たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

戦後79年 軍隊の日々…得意の漫画に残した“特攻兵の思い”を加藤清史郎が取材

2024年08月17日 14時55分22秒 | 気になるニュースあれこれ

2024年8月15日日テレNEWS

戦後79年 軍隊の日々…得意の漫画に残した“特攻兵の思い”を加藤清史郎が取材|日テレNEWS NNN (ntv.co.jp)

「15日で終戦から79年です。漫画を描くことが得意だった少年が軍隊に入った後の日々の様子を、イラストに残していました。特攻兵となり、戦争によって未来を奪われた一人の少年の思いを、俳優で『news zero』水曜パートナーの加藤清史郎さんが取材しました。

一冊の本に描かれているのは戦時中の軍隊生活。射撃練習や飛行機の整備など、隊内での日々が軽やかに描かれています。

描いたのは、漫画が得意だった一人の少年、山崎祐則(すけのり)さん。特攻隊で出撃し、19歳で亡くなりました。

どんな人だったのか。妹の田所恭子さん(94)に話を聞きました。

山崎祐則さんの妹 田所恭子さん(94)
「『絵を描いて』と言ったら、すぐ描いてくれました」

加藤清史郎さん
「どんな絵を描いてもらっていたんですか?」

田所恭子さん
「だいたい漫画ですね」

今も残る、祐則さんが中学時代に描いたという漫画「風船行進曲」。そこには、風船で空を飛ぶ冒険物語が描かれていました。

加藤清史郎さん
「(色が)しっかりと残ってますね。かわいい絵だな」

祐則さんの夢は「空を飛ぶこと」。16歳の時に、海軍のパイロットを育てる「予科練」に志願しました。

田所恭子さん
「その頃は予科練にみんな行きたいし『僕は空や』というので、予科練にいきました」

祐則さんは入隊後も日々の様子を絵にしていました。ハンモックで寝起きし、飛び込みや相撲も。

漫画「予科練時代」より
「ハンモックから起きて。大変ダァ。朝礼に遅れてはならぬ」

家族宛ての手紙にも、愛らしいイラストとともに隊内での日々がつづられていました。

加藤清史郎さん
「すごく丁寧にハガキも、どれも絵が入っていますね」

祖母宛ての手紙より
「毎日の日課が楽しくてたまりません」

   ◇

そんな祐則さんを変えたのは、憧れの存在だった兄の戦死。父宛ての手紙には「兄上の仇(あだ)を討つ覚悟にござ候」とありました。

加藤清史郎さん
「祐則さんが、お兄ちゃんの敵をうつというのを、妹の田所さんとしては…?」

田所恭子さん
「つらいですよね」

それから“軍人としての覚悟”が書かれるようになり、得意だったイラストは次第に減っていきました。そして、戦争が激化する中、家族に届いた一通の手紙。実家の上空を自ら操縦する飛行機で飛んだことが書かれていました。

両親宛ての手紙より
「ご両親様。私が穴のあくほど家を見つめていたのを、虫の知らせでもご存じはないですか」

両親宛ての手紙より
「私の気持ちは、感激はしばらくの間、決して消える事は出来ませんでした。生きて会えるかどうかわかりません。しかし、家の上空二千メートルの近くまで、私は帰りましたよ」

これが、祐則さんにとって“最後の帰郷”となりました。

田所恭子さん
「特攻隊に出る前、うちの上を飛んだんです。どんな気持ちで飛んだか」

そして、1945年3月21日、特攻隊で出撃。入隊からわずか2年半後のことでした。

田所恭子さん
「行きだけの油しか積んでいきませんので、絶対帰れない。どれだけ向こうの軍艦をやっつけたか、それもわからんけど」

加藤清史郎さん
「(もし祐則さんが)その後も過ごしていたとしたら」

田所恭子さん
「漫画家になっていると思います」

漫画や手紙を通して祐則さんは、戦争の悲惨さ、平和の尊さを、後世に伝え続けています。

加藤清史郎さん
「『私はこんな気持ちでいっぱいです』ということがたくさんあるので、どんな生活をなさっていたのか伝わってくる。80年近くがたっているが、今もなお」

田所恭子さん
「(祐則さんが)おったらなあと思いますね。本当に戦争だけはしてはいけません」

(8月14日放送『news zero』より)」

 

加藤清史郎 Seishiro Kato | 「命を大事に。 人の幸せを自分の幸せにすることができれば、 きっと戦争なんか起きないんじゃないか。」 昨晩の『news… | Instagram

「そして昨日、2024年8月15日
日本は、第二次世界大戦終戦から79年を迎えました。
79年以上前に世界で何が起こっていて、
それがどんなものなのかを、改めて振り返り、
命について、頭を巡らせ、
昔世界で起こった、日本が起こした事実を今後も伝え続けなくてはならない。
そのためにもまず、知る、ということが必要なのだと、
改めて感じました。」

 

Xユーザーの鈴木 耕さん: 「特攻隊の死者数は約6300人と言われています。陸軍が2200人、海軍が4100人。そのほとんどが20代前半の若者たち。若くして航空技術を身につけた極めて優秀な人たちだったのです。彼らが生き残ったら戦後日本にどれだけ貢献したか。それを思えば、特攻隊を美化することなど許されません。」 / X

 

Xユーザーの特攻隊員の遺書botさん: 「【管理人より】 本日は79年目の終戦の日です。 昭和19年10月25日から昭和20年8月15日まで300日間続いた特攻隊の戦没者は、海軍2431名、陸軍1417名、計3848名(航空特攻のみ集計)となりました。 特攻隊員およびアジア太平洋戦争(大東亜戦争)の戦没将兵の御霊に謹んで哀悼の誠を捧げます。 #終戦の日 https://t.co/YWTuVu11hH」 / X

 

 


紅こうじ摂取後死亡、8割調査済 サプリとの因果関係確認できず

2024年08月17日 00時33分11秒 | 気になるニュースあれこれ

2024年8月15日共同通信、

紅こうじ摂取後死亡、8割調査済 サプリとの因果関係確認できず | 共同通信 (nordot.app)

 「小林製薬の紅こうじサプリメントを巡る健康被害の問題に関し、武見敬三厚生労働相は15日の記者会見で、摂取後に死亡したと同社が7月21日時点で遺族から相談を受けた97人のうち、約8割に当たる79人の調査が終了したと明らかにした。厚労省によると、摂取との明確な因果関係は確認されていないという。

 武見氏は自治体による調査の結果だとした上で「残りの18人についても調査を急がせたい」と述べた。厚労省に報告すべき死亡相談事例が11人分漏れていたことを小林製薬が13日に公表したことに関しては「遺憾だ」と述べた。

 厚労省によると、調査対象は8月14日時点では110人となっている。」

 

 

厚労省が小林製薬に濡れ衣を着せて紅麴から撤退させてしまいました。売上は大幅に減少、どう責任をとるのでしょう。

 

2024年8月8日MBSNEWS、

【速報】小林製薬「紅麹事業」からの撤退を正式表明 健康被害訴える問題受け 取締役会で決議(MBSニュース) - Yahoo!ニュース

小林製薬」の紅麹サプリを巡り健康被害を訴えている問題で、小林製薬は「紅麹」事業から撤退すると正式に発表しました。

 小林製薬は3月22日に紅麹関連製品にて一部の紅麹原料に想定していない成分が含まれている可能性が判明したことを発表し、紅麹関連製品に関して、使用中止や自主回収などの対応を行っていました。

 こうした状況の中で、重大な健康被害を引き起こすなどの影響等を踏まえ、8月8日に開催された取締役会で「紅麹」事業から撤退する決議をしたと発表しました。  

事業撤退後においても、健康被害に遭った顧客や取引先への補償、原因究明等の対応は進めていくとしています。  また、紅麹関連製品にかかわる製造ラインの問題点を全て洗い出し、再発防止策を講じることが企業としての使命であると判断し、これらについても継続して実施するとしています。」

 

2024年8月8日読売新聞、

小林製薬の最終利益14億円、紅麹問題響き81%減…6月中間連結決算(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース

小林製薬が8日発表した2024年6月中間連結決算は、売上高が前年同期比0・7%減の731億円、最終利益が81・7%減の14億円だった。「紅麹(べにこうじ)」成分入りのサプリメントを巡る健康被害問題を受け、特別損失として、製品回収の関連費用77億円と製造設備の減損損失2億円を計上したことが響いた。