たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

五島美術館-国宝紫式部日記絵巻

2021年06月19日 19時12分54秒 | 美術館めぐり
 2017年10月11日(水)に世田谷の五島美術館を訪れました。目的は10月7日(日)から15日(日)まで特別出展された「国宝紫式部日記絵巻」でした。ギャラリートークが開催されていたので途中から聴講し、そのあとで鑑賞しました。作品を守るために照明はかなりおとされていましたが、お話にあったように、正面からではなく少し角度をかえてみると黒一色にみえる装束に濃淡のあることなどがよくわかりました。細やかに描かれていて驚きました。20数年前、都心で暮らし始めた頃「国宝源氏物語絵巻」が展示された時に一度訪れて以来でした。現在絵巻はデジタル化が進められているというお話もありました。貴重なコレクションを伝えていくために欠かせませんね。

「紫式部日記絵巻の成立
  
・平安時代・11世紀初めの紫式部著『紫式部日記』を役250年後の鎌倉時代・13世紀前半に絵画化し絵巻にしたもの。
・伝承筆者・詞書=後京極良経(1169~1206)、絵=藤原信実(1176?~1265?)」

五島美術館Webサイト
https://www.gotoh-museum.or.jp/より

「五島美術館所蔵五島本第一段

 寛弘5年(1008)10月17日の夜、昇進した御礼を中宮彰子(藤原道長の娘、999-1074)に啓上しようと、藤原斎信(967-1035、42歳)と藤原実成(975-1044、34歳)が、宮の内侍と紫式部を訪ねる場面。左側に大きく庭を描き、建物を斜めに配した大胆な画面構成を示す。左上の銀の月が、詞書にある「月いとおもしろきに」「月いとあかしに」を象徴。」



「五島美術館所蔵五島本第二段

 寛弘5年(1008)11月1日、皇子誕生50日目の祝の日の様子。朽木文様の几帳で仕切られた神殿の内部に、敦成親王(のちに後一条天皇、1008-36)を抱く中宮彰子(988-1074、21歳)と、髪を上げ正装で奉仕する女房たちを描く。松喰鶴文様の敷物の上に高杯を置き、食膳を配す。右下の女房が、詞書に「おくにゐてくはしは見侍らす」とある紫式部か。」

「五島美術館所蔵五島本第三段

 第二段と同じ寛弘5年(1008)11月1日、儀式後の宴会の様子。女房の扇を取り上げ、冗談を言う藤原顕光(944-1021、65歳)、素焼きの杯を持ち催馬楽「美濃山」を謡う藤原斉信(967-1035、42歳)、女房装束の棲や袖口の襲の色を観察する藤原実資(957-1046、52歳)、「あなかしこゝのわたりわかむらさきや候」(詞書)と、紫式部をさがす藤原公任(966-1041、43歳)など、各人の様々な姿や表情を生き生きと描き出す。」
















 高校時代、古典の授業がひそかに好きでした。おばあちゃん先生が怖くてみんな嫌っていたので口に出すことができませんでしたが一人期末テストの成績も悪くなかった。参考書を片手に「紫式部日記」を読みました。断捨離してしまいましたがノートに原文と現代語訳を書き留めました。デジタルでは残したはず。いつかこの世にいる間に「万葉集」と並んで「源氏物語」をゆっくり読み返したいです。そんな穏やかな時間がわたしの人生に訪れるでしょうか。訪れてほしいです、許してほしいです。

 9月15日(金)に五島美術館の庭園を散策しました。庭園の散策のみは300円。







ムラサキシキブ





光源氏







 またこの頃と同じことの繰り返し、どこかにたどり着けると信じて一生懸命やれることをやってきたはずなのに、気がつけば何度目かの無職、もうこんなに苦しいことは終わりにしたいのに終わりません、永遠にこの時が続いていくような気がします。こんな一番社会が不安なときに何故自分は無職なのか、しかもコロナが理由じゃないので、コロナじゃないんですかってなる。人生の選択を間違えてばかりですが引き返すことはできません。4月末で逃げ出したところは、また人を募集しています。誰も続かない、7か月も持ちこたえたわたしはえらいですが、全部わたしが悪者、こわくて何を信じればいいのか、希望はありませんがまだこの世にいる間にこんなことをやりたいをいくつか積み残しているので生き延びていくしかありません。

 ずっと書きたいと思っていたことを4年越しでようやく書けました。

 若かりし頃に読んだ本たち、いろいろと整理して、もう一度ゆっくりと読み返したいです。









2018年ミュージカル『ジキル&ハイド』(12)

2021年06月19日 08時39分00秒 | ミュージカル・舞台・映画
2018年ミュージカル『ジキル&ハイド』(11)
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/577dee8f85a35945fa2e371d4386b162

 公演プログラムよりここまで書いてきたので、最後に東宝、宝塚の舞台に欠かせない塩田明弘先生と甲斐正人先生のフランク・ワイルドホーン氏について語っている対談を。この頃、東京宝塚劇場では、雪組が『ひかりふる路』を上演したばかり。東京国際フォーラムでは『マタ・ハリ』が上演されたあとだったし、ワイルドホーン氏の楽曲を提供した作品の上演が続いていました。宝塚での楽曲提供から縁がつながり、ホーンさんがたかこさん(和央ようかさん)の旦那さんって、そんなことがあるんだなあと今もなんだか不思議な感じです。

「音楽監督;甲斐正人 × 指揮;塩田明弘

塩田‐僕は1997年の『ジキル&ハイド』ブロードウェイ初演時に稽古を見る機会がありまして。幸せなことに千秋楽の稽古にも立ち会うことができたんです。フランクとのお付き合いはそれ以来で・・・そこで薫陶を受け、フランク音楽の原点ともいえる『ジキル&ハイド』の世界を肌で感じ、その後、数多くの作品に携わってきました。『デスノート THE MUSICAL』のような新作では、彼がすごい速さで作曲するのを目の当たりにし、それを譜面に書きとったりもしました。

甲斐-それはラッキーでしたね。私もワイルドホーンをよく知る塩ちゃんに全幅の信頼を置いて、この作品に入ってもらっています。姿月あさとさんがクリエのコンサートで「罪な遊戯」を歌った時に、塩ちゃんがすごくこだわって、長時間歌の指導をしたと聞きましたよ。

塩田-『ジキル&ハイド』になると、スィッチが入っちゃうんですよ。先生もそうでしょう?二人ともハイド化していくの。先生は『ジキル&ハイド』の日本初演から関わられて作品を熟知なさっているし、それでも再演のたびに発見があるとおっしゃる。僕もそう。終点がない。

甲斐-関わって17年、今回7回目になるけど、まだまだやろう!という気持ちになれる珍しい作品。先月、宝塚で『WEST SIDE STORY』の音楽監督を務めて、改めて優れたミュージカルの原点だと思いました。60年経っても発見があり、教えられる。『ジキル&ハイド』はそれに匹敵する作品です。1990年代の大傑作。ずっと携われるのは幸せです。

塩田-現場で指揮をしていると飽きないし、感動してばかりです。(略)

甲斐-なぜそんなに感動するのか、毎回考えるのですが。

塩田-ひとつひとつの楽器の音が飛び出した時に、生命を感じるんですよね。ひとつひとつの音が炭酸水のように飛び出すのが見える。また人間の声をフルに使い、オーケストラも生演奏。人の力、人間力を感じる作品なんですよ。

甲斐-確かにワイルドホーンのメロディの力強さは類い稀。それから専門的になるけど調性感覚、ハ長調やト長調などキーに対する考え方。宇宙の音の力とありようを、よく感じ取っている作曲家だと思います。演奏した時に、心地よいというか、こうでなければならないという音楽のありかたにみんなが納得できる。音はドからシまで7つ、半音を入れて12しかないけど、その方程式を見事にわかって作っている。そこにワイルドホーンの音楽の力強さがあると思います。

塩田-流麗でロマンチック、いろいろな感情の変化をメロディで描き、転調で感情の変化や潜在的な欲望を表現している。見事です。オケと歌についても、共調しているところもあれば、歌ではハイドの現実を物語つつ、オケはジキルの切なさを表すなど、反比例することもあり、音楽が芝居をしていると言っても過言ではありません。

甲斐-全体的にこの音楽は強い迫力でくるように作られ、そこに細かい感情線、リズムやハーモニー、メロディに対するサブの旋律が織りなしていく。それらを立体的な音楽になるように鮮やかにくっきりと描きたい。歌の面でも、稽古の最初から、みんなが一体化して弾けている。新しい色彩の2018年度版が出来上がりつつあって、楽しみです。

塩田-音楽は聴く分には楽しいけれども、奏でる、歌うのはすごく難しい。

甲斐-なぜ日本人の我々が西洋的なに二元論をテーマにした『ジキル&ハイド』に惹かれるのか。その理由を考えると、この物語は最後まで二元論で終わるわけではないんですね。実はエマが大きな役割を果たしていて、彼女だけが揺るがずにジキルを支え、自分を捨てているんです。殺されそうになってもジキルを思い、ジキルは人間に戻ることができる。つまり善悪の両面を持つ人間の奥に何かがあるという示唆。その存在がエマだと。

塩田-一見、ルーシーのほうが強い女に見えますが、実はエマのほうが芯があるんですね。だからエマは澄んだ、毅然とした揺れ動かない声を出さなければならない。エマの声と表現力はすごく奥深い。エマの存在が根幹を支えているんです。

甲斐-その通りですね。この劇の重要人物は、実はエマ。エマによってジキルは救われて、人間を取り戻して終わっていく。つまり人間には、善悪を乗り越えていく力があるというメッセージを感じます。ああ、人間ってすごいな!と感じ取り、帰っていける。だから、また観たくなる。僕らもやっていて、気持ちがいい。

塩田-石丸さんの演じるジキルの最期の場面が、僕には生きてきてよかったと感じているように見えるんです。それはエマの存在によるものだと・・・最期に幸せだと思えるのは人間の一番の理想だし、ミュージカルでもなかなかないですね。『ジキル&ハイド』は悲劇だけど、確かな未来を予感させます。

甲斐-ルーシーも最後に歌う「新たな生活」で、こんな自分でも新しいステージに行けると確信します。そこで殺されてしまうけど、一瞬でも幸せを掴めると信じられた。その前向きさを感じながら、我々はこの作品に関わっているわけですね。」