかったが。

2.戦後処理をめぐる新しい理念の提唱

 新たに成立したソビェト・ロシアは無償金・無併合・民族自決の原則を宣言し、単独でドイツとの講和を結ぶにいたった。
 アメリカ大統領ウイルソンは14か条の講和原則を発表した。1.秘密外交の廃止、2.海洋の自由、3.経済障壁の撤廃、4.軍備の縮小、‥‥8.アルザス・ロレーヌの仏への返還、10.オーストリア領内の民族自決、‥‥恒久的国際平和機関の設立、を主張し、自由主義的な原則にもとづく公正な国際秩序の樹立によって戦後平和を永続させようとするものであった。

3.戦後処理にともなう新しい思想・新しい観点

A) 戦争観の転換と戦争責任

 第一次世界大戦前には、国家の外にその行為を裁く裁判所がない以上、最終的な紛争の解決手段としての戦争は相互に合法的であると考えられていた。したがって戦争責任、戦争犯罪という概念は成立しえない。
 第二次世界大戦の結果、このような悲惨な戦争を引き起こすことは許されない、違法とする思想が現れ、国家を超える制度によって主権国家の行動を抑制する必要があるという思想が示された。さらに戦争そのものを違法とする考え方から戦争責任という概念が成立することになった。  
 ヴェルサイユ条約では227条で、史上初めて戦争責任を講和条約で規定している。イギリス首相ロイド・ジョージの1919.6.16付け「ドイツに対する最終回答」のなかに、次の一節がある。「1914年8月に始まった戦争は、自ら文明国と称する国が意識して犯した犯罪の中で最大の人道および諸国民の自由にたいする罪である。‥‥しかしドイツの責任は戦争を計画し、開始したことに限定されるものではない。戦争遂行の際における蛮行と非人間的なやり方についても、それに劣らずドイツに責任がある」と。この思想に基づいてヴェルサイユ条約の227条・228条が制定されたのだ。

 ドイツ皇帝ウィルヘルム二世の戦争責任を追及するため、英・仏・米・伊・日の5ヶ国から出た裁判官によって構成された特別裁判所を設置することになった。しかし、ウィルヘルム二世の亡命先、当時中立国を宣言していたオランダはその引渡しを拒否し、事実上この裁判は開かれなかった。そのために、戦犯名簿を作成したものの、ドイツが引き渡しを拒んだこともあって、非人道的行為についての国際法廷もついに開かれることなく時が過ぎていくこととなった。
  
B) 賠償金についての考え方の変化

 WAR REPARATION、つまり賠償金についての考え方は第一次世界大戦を境に大きく変化した。
 それ以前は、裁判で敗訴したものが裁判費用を負担するのと同じように、敗戦国が敗戦の証しとして戦争の費用を負担するのは当然の行為であると考えられた。さらにプラスαが加えられ懲罰的な賠償金額が決定されるのであった。
 第一次世界大戦は、かってない規模であったので、英仏などの戦勝国側の戦費をドイツが負担することは不可能であることは、誰しも認めざるをえなかった。そのなかで、イギリスの経済学者ケインズ等は懲罰的賠償金に反対し、「戦争被害を基礎に賠償金を計算すべきだ。そのほうがより公正であり、また実現可能である」と提唱した。結局、この考え方がヴェルサイユ条約に取り入れられたのだ。しかし、条約上決定した金額は1320億マルクで、これすらドイツにとっては支払い不能な金額であった。このことが、後にナチスの台等を許す一つの要因になった。ケインズの試算ではドイツの支払い能力は360億マルクであったのだが。

C) 民族自決という理念の導入

 ウイルソンの14か条を受けて、民族自決という思想が国際会議で史上始めて取り入れられた。しかし、アジア・アフリカの植民地の諸民族、抑圧されている諸民族の希望を裏切り、条約では結局、この民族自決の原則が適用されたのは、北欧・東欧・バルカン半島などのヨーロッパ部に限定された。フィンランド、エストニア、ラトビィア、ポーランド、チェコスロバキア、ハンガリー、などの諸国が独立できた。が、アジア・アフリカは無視されることになった。
 トルコ支配下の地域は、英仏の秘密協定どおりに、イラク・ヨルダン・パレスチナはイギリスの、シリア・レバノンはフランスの委任統治領とされた。ドイツの植民地も列強諸国に分配された。このように、ウイルソンの提唱した理念と異なり、あいも変わらない帝国主義的利益の分配という側面も示したのだ。

D)国際協調と国際連盟

 国際会議で、国際協調が叫ばれたのは、このヴェルサイユ会議がはじめてである。そして、国際連盟が発足することになった。
 規約前文に「締結国は戦争に訴えざるの義務を受諾し、各国間に於ける公明正大なる関係を規律し、各国間の行為を律する現実の基準として国際法の原則を確立し、‥‥以って国際協力を促進し、且つ各国間の平和安寧を完成せん」と書かれている。
 国際連盟の目的は、国家間の紛争を調停し、戦争防止に努めることにあった。そのために、国際協調を歌い、連盟規約を破った国には経済制裁を加える、国際司法裁判所を設置するなどの規定を設けたのである。
   
E) 軍拡から軍縮へ

 国際連盟の発足を受け、戦争を防止するためには軍縮が必要であるという国際的世論が起こってきた。戦勝列強諸国は軍備拡張の費用負担に耐えきれなくなったという事情もあり、軍縮交渉が行われ、1921年に主力艦の保有制限を取り決めたワシントン条約が、続いて1930年に補助艦艇の保有制限を取り決めたロンドン条約が締結された。

 こうした変化を受けて、歴史は大きく国際協調と平和の方向へ動いていたのだ。この流れに立ちはだかったのが、1929年の大恐慌であった。それに続くドイツとイタリア、日本の対外政策であった。
 それはさておき、保守系論客の論文を読むとき、世界史的視点の欠如に驚かされた。その分析を次回にまとめたい。
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2 コメント

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久し振りです (保守系)
2006-11-09 00:17:16
千里眼さん、この程度の内容は、私、充分理解しています。千里の眼が曇っていませんか?
今更の話です。
だからあの大東亜戦争を起こさざるを得なかったのです。あの戦争は、正義の戦争だったのです。
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この程度のこと? (岡目八目)
2006-11-09 08:50:46
 千里眼さんが問題にしているのは、まさに「この程度のこと」も理解していない保守論客の世界史的視点の欠如についてではないのですか?

「特に一次世界大戦の戦後処理とそのなかで示された諸思想・諸理念を把握し直して、それとの関連のなかで押さえ直していく必要がある」

 保守系さんが反論されるなら、千里眼さんのこうした歴史認識に対する批判をされるべきでしょう。
 「この程度」というのは、「この程度のことは認め
評価している。」と言う意味なのでしょうか。
 千里眼さんの続く論考に詳しく反論される事を期待します。
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