サッカー界は日本のスポーツの中では異例な特長を持っていると考えてきた。日本の他スポーツ界よりは海外のサッカー界から学ぶことの方がはるかに多かったからなのであろう。初めに先ず、この違いを要約しておく。要約というものにはどうしても、「極端化」が伴うことは承知の上で。
日本のスポーツ界には、戦前に根付き、以降常に臭い続けてきたある種の体質がある。
「体育会系」という言葉で表すのが最も伝わりやすいだろうか。「先輩・後輩の秩序」、「年功序列」、「形式的儀礼主義」、「非合理的精神主義」、「非知性的根性論」、「閉鎖性もしくは、ある種の狭隘性」。そういう体質の各「協会」が学校教育と結びついて「与党の体制」に繋がっており、その全体で作り上げている何か「封建制」、「保守性」のようなもの。
こういういわば「『体育会系』スポーツ文化・体質」は、学校体育、地域スポーツ全体の中から広く深く再生産され続けて、この国の与党体制と支えあってきたという側面もあると思う。
さて、日本サッカー協会の今回の役員人事には、この「体育会系文化・体質」とはかなり異なったものが示されていると思う。
① 最高決議機関・理事会に2人の他スポーツ関係者が入ったこと。クルム伊達公子と平尾誠二である。
② 会長人事にこのような資質が重視されたこと。英語力、プロ部門の地域経営実績、教育問題への(広い)見識。なおここには、次のことも示されている。このような資質がそのスポーツ自身の経歴に劣らず役員資質として重要であると。
③ 政権党の元参院議員・労働政務次官が投票によって4人の副会長から退き、理事にも残れなかったということ。これは当然、サッカー協会内部にある種の対立があったと予想させる。ちなみに、ある理事、元副会長がこんな批判発言をしているのも大変興味深い。「外部の人間を理事に入れるよりは、三浦知良をなぜ入れなかったのか?」
④ こうして「そのスポーツ外部」とか、「地域での経営実績、教育問題への見識」とか、視野、志向領域が従来よりも著しく広いのである。体育会系体質に見られる閉鎖性、一面性がそれだけ少ないということになるのではないか。
最後に、こういう雰囲気を伝える文章を紹介する。日刊スポーツ・コムからのものだ。
【 実際は、会長就任を内々で打診されており、会長権限で選べる理事4人の人選に着手していた。その中の目玉として平尾氏、伊達に絞って連絡を取っていた。「(6月)23、24日あたりだったと思う。伊達さんには『もしそうなったときに協力してほしい』とお願いしたら『喜んで…、私でできることはやらせていただきます』と返事をしてもらった」。伊達とのやりとりを説明するときは、表情もゆるみ、笑顔を見せた。
日本サッカー協会として、他競技の元選手を理事に迎えるのは初。他競技の現役選手となれば、他団体を含めても異例のことだ。平尾氏、伊達ともに犬飼氏が浦和レッズ社長時代に培った人脈だった。少年少女をスポーツを通して育成する事業で知り合い、伊達については「子供たちへの接し方に感激した。彼女の海外での経験など、サッカー界にとっても貴重な意見になる」と話した。
また、親交を深めてきた平尾氏については「ラグビーは試合終了とともにノーサイドになる。『そういうラグビー精神をサッカーも学びたい』と相談したら、『ラグビー界もまだまだです』と言われた。お互いに成長できることがあると思う」と明かした。審判批判などが相次ぐ中で、スポーツ選手のあり方の見直しも示唆した。
これには川淵会長も「外部の人を入れるのは、今の時代の流れ」と支持。犬飼氏は「次はテニス界やラグビー界にサッカー界から人材が求められることもあるかもしれないしね」と、他競技との積極的な交流を狙う意図もうかがわせた。キャプテンとしてぐいぐいけん引した川淵氏の後任として、早くも独自色、自由な発想で犬飼色を打ち出そうとしている。 】
日本のスポーツ界には、戦前に根付き、以降常に臭い続けてきたある種の体質がある。
「体育会系」という言葉で表すのが最も伝わりやすいだろうか。「先輩・後輩の秩序」、「年功序列」、「形式的儀礼主義」、「非合理的精神主義」、「非知性的根性論」、「閉鎖性もしくは、ある種の狭隘性」。そういう体質の各「協会」が学校教育と結びついて「与党の体制」に繋がっており、その全体で作り上げている何か「封建制」、「保守性」のようなもの。
こういういわば「『体育会系』スポーツ文化・体質」は、学校体育、地域スポーツ全体の中から広く深く再生産され続けて、この国の与党体制と支えあってきたという側面もあると思う。
さて、日本サッカー協会の今回の役員人事には、この「体育会系文化・体質」とはかなり異なったものが示されていると思う。
① 最高決議機関・理事会に2人の他スポーツ関係者が入ったこと。クルム伊達公子と平尾誠二である。
② 会長人事にこのような資質が重視されたこと。英語力、プロ部門の地域経営実績、教育問題への(広い)見識。なおここには、次のことも示されている。このような資質がそのスポーツ自身の経歴に劣らず役員資質として重要であると。
③ 政権党の元参院議員・労働政務次官が投票によって4人の副会長から退き、理事にも残れなかったということ。これは当然、サッカー協会内部にある種の対立があったと予想させる。ちなみに、ある理事、元副会長がこんな批判発言をしているのも大変興味深い。「外部の人間を理事に入れるよりは、三浦知良をなぜ入れなかったのか?」
④ こうして「そのスポーツ外部」とか、「地域での経営実績、教育問題への見識」とか、視野、志向領域が従来よりも著しく広いのである。体育会系体質に見られる閉鎖性、一面性がそれだけ少ないということになるのではないか。
最後に、こういう雰囲気を伝える文章を紹介する。日刊スポーツ・コムからのものだ。
【 実際は、会長就任を内々で打診されており、会長権限で選べる理事4人の人選に着手していた。その中の目玉として平尾氏、伊達に絞って連絡を取っていた。「(6月)23、24日あたりだったと思う。伊達さんには『もしそうなったときに協力してほしい』とお願いしたら『喜んで…、私でできることはやらせていただきます』と返事をしてもらった」。伊達とのやりとりを説明するときは、表情もゆるみ、笑顔を見せた。
日本サッカー協会として、他競技の元選手を理事に迎えるのは初。他競技の現役選手となれば、他団体を含めても異例のことだ。平尾氏、伊達ともに犬飼氏が浦和レッズ社長時代に培った人脈だった。少年少女をスポーツを通して育成する事業で知り合い、伊達については「子供たちへの接し方に感激した。彼女の海外での経験など、サッカー界にとっても貴重な意見になる」と話した。
また、親交を深めてきた平尾氏については「ラグビーは試合終了とともにノーサイドになる。『そういうラグビー精神をサッカーも学びたい』と相談したら、『ラグビー界もまだまだです』と言われた。お互いに成長できることがあると思う」と明かした。審判批判などが相次ぐ中で、スポーツ選手のあり方の見直しも示唆した。
これには川淵会長も「外部の人を入れるのは、今の時代の流れ」と支持。犬飼氏は「次はテニス界やラグビー界にサッカー界から人材が求められることもあるかもしれないしね」と、他競技との積極的な交流を狙う意図もうかがわせた。キャプテンとしてぐいぐいけん引した川淵氏の後任として、早くも独自色、自由な発想で犬飼色を打ち出そうとしている。 】
さて、NHKを公共放送として主張したいことだが、大相撲はどういう根拠であれだけ「放映される権限」があるのだろう。学校体育などではすっかり斜陽になって、日本の青少年にとって非常に狭い世界になってしまっているのに。しかも、もの凄い閉鎖性まで固持しているのに。
そして、プロ野球は?
これらに比べて、サッカーが軽視されているように見えるのはサッカー好きのひがみだろうか? どうもそのスポーツの普及度によるものでもないようだし、単に視聴率だけによるものとも思えないし、などとも考えてみる。
そんなところから、サッカー好きはさらにひがんで考えてみる。NHK・経営委員会と政権党との癒着があることはつとに有名である。すると、釜本氏退陣の一件などから、サッカーがNHK・政権党からさらに疎外されるのではないかとも不安になってくる。
さらにはこんなことにも考え及んでいく。
「サッカーダイジェスト誌でさえそうであるように、川渕キャプテンがあちこちから叩かれているが、体制的スポーツ世界から疎外されているのではないか」
サッカー界は、スポーツの公共性らしい公共性を日本の「それぞれ閉じた世界」では異例なほどに高く掲げ、実行してきたと思う。すると、この「疎外感」はさらに広く深くなるのだ。
マスコミご専門らしい落石さんなど、以上をどう考えられるのだろう。ご教示願いたい。
確かに戦前は確たるスポーツも少なく国技?としての大相撲を中継したのも国民的ニーズを満たしていたと思う。
しかし、戦後様々なスポーツが百花繚乱する中で公共放送のNHKが相撲のみを年間のべ何百時間と中継するのは異常であり、重大なニュースがあってもそれを後回しにして実況をむ続ける姿勢には「なにかあるぞ」と思われてもいたし方の無いものである。
私はサッカーファンではないが、政治・ドキュメント・映画フアンとしてあの時間の三分の一を欲しいといっても、NHKは反論できないはずである。
貴重な時間を使ったあの退屈な実況放送は一体何なのか。
もしまともなアンケートを取ったら縮小すべき番組の筆頭に違いないと思う。
NHKが改革を尤もらしく言うのなら、大相撲の実況縮小から始めよ!!!
国民の多くは拍手を贈りさえするが怒るものは殆ど居ない。
親戚しか見ていない髷も結えぬへっぽこ相撲を延々と放映するのはやめて、
是非、縮小して深夜に押し込められた「感動のドキュメント」や「世界からの現地報告「往年の名画」などを開放すべきである。
今の日本、その政治、選挙結果などを、NHKが動かしているという側面は非常に大きいはずだから。
「まー、こんなものだよ」と諦めるのは公共性の側面を理解しないことだし、「外でただぼやいているだけ」も無能なことだ。
自民党がNHKを動かしえているのは、単に政権党だということではないはず。「公共性」とか「(彼ら流の)中立」とかをねばり強く追究しているという側面もあるはず。野党も自民党の何分の一かはNHKの重要性を押さえるべきだ。
とにかく、ここの「公共性」、「中立性」は野党でももっと使えると思う。
経営委員会委員長の専横、その世の中、政治への影響を野党はもっと理解すべきだ。