たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

河合隼雄・小川洋子『生きるとは、自分の物語を作ること』より_厳密さと曖昧さの共存

2015年09月29日 18時31分45秒 | 河合隼雄・小川洋子 『生きるとは、自分の
小川 新宿の街なんか歩いていて思うんですが、超高層の近代的な、一流企業が入っているようなビルもあれば、ガード下の一杯飲み屋みたいなものもある。日本は街自体にも境界線がないですよね。

河合 そうそう、日本は境界線がいろんな点で曖昧な、ものすごく面白い不思議な国ですよ。外国人から誤解されるのは無理ないと思います。

小川 でも、科学技術が限界まで発達してしまった現在の段階になると、むしろ厳密さよりも曖昧さの方が人間を楽にしてくれるんじゃないかなって思いますね。

河合 そのとおりですね。だからこれからは、厳密さと曖昧さの共存をよく考えないかんとことになる。ただしそれは、論理的に矛盾するわけでしょ。でも矛盾したものを持たないかんということです。ガッチリやらないかんことと、曖昧なのと。科学技術を享受しながら、曖昧がよいと言ってはいけないわけですよね、本当はね。

小川 いいとこ取りしているということですものね。

河合 そうそう。だからそれを共存させるような人生観、世界観がないかっていうことを、今ものすごく考えているんです。人間は矛盾しているから生きている。全く矛盾性のない、整合性のあるものは、生き物ではなくて機械です。命というのはそもそも矛盾を孕んでいるものであって、その矛盾を生きている存在として、自分はこういうふうに矛盾しているんだとか、なぜ矛盾してるんだということを、意識して生きていくよりしかたないんじゃないかと、この頃思っています。そして、それをごまかさない。

(略)

小川 矛盾との折り合いのつけ方こそ、その人の個性が発揮される。

河合 そしてその時には、自然科学じゃなくて、物語だとしか言いようがない。

小川 そこで個人を支えるのが物語なんですね。

河合 ええ。自然科学の成果はたとえば数式になったりして、みんなに適用するように均一に供給できる。そして、それで個が生きるから、物語になるんだっていうのが、僕の考え方です。

(河合隼雄・小川洋子『生きるとは、自分の物語を作ること』新潮文庫、平成23年発行、104-106頁より)




生きるとは、自分の物語をつくること (新潮文庫)
小川 洋子,河合 隼雄
新潮社