たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

不安と背中合わせの孤独の中で・・・

2015年09月21日 23時54分07秒 | 祈り
流れゆく雲は秋の色。
例年より早く涼しくなったとはいえ蒸し暑さの残る一日でした。
22年前の9月21日も朝からねっとりと蒸し暑く、いやーな一日だったことを今もよくおぼえています。今さら自分を責めるでないぞ。もう帰ってくるわけでなし。気がついたら私の体の一部となった妹との突然のお別れの日。信じられないけれど事実で、この事実を変えることは永遠にできません。なぜなのか、求め続けたけれどその答えも永遠にわかりません。ただ私が一生懸命に、普通に生きようとすることしかできません。

社会へ戻っていくための書類をあらためて整理し直してみると、本当に一生懸命生きてきたんだなあと思います。ただ、25歳で一人暮らしを始めて妹とのお別れが訪れるまでの5年余りの私は本当に愚かでした。なんでこんな生き方をしていたのか今となっては自分でもわかりませんが、何かから逃げるような生き方をしていました。もったいなかったですね。もう少し積み上げられるものがあったように思います。残念でした。今ならまだ取り戻せるのかな。全く自信がなくて、家賃もあるし不安と背中合わせで孤独のうちに日々は過ぎていきます。

大事なのは最初と直近で何をしていたかということみたいで、雇用形態はともかくどちらも長期間きっちりとやってきた実績があるので、そこをきちんとみてもらえるのであれば心配ないとも思いますが、説明がむずかしいところもあるのでどうなのか、不安です。基本的生活を男性に依存している専業主婦じゃないので、そこも微妙としか今のところ言えません。

高度経済成長期のように、男性は過労死するぐらいまで長時間馬車馬のように働き続けて、女性は家庭を守って家事・育児・介護をする。とっくに社会の実情と合わなくなっている仕組みを前提に労働環境がつくられているので、専業主婦じゃない、結婚しているとかしていないとか関係なく、一人前の収入を得たいという私のような者にはとても困ってしまう働き方と賃金体系しか用意されていません。
果たして次に私の力を必要としてくれる場所は本当にあるのか、
選ばなければなんでもあるようにみえて、実はハードルが低そうにみえるものほどあぶないこともわかってきたので注意が必要です。

最近は断捨離を超越して、ほとんどモノを持たない生き方をする人たちがいるんですね。
私がそこにたどり着くにはまだまだ大量にある書籍や雑誌をデジタル化してお別れしてしていくしかありません。したがって私の断捨離はまだまだ続きます。もっとサクサクと軽いパソコンとスキャナーに買い替えたいですね。他には欲しいモノありませんが、デジタル化に役立つものはほしいです。過去の自分と出会いながらまだまだモノとお別れしていきます。

普通の人として、声をあげ続けた私の生き方は報われなかったけれど間違ってはいなかったです。私なりにいろいろと考えていきたいです。おかしいことをおかしいとちゃんと発言することは大切なことで、当たり前のことです。なかなかできませんが・・・。
今の社会の動き、女性やお子さんを連れたママたち、学生たち、普通の人たちが参加しているのがすごいことだと思います。秩序正しく行われています。私も昨日近場の行動に参加してきました。大切な社会の中での役割だと思います。

「1996年1月28日(日)Fine

相変わらずプレッシャーを感じながら暮らしている。
なぜなのかわからない、気がついたらいつもこうなのだ。
胃の痛みがひどくてつらい。
いつまでも青くさい、四角ばったものをもち続けるのは疲れる。
けれど、そうでなくなってしまうのもいやなのだ。
いいじゃあないか。流れのままに、あるがままに、あまり無理しないでサ、
ほんと少し無理すると、すぐ具合が悪くなるからね、無理しないで、のんびり
自分のペースで行こうよ。楽しくいこうよ。努力しなければなんにもできない。
なら、努力すればいいじゃないか。
自分の中に柱があればいい、迷っているのなら、迷っているまんまの自分でいいじゃないか。
迷うことは成長への第一歩だもの。大切にしよう。
ほんと、青くさくって疲れるよ。
けれど、これがわたし。
理屈を組み立てないと気がすまない。」

今日も秋のプリンス・エドワード島への旅からの2号線沿いの景色を選んでみました。