22年前の今日、突然旅立っていった妹を見送った日。
迷った末にがんばって代々木公園まで行ってきました。
交通費がかかるし、パソコン背負っていないと落ち着かないので荷物重くって、足腰が痛いです。でもすごく危ないことになっているのを肌で知ったのでいかないと後悔しそうで行ってきました。いろいろと勉強しながら考えていきたいという思いからでした。普通の女性が多かったのが印象的でした。小さいお子さんを連れたパパとママがいるのも印象的でした。こういうこと、特別なことだと思っていたけれど、私たちの暮らしと命に関わる身近な大切なことだと気づきました。
こうして行ってみて、自分がぼろぼろになりながらも訴え続けてきたことは報われなかったけれど、無駄ではなかった、これでよかったんだと思えるようになりました。私が訴え続けてきてどうにもならなかったことは、そもそも30年前にその布石が敷かれ始めていたのだとようやく気づくにいたりました。
少しずつ力を持たせないようにしてきていて、それがここにきて完成しているわけで、そういうふうに仕組みが全部うまーくできているので、どうにかなるはずなどなかったのだと、ここにきてわかりました。ほんとに全部巧みです。見事というより他ないぐらい弱者に力を持たせないようにできているのです。
そんなところにはまっていることに、梯子から落っこちることになるまでほとんど気づいていませんでした。落っこちてみてどこまでひどいことかやっと気づきました。まだ悔しいですが、これでよかったんだと思います。見方によってはまだ間に合ううちに逆に私は救われたのかもしれません。今はまだ不安の真っ只中なのでなんとも言えませんが・・・。
普通の暮らしを取り戻していけるのかな。
人生の折り返し地点は過ぎました。でもまだ時間があるので出直したいです。
そんなに欲張らなくていいです。何ができるわけでなし、福祉職には希望を感じないので、普通を求めていきます。今までの経験でやれそうなところを求めていきます。いろいろと思いはあれど食えなかったらどうにもならないです。
妹がわたしのそばに来て背中を押してくれているかな。
姉ちゃん、だいじょうぶだよ、って言ってくれているかな。
妹が背中を押してくれていなければ私はここまでやってくることができませんでした。
これからも背中を押し続けてほしいと祈るよりほかありません。
報われなかったけれど言うべきことはちゃんと言ったという思いがあります。
そんなことしたって無駄なんだよ、普通はそんなことしないよ、っていうのは、うまくいえませんがちょっと違います。おかしいことをおかしいっていうのは大変なエネルギーがいるけれど自然なことだと思います。私の性分では、言っていなかったらもっと悔しさと後悔の泥海から抜け出せず身動きとることができなかったと思うので、これでよかったんです。
明日からまた行くところもない平日がやってきます。社会からの孤立。
不安と背中合わせの孤独は日々。もう少しだけ自分を信じて進んでみます。
20年前も今も変わっていないといえば変わっていないのかもしれません。
笑ってしまいます。
「1996年3月2日(土)
このヤマを越えたら、強いものが生まれると思う。
よくがんばってるよな、って自分をほめてあげたい。
あの会社の中で、こうしてひとりでいる状況の中で意地をはってよくやってるよな。
それでいいんだよ。悪口いいたい時はいえばいい。
価値観を決めてしまうことはない。
どれもこれもほんとのわたし。
今はレオートが先決かな。
プレッシャーを感じつつあせらないでがんばろう。
いい方向に進んでいると思う。」
写真は今日も秋のプリンス・エドワード島から、2号線沿いの車窓の風景です。
迷った末にがんばって代々木公園まで行ってきました。
交通費がかかるし、パソコン背負っていないと落ち着かないので荷物重くって、足腰が痛いです。でもすごく危ないことになっているのを肌で知ったのでいかないと後悔しそうで行ってきました。いろいろと勉強しながら考えていきたいという思いからでした。普通の女性が多かったのが印象的でした。小さいお子さんを連れたパパとママがいるのも印象的でした。こういうこと、特別なことだと思っていたけれど、私たちの暮らしと命に関わる身近な大切なことだと気づきました。
こうして行ってみて、自分がぼろぼろになりながらも訴え続けてきたことは報われなかったけれど、無駄ではなかった、これでよかったんだと思えるようになりました。私が訴え続けてきてどうにもならなかったことは、そもそも30年前にその布石が敷かれ始めていたのだとようやく気づくにいたりました。
少しずつ力を持たせないようにしてきていて、それがここにきて完成しているわけで、そういうふうに仕組みが全部うまーくできているので、どうにかなるはずなどなかったのだと、ここにきてわかりました。ほんとに全部巧みです。見事というより他ないぐらい弱者に力を持たせないようにできているのです。
そんなところにはまっていることに、梯子から落っこちることになるまでほとんど気づいていませんでした。落っこちてみてどこまでひどいことかやっと気づきました。まだ悔しいですが、これでよかったんだと思います。見方によってはまだ間に合ううちに逆に私は救われたのかもしれません。今はまだ不安の真っ只中なのでなんとも言えませんが・・・。
普通の暮らしを取り戻していけるのかな。
人生の折り返し地点は過ぎました。でもまだ時間があるので出直したいです。
そんなに欲張らなくていいです。何ができるわけでなし、福祉職には希望を感じないので、普通を求めていきます。今までの経験でやれそうなところを求めていきます。いろいろと思いはあれど食えなかったらどうにもならないです。
妹がわたしのそばに来て背中を押してくれているかな。
姉ちゃん、だいじょうぶだよ、って言ってくれているかな。
妹が背中を押してくれていなければ私はここまでやってくることができませんでした。
これからも背中を押し続けてほしいと祈るよりほかありません。
報われなかったけれど言うべきことはちゃんと言ったという思いがあります。
そんなことしたって無駄なんだよ、普通はそんなことしないよ、っていうのは、うまくいえませんがちょっと違います。おかしいことをおかしいっていうのは大変なエネルギーがいるけれど自然なことだと思います。私の性分では、言っていなかったらもっと悔しさと後悔の泥海から抜け出せず身動きとることができなかったと思うので、これでよかったんです。
明日からまた行くところもない平日がやってきます。社会からの孤立。
不安と背中合わせの孤独は日々。もう少しだけ自分を信じて進んでみます。
20年前も今も変わっていないといえば変わっていないのかもしれません。
笑ってしまいます。
「1996年3月2日(土)
このヤマを越えたら、強いものが生まれると思う。
よくがんばってるよな、って自分をほめてあげたい。
あの会社の中で、こうしてひとりでいる状況の中で意地をはってよくやってるよな。
それでいいんだよ。悪口いいたい時はいえばいい。
価値観を決めてしまうことはない。
どれもこれもほんとのわたし。
今はレオートが先決かな。
プレッシャーを感じつつあせらないでがんばろう。
いい方向に進んでいると思う。」
写真は今日も秋のプリンス・エドワード島から、2号線沿いの車窓の風景です。