たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

木漏れ日が光る秋の一日

2016年11月28日 22時46分08秒 | 日記
 今日は月曜日なんですね。曜日の感覚がやっと正常に戻ってきました。変則的な土曜出勤と、変則的なお昼休憩時間、体がやっぱりこれ以上無理だって言っています。体内時計が一定のリズムを刻めないのはきついです。あと一か月。世の中には交代制で昼勤やったり夜勤やったり、サービス業で曜日の感覚がなくなっている方がたくさんいらっしゃると思います。若いうちだけですね。体をこわされませんように・・・。

 最後の有給休暇を使って健康診断に行ってきました。場所がもうひとつのブログに書いている、カイシャから使い捨てにされようとしたので行政を頼りにひとりで二か月がんばってみたもののどうにもならず、でもこのまま引き下がるわけにはいかないという思いで〇〇総合法律事務所をたずねましたが、その時と同じ駅、同じ出口を使ったので思い出してしまいました。あの時はまさか自分が弁護士と関わることにはなるなど全く想像できなくって心臓がバクバクしていました。その時の自分を今も鮮やかに思い出すことができてしまいます。その後まさかまさかの連続で、何人もの弁護士に会うことになりましたが、なんと健診が終わってから通りをぶらぶら歩いていると、偶然にもその中のお一人の弁護士をおみかけしたので声かけました。名前はすぐには出てきませんでした。「すいません、すいません」って声かけて、先方も思い出してくださいました。今こんなふうにはたらいているということをかんたんに話しました。弁護士は、カイシャとの闘いになってしまった人がその後どうしているかということはたぶん関心ないんですね。収入が途絶えたまま、なんの補償もなく持ち出しで闘うのってほんとにしんどくって、言うべきことをいうのは大事だけれどほんとにやれない。家賃払っているわたしには限界。悔しさにのたうちまわったけれど区切りをつけてよかったと思います。あれ以上続けていてもなんの実りもないまま、自分が壊れてしまうだけでした。

 闘いですり減るだけすり減った自分に比べれば元気になりましたが、体重は少し減っていました。痩せすぎラインの少し手前。わたしがぶくぶくと太るなんてやっぱりありえないか。変則的な勤務体制で、高齢者に大きな声張り上げなければならないので、今より体重が減ると体に力が入らずもたない。仕事なんてできないので、なんとか42-43キロはキープしたいです。

 終わってから外に出ると銀杏並木が夕暮れのひかりの中で黄金色に輝いていました。すこしぶらぶらとお散歩して久しぶりに海の夕暮れを眺めました。この海はプリンス・エドワード島の海に続いているんだなあって思うと、それだけでなんだか少し幸せでした。それから少しゆっくり早めに夕食。今のわたしはまず断捨離やりたい。なれど明日からまた4日間出勤。次の日曜は清史郎君に会えます。ずっと先だと思っていたのにもうすぐ。ゆっくり起きたら階下から工事しているものすごい音が聞こえてきたのでストレスと緊張で、午前中は自分の部屋にいながら疲れました。お風呂に入って休まねばね・・・。

 写真は秋のプリンス・エドワード島。モンゴメリさんが『赤毛のアン』を書いた家の跡の庭の木々です。


『就職・就社の構造』より_OLからみた会社_清水ちなみ(2)

2016年11月28日 09時28分04秒 | 本あれこれ
具体例をひとつあげると、こういうのがあった。

「なぜ休日に社員旅行に行くのですか。社員旅行の幹事がなぜ仕事になるのですか」
 この件については、私も新入社員だった当時、ずいぶん驚いた。社員旅行に行くからといって毎月給料日に積み立てを強制され、しかも大事な大事な休日に、いつもの職場のメンバーでバスをチャーターして温泉に行くのだというのだ。

「行きたくないから積み立てしない」と私が言うと、どうしても全員積み立てなければダメだというので「行かない場合には返金してくれますか」と念を押したうえで、半年間くらい積み立てをしていたと思う。結局私の職場では、ほとんどの若い社員が「社員旅行はみんなでガマンするもの、みんながガマンしているのに自分だけガマンしないのはいけない」という気持ちで参加していたのではないかと思う。でもやはり私は欠席した。積み立て分は旅行の前に返してもらった。

 ところがこういう融通のきく職場ばかりではなく、友人の会社では「社員旅行は休日に行く。しかも行かないと欠勤扱いになる」というところもあった。さらに一番驚いたのは、平成三年頃聞いた話だが、名古屋の農協では「社員旅行にいったときには、女子社員は浴衣を着なければならない」という規則があって、ちゃ―んと社員手帳に載っているという。

 なぜ、社員旅行に行かなければならないのだろう。

 大義名分としては、社員同士のコミュニケーションを密にするためとか、慰安とか、腹を割って話すとか、おじさんとしてはそういうことなんだろう。

 だが、これは真理だが、社員旅行にいって楽しいんだとしたら、それはエラい人だけだ。OLも若いモンも、エラいおじさんに酒をつぎ、エラいおじさんの長いあいさつを聞き、説教を聞き、だじゃれだかなんだかわからないような変なだじゃれに笑わなければならないのだ。こんなことを休日にやって休むと欠勤なんて誰が考えたってヘンだ。 

 また、「無礼講」とか「酒が飲めないやつは仕事ができない」とか、本当じゃないことをもっともらしく語るのもおじさんだ。これは会社が彼らに教えこんだのか、その他の原因があるのかよくわからないが、むかしの人は(というより、私たちより一世代前の人たちは)、そんなに誰もかれもがお酒を飲みたくってしょうがなかったのだろうか? お酌というのも、相手が飲みたいと思っているのが前提のサービスじゃないかと思うのだが、飲みたくない人にまで「ま―ま―ま―君ももっと飲みなさい」とお酒をつぐ。これが、円滑なコミュニケーションということになるのだろうか?

 『宴会でおじさんをいやらしくて嫌だと思ったことがありますか』というアンケートをOLに向けて実施したところ、「ある99%」と出た。

  宴会にいけばいくほど、私たちはイヤな思いをするのである。温泉宿で真っ赤な顔して、ほとんど裸にちかい状態で浴衣をはためかせながら走り回っている上司をみて、翌日もまたその人の命令でワープロなどを打つのも、また達観してなければできない作業であると思う。ちなみに、 私の手元の資料では、宴会がいちばん下品なのは建設業。まず採用の段階からして、″女性は職場の花″と言い切るめずらしい業界である。

 さて、休日を会社関係にさらわれてしまうことに対して私たちは強い抵抗をおぼえるのだけれども、おじさんたちはどうだろうか。 困ったことにOLがおじさんに接するのは主に会社の中なので、おじさんが休日を過ごしている姿を私たちはほとんど見たことがない( 文中では、会社の上司のことを便宜上「 おじさん」と 使っています。慣れているので……) 。ただ、ひとつ妙だなと思っているのは、休日出勤するおじさんがゴルフウェアを着ている率があまりにも高いということである。73%である。背広を離れた自分のカジュアルというものは、ゴルフ以外にないのだろうか。

 まだバブルで潤っていた頃、外国から働きすぎだの休めだの言われていた頃、余暇を考える座談会というのに呼んでいただいたことがある。

 「休日はどう過ごしていますか?」という問いに対して、出席していたおじさんの方々は、
「私は 釣りが趣味で……」「 山登りが好きで……」「 子供を連れて公園に……」と、みごとな多趣味ぶりを披露してくれた。 私はひねくれているのか、どうしても「本当に好きなんだな」と思えなかっ た。趣味とはこういうものだと、趣味を持たない人間はつまらない人間だと、そう思い込んで一心に 趣味を作り、打ち込んでいるように感じた。そういえば「遊べないやつは、仕事もできない 」という言葉も聞いたことがある。入社の面接で「バリバリ働きます」と答えたのと同じ気持ちで、バリバリ遊んでいるのだろうか。

  後日、それを裏付けるかのような新聞記事をみつけた。ある会社が、社員のおじさんに対して「余暇講座」のようなものを開いたという記事だった。そんなものに行っちゃいか―ん!と声を大にして言いたい。
  
   余暇とか遊びとかいうものは、会社や仕事や他人の目を気にしてやるものではないと思う。やりたくなったらやればいいものだ。ゴロゴロしているのが好きなおじさんだったら、一日家でゴロゴロしていればいい。それが余暇だと私は思う。少なくとも人に、ましてや会社に、教えてもらうものではない。ちなみに、これは講演でまわっているうちに気づいたのだけれども、こういうことを考える会社はたいてい大きな会社である。会社が大きくなればなるほど、おじさんの慇懃無礼度が増すのだが、余暇に関しても「恥ずかしくない、聞こえのいい余暇」ということになるのだろうか。
  
  次に、平日の状況。

  おじさんはほとんど会社を休まない。病気になっても、二日酔いでも、骨折しても会社にくる。
  

 『おじさんが会社を休んだときどう思いますか』という結果はこうなった。
  
 上司がいなくて気が楽

     46・8%
  
 二度と出てくるな
     16.7%

 よほどのことだろう
     15.1%
 
 私も休みやすくなる
      13.5%

 仕事がすすまなくて困る
      7.9%

  おもしろいのは、もし万に一つ、おじさんが会社を休んだとしても、昼頃に必ず電話がかかってくるのである。
 
「なにか、困ったことはないか」 おじさんは本当に責任感が強い。しかし、困ったことがあったためしがないというのが現実だったりする。

  こうやって考えていくと、おじさんに対する思想統制のようなものが実にまんべんなく行き渡っていて、スゴイもんだな―と思う。 平日には絶対に休まず、休日にも会社のために働いたり、仕事のために遊んだり、そして一歩会社から出ると、アレを着るコレを着るという自己主張もない。まったく会社のために生きているかのようだ。 実は、会社にいた頃、自分の上司を見ていて「 この人は、あ―オレは会社に尽くした―って満足しながら死ぬのかな」と思って怖かった覚えがある。取引先の人にむかって「我が社としては」とつい、いばっちゃう人だった。「まったく電通もしょ―がねェな―」などという独り言を 大声で言ってしまう人だった。まわりの視線を見ていると「しょ―がねェのはおまえだ」と全員で、心のなかでつっこみを入れているのがわかる。でも、たぶん、本人としては、会社名を名乗る幸せを感じているはずだ。さっき思想統制といったけれども、会社はその「幸せ」を彼に与えている。だからこそ、おじさんたちは、ここまでがんばることができたんだと思う。
  
               *
  
  さきほどOLのこと 「会社に期待されていない」と無理やり規定してしまったけれども、会社がおじさんに与えている「幸せ」は、ズバリこの「期待されている(という錯覚)」じゃないかろうかと思う。

  「オレは、期待されている!」
  
  この気持ちが、どんな困難でも乗り越えさせてしまう。
  
  会社のしくみや中で行なわれていることを見ていると、この期待という錯覚をおじさん達に見破らせないように、すご―く慎重にていねいに会社側が考えていることがわかる。私が気づいただけでいくつかある。


(『就職・就社の構造』岩波書店、1994年3月25日発行、119-125頁より引用)。


就職・就社の構造 (日本会社原論 4)
クリエーター情報なし
岩波書店