「たんぽぽちゃん、五年生になるとむつかしい組立て体そうをするんですね、ゆう気がいるね、ほんとうにゆう気を出してやってください。私はピアニカの音は大すきです。もうすぐ買ってもらいなさること、うれしいね。
そして来年にはこてきにピアニカをふかれること、ぜひ、きかせてくださいね。△△のしょうえいどうをいう店で買うとよいと思いますよ。秋になって一バン良いきせつになりました。
運動に、勉強に、がんばってくださいね。夏休みはいろいろたのしかったことがあったでしょう。
それを思い出しては、また来年の夏をまちながら楽しくすごしてくださいね。
わたしも今いろいろべんきょうしています。
でもおばあさんになったので、おぼえてもすぐわすれてこまってしまいます。
自転車にのれるようになりましたか、なれたらあそびにきてくださいね」
1973年9月27日の消印。わたしは先生に暑中見舞いを書いたのでしょうか、たぶんそのお返事のはがきですね。運動神経のにぶいわたしの体育の成績はいつも1か2、運動会など大嫌いでした。自転車に乗れるようになったのもおそかったです。それでも今の状況下で振り返ってみると、運動会、修学旅行が当たり前のようにあったのは幸せなことでした。自転車を買ってもらうことができなことも、借金をすることなく高校に行くことができたことも、借金をしなければ高校に行くことができない子供たちがいることを知ると幸せなことでした。子供時代は幸せでした。こんなに孤独な日々が訪れるとは思いませんでした。わたしにとってとっくに異郷の地となっていた郷里に帰ることはありませんが子供時代の幸せな記憶があるからわたしはどうにか生きているのでしょうか。弟が打ち捨てた、大きな家は今どうなっているのか、わたしには維持管理していく力など到底ないので勝手なことですが気にはなります。暑くなってきたので処分しなければ惨憺たることになっていくのでしょうね。でもわたしにどうにかできる力はありません。大きな家一軒処分するなど大変なことです。母はまさか子供に打ち捨てられるなど思いもよらなかったと思います。買ってしまったのはいつか処分しなければならないなど考えたことはなかったと思います。なんとも切ないです。妹が自死して、母は統合失調症。子供の頃には思いもよらなかった試練の連続の人生となりました。今自分はなんのためにこの世にいるのかわかりません。それでも死ぬことはできないので、与えらた命の時間を生きていかなければならないと思っています。生きていたくても生きられない命があるのだからと言われます。そうすると自死を否定することになりますね、自死はいけないということになりますね、自死のむずかしいところです。なぜ妹が自死にいたったのか結局わかりません。なぜわたしの家族なんでしょうね、家族ってなんでしょうね、先生。答えを追い求め続けてきましたが答えはどこにもありませんでした。それでも生きていかなければなりません。
また居場所をみつけるために出向かなければなりません。コンビニでプリントアウトしてはまた直してコンビニでプリントして写真をとるために美容院で髪を整えてから写真を撮ってとやっていたら、たった2枚の書類を出すだけで一週間もかかってしまいました。昨年の夏と同じことをまたやっています。あと何回これを繰り返すのでしょうね、永遠にこれが続いていくように思えてしまいます。こうなっているのは結局全部自分がいけないのですがこうなってしまっているのだから仕方ありません。行きたくないので自分に鞭うって気持ちを奮い立たせなければ行くことができません。ものすごく緊張するし、これが得意で大好きという人はいないと思いますが、自分の長所はどこですか?とかきかれても模範的な回答など咄嗟に出てこないので本当に苦手です。入り込むことができたら万々歳など思っていません。それでも全く知らないところはもうきつくて、年金保険料のどっさり天引きから放免となるまでをフルタイムで生き延びていくためになんとか入り込めるといいなと思います。ささやかな稼ぎから二日分もガッツリ引かれてしまうのはいたいですが、それでも今はまだ週に21時間以上稼働しないとやっていくことができません。そのあとはパートで困っている子どもたちの力になりたいという気持ちもひそかに持ち続けてはいます。わたしよりも年配、高齢の方も書類を出しているようなので年金だけで悠々と生活できるのはよほど給与水準が高かった一部の方ということでしょうか。
コロナ禍の暗黒時代、なにがなんでもオリンピックは開催されるようです。わたしたちはどんな危険にさらされているのか、本当のことが全くわかりません。無事に生き延びていけるように高い空から見守っていてくださればと思います。
眠剤をできるだけ飲まないようにとがんばると夜が短いので、明るくなるまで眠れなくなってしまっています。今夜の分の眠剤一錠残しています。朝急ぎではありませんが今夜はすぐに眠れますようにと思います。
そして来年にはこてきにピアニカをふかれること、ぜひ、きかせてくださいね。△△のしょうえいどうをいう店で買うとよいと思いますよ。秋になって一バン良いきせつになりました。
運動に、勉強に、がんばってくださいね。夏休みはいろいろたのしかったことがあったでしょう。
それを思い出しては、また来年の夏をまちながら楽しくすごしてくださいね。
わたしも今いろいろべんきょうしています。
でもおばあさんになったので、おぼえてもすぐわすれてこまってしまいます。
自転車にのれるようになりましたか、なれたらあそびにきてくださいね」
1973年9月27日の消印。わたしは先生に暑中見舞いを書いたのでしょうか、たぶんそのお返事のはがきですね。運動神経のにぶいわたしの体育の成績はいつも1か2、運動会など大嫌いでした。自転車に乗れるようになったのもおそかったです。それでも今の状況下で振り返ってみると、運動会、修学旅行が当たり前のようにあったのは幸せなことでした。自転車を買ってもらうことができなことも、借金をすることなく高校に行くことができたことも、借金をしなければ高校に行くことができない子供たちがいることを知ると幸せなことでした。子供時代は幸せでした。こんなに孤独な日々が訪れるとは思いませんでした。わたしにとってとっくに異郷の地となっていた郷里に帰ることはありませんが子供時代の幸せな記憶があるからわたしはどうにか生きているのでしょうか。弟が打ち捨てた、大きな家は今どうなっているのか、わたしには維持管理していく力など到底ないので勝手なことですが気にはなります。暑くなってきたので処分しなければ惨憺たることになっていくのでしょうね。でもわたしにどうにかできる力はありません。大きな家一軒処分するなど大変なことです。母はまさか子供に打ち捨てられるなど思いもよらなかったと思います。買ってしまったのはいつか処分しなければならないなど考えたことはなかったと思います。なんとも切ないです。妹が自死して、母は統合失調症。子供の頃には思いもよらなかった試練の連続の人生となりました。今自分はなんのためにこの世にいるのかわかりません。それでも死ぬことはできないので、与えらた命の時間を生きていかなければならないと思っています。生きていたくても生きられない命があるのだからと言われます。そうすると自死を否定することになりますね、自死はいけないということになりますね、自死のむずかしいところです。なぜ妹が自死にいたったのか結局わかりません。なぜわたしの家族なんでしょうね、家族ってなんでしょうね、先生。答えを追い求め続けてきましたが答えはどこにもありませんでした。それでも生きていかなければなりません。
また居場所をみつけるために出向かなければなりません。コンビニでプリントアウトしてはまた直してコンビニでプリントして写真をとるために美容院で髪を整えてから写真を撮ってとやっていたら、たった2枚の書類を出すだけで一週間もかかってしまいました。昨年の夏と同じことをまたやっています。あと何回これを繰り返すのでしょうね、永遠にこれが続いていくように思えてしまいます。こうなっているのは結局全部自分がいけないのですがこうなってしまっているのだから仕方ありません。行きたくないので自分に鞭うって気持ちを奮い立たせなければ行くことができません。ものすごく緊張するし、これが得意で大好きという人はいないと思いますが、自分の長所はどこですか?とかきかれても模範的な回答など咄嗟に出てこないので本当に苦手です。入り込むことができたら万々歳など思っていません。それでも全く知らないところはもうきつくて、年金保険料のどっさり天引きから放免となるまでをフルタイムで生き延びていくためになんとか入り込めるといいなと思います。ささやかな稼ぎから二日分もガッツリ引かれてしまうのはいたいですが、それでも今はまだ週に21時間以上稼働しないとやっていくことができません。そのあとはパートで困っている子どもたちの力になりたいという気持ちもひそかに持ち続けてはいます。わたしよりも年配、高齢の方も書類を出しているようなので年金だけで悠々と生活できるのはよほど給与水準が高かった一部の方ということでしょうか。
コロナ禍の暗黒時代、なにがなんでもオリンピックは開催されるようです。わたしたちはどんな危険にさらされているのか、本当のことが全くわかりません。無事に生き延びていけるように高い空から見守っていてくださればと思います。
眠剤をできるだけ飲まないようにとがんばると夜が短いので、明るくなるまで眠れなくなってしまっています。今夜の分の眠剤一錠残しています。朝急ぎではありませんが今夜はすぐに眠れますようにと思います。