たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

2020年『ロンドン・ナショナル・ギャラリー展』-ムリーリョ『窓枠に身を乗り出した農民の少年』

2021年06月11日 14時40分42秒 | 美術館めぐり
2020年『ロンドン・ナショナル・ギャラリー展』
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/d3c60b7639793c80f5e1fb235df7525f

2020年『ロンドン・ナショナル・ギャラリー展』-フェルメール「ヴァージナルの前に座る若い女性」
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/1fcd83b9ba4353a10022cf95d67d9f4d

2020年『ロンドン・ナショナル・ギャラリー展』-モネ『睡蓮の池』
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/7025665ada494ffa56a9d9d51c8101c2

2020年『ロンドン・ナショナル・ギャラリー展』-レンブラント「34才の自画像」
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/8832c2cff2a7ac0c4db95dad8e656b25




バルトロメ・エステバン・ムリーリョ
《窓枠に身を乗り出した農民の少年》
 1673年-80年頃
 油彩/カンヴァス

 2015年『ルーヴル美術館展』で出会った「物乞いの少年」を描いたムリーリョの作品が二点、展示されていました。ムリーリョは庶民の子どもの姿を写実的に表現したスペインの画家。
つつましやかに日々の暮らしを営んでいるであろう農村の家の窓枠から身を乗り出した少年は、
やわらかく可愛らしい表情をしていました。3-4歳ぐらいでしょうか。こちらが幸せな気持ちに包まれるような、可愛い男の子でした。

バルトロメ・エステバン・ムリーリョ
《幼い洗礼者聖ヨハネと子羊》
 1660-65年頃
 油彩/カンヴァス

 こちらも可愛らしい男の子が描かれていました。聖ヨハネを子供の姿で現し、子羊は人類の罪をかぶるキリストの再生を表現しているという解説が書かれていました。愛らしく描かれた聖ヨハネ、公式HPの見どころ解説の動画でみることができます。

https://artexhibition.jp/london2020/highlight/


2015年『ルーヴル美術館展』_「物乞いの少年(蚤をとる少年)」
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/c5b704bed400abd7a815e64e5ee98ae6

 6月10日は国立西洋美術館の開館記念日でした。1959年、わたしより年上。国立西洋美術館は、『ロンドンナショナルギャラリー展』のあと、来年春までの予定で休館中。2008年にルーヴル美術館で絵画と対話するという体験をしたあと、何度も訪れた思い出の場所です。新たに開館するときにはどんな作品に出会えるでしょうか。その時には、穏やかな、つつましやかな日常生活の時間が戻ってきていることを祈るばかりです。


国立西洋美術館公式ツィッター
https://twitter.com/NMWATokyo





 絵画と関係ありませんが、宙組『エルハポンーイスパニアのサムライ』で真風さん演じる蒲田治道が最後に名乗ることになったのがバルトロメ。スペインに多い姓なのかな。

第四章OLという存在-③OLに求められてきた役割

2021年06月11日 08時08分49秒 | 卒業論文
 アメリカ人から見た日本のOL像は次のようなものである。
 
 オフィスレディまたは「お茶くみさん」に許される仕事は、来客をお迎えし、お茶を入れ、取り乱した上司を慰め落ち着かせ、お使いをし、来日したアメリカの女性エグゼクティブを案内するといった程度のことだ。次に秘書や一般事務の仕事が許される。もっとも、通訳のできる女性は管理職補佐ぐらいにはなれる。これが女性に与えられるほぼ一番高い地位だ。これ以上の地位に就くことはまずない。 1)

 ここで、熊沢誠の『女性労働と企業社会』の中からあるOLの退職の一例を紹介したい。1987年3月、高村由美(仮名)は高校卒業後入社した住友金属工業を約3年勤めた後退職した。理由は、「より高度な過大に挑戦しやりとげ、自分の成長を実感する・・・喜び」が、「一日の大半を過ごす職場生活の中に・・・全くなかった」からである。

 高村は入社後2,3週間新人研修を受けると、「中長期の経営計画や技術開発計画の立案、各製造所から申請された設備投資や遊休設備の廃却の承認、そして承認された各工事の予算面からの進捗状況の管理など」を業務とする「管理部企業課」に配属される。しかし、彼女の仕事は男性の補助業務、お茶汲みなどの雑務に限定された。例外的に1年目は、基幹的な男性の仕事をこなすこともあった。円高不況の当時、男性の担当者だけではこなせないほどの業務量があったからである。それは、高村が「在職中一番やりがいを感じた仕事だった」。しかし同時に、その仕事を良くこなすに必要な様々な設備の構造や役割に関する研修をOLは全くうけることがなかったことに気づかされる。その知識を会得させる懇切な指導もなく、わからないことにぶつかると、それまでやってきた起案は男性の担当者に回されてしまう。

 こうした例外的な時期が終わると、彼女の仕事は再び、頼まれた文章のワープロ、コピー、ファイル、出張手続き、勤怠管理、会議の準備や後片付けなど、補助業務と雑務に緊縛された。「かなり年配の女性たち」も含めて、能力や意欲にかかわらず、このように固い枠で区切られた補助業務・雑務を笑顔でこなすことが女性社員に求められる役割であった。さらに、給与水準が低かったこと、例えば宴会でOLはばらばらに男性、とりわけ管理職の横に座らされるよう強制されるといった「セクハラ的常識」もいやだったことなどが、高村を退職へと促した。

 長く勤めても仕事内容や賃金がさして改善されると言うわけではないと悟ったOLたちの対応は、実にさまざまであると高村は言う。退職してスチュワーデスに転職する人、またアメリカに留学する人・・・。会社に残る人のなかには、「仕事で能力を発揮する」ことを諦めて結婚・出産退職を待つ人もあった。はじめから結婚・出産退職を決めていたというよりは、そう考えるよう職場の体験が促したのだ。ストレスから過食になり、その後、拒食症になった女性もいた。「退職する前の私も・・・出勤すると倦怠感と気分の悪さに襲われ、帰宅するために会社を出るとスッキリすると言う毎日」だった。こうして高村は、入社4年目に入るとすぐ退職を決意するに至る(以上、住友金属裁判陳述書2000)。 2)

 高村が入社する数年前の低経済成長期、藤井治枝が引用している資料の中から、能力や意欲にかかわらず、OLに求められたのは固い枠で区切られた補助業務・雑務を笑顔でこなすことが求められたことがよくわかる論文を紹介したい。女性雇用労働者が増加した高度経済成長期も非正社員の雇用者が増大した低経済成長期も企業における女性への期待は男性とは見事に異なるものであった。例えば、企業人事担当者の本音としては「女子社員の仕事は基本的に男子社員のアシスタントだと位置づけているので、特に高学歴である必要は全くない。勤続年数の短い大卒よりも、長い高卒女子を雇ったほうが効果的」であって、終身雇用を前提としない女性労働に教育費をかけるリスクやライフサイクルの中核に職業生活を据えていない生活設計が非難されている。 3)

 女性労働者が職業生活をライフサイクルの中心に据えていないのは女性自身に問題があるのではなく、日本型企業社会が求めた男性社員のアシスタントと言う位置づけによって、ライフサイクルの中心に据えることを求められていなかったからだが、この論文にもこうした矛盾が見られる。また、一般男性社員の期待する女性像を見ると、(1)コツコツまじめに真の手足となる女子社員、(2)美人で計算の速い女の子、(3)ファイトのある女性であり、要するに、男性の手足として使える、かわいい女の子が理想とされている。 4) こうした女性労働者への期待は、女性を直接管理指導する立場にある中間管理職男性ではさらにエスカレートして、職場における「女房的役割」にまで拡大されてしまうのである。続いて、藤井が引用しているある大企業管理職の一人N氏の所信を紹介したい。

 まずN氏は、「男女は同権だが、同質ではない」と断じる。したがって男性並みの登用は、女性特有の能力を失わせ、結果として戦力化にならない。そして、女性に期待されるのは、男性の戦力の再生産と時代の戦力の育成を家庭で行うことである。したがって、職場でも女子社員に求められるのは、職場のなかに家庭的な魅力をかもし出すことで、激務にある有能な男性をやさしくチェックし、激しい商戦のなかにあっても自立力を失わないように、男性を引き戻す役割だ、という。さらに彼は、「女性の大量な社会進出の積極的な価値は、社会のさまざまな組織体の中に、自立の思想と、やさしさを進出させ、定着させることにあるのではなかろうか。それは『物の時代』から『心の時代』へと推移しつつある現代の大きな時代的要請と言えるのではなかろうか」と主張する。 5) また、実際にOLに求められる役割は、(1)女らしさを発揮して、まず雑用をこなすことが組織の中ではOLとしての前提条件であり、それは職場にやさしさと安らぎをもたらすものである。(2)単調な仕事の中から思わぬ発見をしていく能力はすばらしいものである。思わぬ発見の断片を集めて、やがてそれを自分の力で組み立てよう。それは、文字通りの創造であり、自立へつながる生き方である、という。

 そして、彼が最終的にOLに求めるのは、「そうした女性の職場におけるやさしに満ちた鋭い言動が、能率と効率をモットーに、ひたすら利潤追求に没頭するあまり、男性が時として見失いがちな人間的自覚を呼び戻す力となるのではなかろうか」であり、さらには「優れた家庭文化を創造して、荒廃して心の潤いとゆとりをもたらしてほしいのである」ということなのである。 6)

 上記に引用した論文から汲み取ることができるのは、OLは初めから組織の一員として考えられてはいないということである。それは、見事なまでの性別役割分業によって、企業利潤追求のために邁進するサラリーマンとこれをやさしくなぐさめ、陰で支える企業の中の母であり妻である女性への期待にすぎない。女性は、「性別に関係ない一人の労働者」としてではなく、明確に「男性ではない、女性役割を持った存在」として扱われてきた。日本型企業社会が女性に求め、また女性自身も内面化している問題に「女らしさ」ということがある。「女らしさ」とは、伊田広行が駒川智子の甲南大学修士論文「退職に誘われるOL」から引用しながら述べているところによれば、①可愛らしさ、控えめな態度、心遣い、真面目さ、若さの華やぎといった「女の子性」、②性的魅力のある「女性」、③子どもに対する「母性」などがある。職場に必要な単純作業を担う「基礎的能力」(ミスなく無駄なく時間内に仕上げる力)とこれら「女らしさ」はすぐれて「女の子性」つまり企業や男性が求める女性労働者像は、「女らしさ」及びそれと矛盾しない「基礎的能力」なのである。これを具体的に俗っぽくいうならば、「美人で気立てがよく気配りができ、男性をサポートする若い女性」を求めている。この意味でも、女性はフレキシブルな適応能力を求められる男性とは異なる扱いを受けてきた。7)

 これでは、女性が企業の中で自立した職業人として育成されるはずがなかったのである。初めから、一人の固有の労働者として女性労働者をみなしていなかったことが、女性の勤続の意思の希薄であることに反映されている。1979年に日本リクルートセンターセンターが行った「OLは何を考えているか」と意識調査の結果では、約60%がいずれ勤めを辞めるつもりで働いている、という結果であった。 8)

 では、辞めたらどうするのか。女性がその先を考えることは難しい。住友金属を退職した後、高村がどのような道を歩んだかは、熊沢の著書には記されていないが、男性が職業生活を中心に据えたプログラムを先に作っている人がいるために先を読むことが容易にできたのに対し、女性の場合には当時(1980年代)はまだ結婚して専業主婦になる以外の生き方の見本が少なかった。唯川恵も、「私が入社(ちなみに銀行では入行という)した時(1970年代)、3,4年勤めたら結婚するんだ、それが当然何だって思ってました。24歳。その頃の適齢期ですからね」 9) と述べている。

 先に見た論文が書かれた時から20年以上が過ぎている。しかし、女性労働者を「個」として認識していない企業体質は今も日本型企業社会の中に根強くあるように思う。今も無数の「高村」がいるのではないだろうか。筆者の友人で男性が多い職場において庶務的な仕事を行っている女性は言う。「私はモノの数に入っていない」。筆者自身、男性中心の会社の中で毎日行っているのは、基幹的な作業を担う男性社員を世話する「女房的役割」であり、「自分の仕事」をしているという自覚を持つことは難しい。仕事内容があまりにも切れ切れで細々しているからである。日本型企業社会が女性労働者に「個」としての役割を求めていないということは、年齢に関係なく、OLを「事務の女性」「女の子」と呼ぶことにも現われている。

引用文献

1) トレーシー・ワイレン/中川雄一訳「アメリカ女性が日本人と仕事をする心得」内橋克人・奥村宏・佐高信編『日本型経営と国際社会』198頁、1994年、岩波書店。

2) 熊沢誠『女性労働と企業社会』31-34頁、岩波新書、2000年。(傍点は筆者)

3) 藤井治枝『日本型企業社会と女性労働』169頁、ミネルヴァ書房、1995年。
   浮田千枝子「女子社員を活かす条件」『産業訓練』Vo1.27、日本産業訓練協会、
   1981年5月、35頁より引用。

4) 藤井治枝、前掲書、169頁。
   川原千寿子「キャリアガールの成功条件」『産業訓練』Vo1.25、日本産業訓練協会、
   1979年6月、6頁より引用。

5) 藤井治枝、前掲書、169頁。
    永田時雄「職場における女子社員に何を求めるか」
   『産業訓練』Vo1.25、15-18頁より引用。

6) 藤井治枝、前掲書、169-170頁。
    永田前掲論文、19頁より引用。

7) 伊田広行『21世紀労働論』64-65頁、青木書店、1988年。

8) 藤井治枝、前掲書、170頁。

9) 唯川恵『OL10年やりました』文庫版、5頁、集英社文庫、1996年(原著は1990年刊)。