たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

『エリザベートTAKARAZUKA20周年スペシャル・ガラ・コンサート』より-月影瞳さん

2024年08月30日 20時20分48秒 | 宝塚

『エリザベートTAKARAZUKA20周年スペシャル・ガラ・コンサート』より-湖月わたるさん

(公演プログラムより)

「‐ルドルフの人間形成の過程に関わる曲を丁寧に歌いたい‐

 宝塚で上演されると聞き、同期とウィーン版を観に行ったのが『エリザベート』との出会いです、重厚感、歴史の重みを強く感じました。星組版に出るにあたっては、毎日毎日が歌稽古で、喉には牛肉がいいと聞き、皆でお肉を食べていた記憶があります。少年ルドルフは、ウィーン版も東宝版も実際の男の子子が演じていて、トートが抱きあげたりしますが、さすがに宝塚版はないよねと。<ママ、どこにいるの?>は音の高低差が難しい曲なので、丁寧に歌おうと心がけていました。青年ルドルフの人間形成の過程がわかってもらえるよう、えまおさん演じるルドルフにバトンタッチできたら良いなと思って、毎日舞台袖でルドルフとトートやフランツ、エリザベートの芝居を観ていました。少年ルドルフの中には、トート、つまり死が来た時に恐れない、いつかは友達になるといって彼のところに飛び込んでいく好奇心と危うさ、ひいては儚さにも繋がっていくようなものがあるのだと思います。新人公演ではエリザベートをつとめさせていただき、同期の彩輝が演じるトートと組めたのが嬉しく、思い出に残っています。

 10年前のガラ・コンサートでは少年ルドルフとエリザベートを演じましたが、久しぶりの方々とお会いでき、とても楽しかったです。今回も毎日が充実していますし、皆さん本当に温かくて、刺激にもなります。

 自分の役者人生の原点である宝塚に感謝しながら、毎公演、楽しみたいです。」

 


父の亡くなった翌年・東日本大震災のあった年-2011年6月

2024年08月30日 18時54分28秒 | 祈り

「2011年6月1日(水)

有給休暇取得、じんましんが出たので〇〇医院を受診、

懇親会だとかうざったいので逃げた。銀行で通帳受け取り&貸金庫契約。」

 

「2011年6月4日(土)

〇〇医院でかゆみ止めの注射、ヘルスチェック・レディースで健康診断、

わかっちゃいるが疲れちゃった。体重は38.6Kg」

 

「2011年6月5日(日)

ALSOK工事、セキュリティ開始、停電と巨大地震がないかぎり安心度は高まった。がんばってグループにも顔をだした。私はどうしたらいいのか、自分で決めなければならない。あーあ逃げ出したい。我慢の代償を今どこに見出せばいのか・・・。」

 

「2011年6月7日(火)

有給休暇取得、『レ・ミゼラブル』18時15分~1階で観劇。すごい迫力で興奮してしまった。開演前に昼の部に出演していた島田歌穂さんを見かける。ほっそりとしていてきれいだった。」

 

「2011年6月10日(金)

苦渋の決断で契約更新を決める。私には合わないドライで変ちくりんなシステムへのストレスもあるが今はやむを得ない。足場を確保しながらできることをさがし続けよう。」

 

「2011年6月11日(土)

〇〇医院、13時~協生館で理工学部市民公開講座」

 

「2011年6月12日(日)

だるいし不安であまり眠れない。お昼寝でちょっと回復した。」

 

「2011年6月13日(月)~17日(金)

なんとなく元気がでないまま、相変わらず5時間あるかないかの睡眠時間でなんとかやっている。だるいし生理がきたがっているのにもうそれだけの力が体にはない。なんとなく不安で元気がでない。震災前と同じに戻ることなんかもうできないんだ。確実に現実は変わった。受けとめていかなければならない。」

 

「2011年6月18日(土)

美容院 15時~ カット&カラー おりものがあった。」

 

「2011年6月19日(日)

お昼寝で疲れを少し回復。でもだるい。なんだかうっとうしい。

フォーウィンズに3,000円振り込み。おりものがあった」

 

「2011年6月20日(月)

三田キャンパスでドキュメンタリー『幸せの経済学』

 localization

 ①経済を読みとく力 ②地産地消

 再生可能エネルギーへのシフト、石油への依存によってグローバライ

 ゼーションは成り立っている。経済ばかりでなく、政治・社会構造の

 あり方そのものが問われている。

その後、三田の家の懇親会に参加。」

 

「2011年6月21日(火)‐24日(金)

毎日おそくまで意味があるのかないのかわからないけれど仕事をしている。自分が納得できるように・・・。夜になると不安が押し寄せてきて落ち着かない。でも2時を回れば疲れているし、まあなんとか眠れる。荷物を減らしたい。でも休日にちょっと出かけたり本を読んだりすると全く進まない。減るまで落ち着かないだろうなあ。たくさん抱えているほどなくすことへの不安も大きくなる。でも本は買ってしまう。」

 

「2011年6月25日(土)

〇〇遺臣、おりものがあるので婦人科に行くよう言われたが行きたくない。左の胸だけがはっている。どっか悪いのかなあ。A井さんとハブでランチ、といってもやっぱり夕方まで話しこんでしまった。その後天一書房散策。

整骨院4,850円」

 

「2011年6月26日(日)

朝顔の栽培セットが届いた。なんとなく自分の中で脅迫観念にせまられているのは笑える。やっと原発の危険性を訴えた本を読む。落ち着かない。事態が収束して新しい方向性がみえてこその未来だ。今未来を真剣に考える気にはなれない。疲れるが今起きていることから目をそむけて生きていくこなどできないはずだ。どうしてケータイのゲームに夢中になっていられるのだろう。怒らないのだろう。ふしぎで仕方ない。」

「2011年6月27日(月)

梅雨寒、すごく体が冷えている。

有給休暇取得、三田キャンパスで復興を考えるシンポジウム。」

 

「2011年6月28日(火)-29日(水)

急に寒くなる。湿度も高くてきついなあ。早く原発落ち着かないかなあ。」

 

「2011年6月30日(木)

かなり蒸し暑くて朝からきつい。外はサウナ状態だ。夜フォーウィンズのセミナー、久しぶりに元気な、熱いW先生の声をきいた。はじめて被災地の生の声もきいた。きくだけで何もできていない私。時間は限られているのに本当にこれでいいんだろうか。そう思いながら何もできないまま時間は過ぎていく。」

 

 

 

 

 


【速報】日出町長選挙 無所属新人の安部徹也氏が初当選 現職を破る 大分

2024年08月30日 14時17分08秒 | 気になるニュースあれこれ

イスラム土葬墓地に断固反対の新人安部徹也氏が、建設を進めようとしている現職をやぶって当選しました。

 

2024年8月25日テレビ大分、

【速報】日出町長選挙 無所属新人の安部徹也氏が初当選 現職を破る 大分(TOSテレビ大分) - Yahoo!ニュース

「任期満了に伴う日出町長選挙は25日、投票と開票が行われ新人の安部徹也氏56歳が初当選を決めた。 開票結果は無所属・新人の安部徹也氏が8037票、無所属・現職の本田博文氏が4474票。安部氏は初当選。」

 

イスラム土葬墓地で揺れる大分・日出町長選告示 「容認」現職と「断固反対」の新人が激突

2024年8月20日産経新聞、

イスラム土葬墓地で揺れる大分・日出町長選告示 「容認」現職と「断固反対」の新人が激突 「移民」と日本人 - 産経ニュース (sankei.com)

「任期満了に伴う大分県日出(ひじ)町長選は20日告示され、いずれも無所属で、3選を目指す現職の本田博文氏(71)と、新人で元町議の経営コンサルタント、安部徹也氏(56)の2人が立候補を届け出た。町内では大規模なイスラム系土葬墓地の建設計画が進んでおり、本田氏は容認、安部氏は断固反対を訴えている。投開票は25日。

町では同県別府市のイスラム系宗教法人が、町有地約5千平方メートルを購入し土葬墓地79区画の建設を計画。すでに町有地の売却手続きが進んでいる。

地元住民らからは水質汚染や風評被害などへの懸念から根強い反対の声が聞かれるが、町長選の争点としては表面化していないという。地元紙は「進む計画、思いさまざま」などと報じている。

立候補した2氏のうち、現職の本田氏は「要件を満たせば許可せざるを得ない」との立場。一方で新人の安部氏は「将来的なリスクを考えれば建設すべきでない」と断固反対を表明しており、選挙の結果は建設計画の行方を左右しそうだ。

町選管によると、選挙人名簿登録者数は19日時点で2万3282人。」

 

ユーザーの山下俊輔(山下しゅんすけ)@起きる会 代表さん: 「食中毒458人 旅館の湧き水がノロウイルス汚染か 大分・由布市 08/17 https://t.co/uSlRNgTCD1 本田博文 日出町長が進める #別府ムスリム教会 による水源地から550mの #大分県 #日出町 イスラム教徒土葬墓地建設(遺体最大79基約5t/20年毎♾️,九州全域から)断固阻止」 / X

 

2024年8月17日テレ朝NEWS、

食中毒458人 旅館の湧き水がノロウイルス汚染か 大分・由布市 (tv-asahi.co.jp)

「大分県由布市にある「旅館 黒岳荘」で今月、食事をした客が発熱や嘔吐(おうと)などの症状を訴え、保健所の検査でノロウイルスが検出されました。

 患者は1歳から78歳で、18都府県の458人に上ります。

 症状を訴えた人のなかには、食事を取らず店で使われている湧き水を飲んだだけの人もいるということです。

 県は、湧き水がノロウイルスに汚染されている恐れがあるとして、持ち帰った人はこの水を飲まないよう呼び掛けています。

(「グッド!モーニング」2024年8月17日放送分より)」


『アンナ・カレーニナ(中)』-第三篇-31より

2024年08月30日 00時02分58秒 | 本あれこれ

『アンナ・カレーニナ(中)』-第三篇-17より

「リヨ-ヴィンは兄の話を聞きながら、なんといったものかと考えていたが、結局、うまい返事が思いつかなかった。どうやら、ニコライも同じことを感じていたらしい。彼は弟に仕事のことをいろいろとたずねた。リヨ-ヴィンも自分のことを話すのはうれしかった。それならなにも虚勢をはる必要がなかったからである。彼は自分の計画や行動を、兄に話して聞かせた。

 兄はじっと耳をすましてはいたが、どうやら、そんなことには興味がないらしかった。

 このふたりは肉親であり、互いにきわめて近しい間がらだったので、ほんのちょっとした動作や、声の調子だけでも、ふたりにとっては、言葉で表現しうる以上のことを語ることができた。

 いまや、このふたりには、一つの共通した思いが支配していた。それは、ほかでもなく、ニコライの病気とその死期が切迫しているという思いであり、それは他のいっさいの思いを圧倒していた。しかも、ふたりのうちどちらも、あえてそれを口に出す勇気はなかったので、心にかかっている唯一のことを口にした以上、もうなにを話しふけて寝る時刻になったのを、このときほどうれしく思ったことはなかった。彼はどんな赤の他人を相手にしているときでも、どんな公式的な訪問の際にも、今夜のように不自然で、わざとらしくつくろっていたことはなかった。自分が不自然にふるまっているという意識と、それに対する慙愧(ざんき)の念が、なおさら彼を不自然なものにするのだった。彼は死に瀕している愛する兄のために、涙を流したかったにもかかわらず、これから自分の生き方について語る兄の話に耳を傾けながら、相槌をうたなければならないのであった。

 家の中は湿っていて、暖炉を焚いている部屋は一つしかなかったので、リヨ-ヴィンは自分の寝室に仕切りをして、兄を寝かせることにした。

 兄は床についたが、眠ったのか、眠らないのか、ときどき病人らしく、寝返りををうっては咳ばらいをしていた。咳ができないときには、なにかぶつぶつつぶやくのだった。ときには重々しく溜息をついて、「ああ、神さま!」といったり、また痰で息がつまりそうになると、いまいましそうに、「えい、悪魔め!」と舌うちした。リヨ-ヴィンはそれが耳について、長いこと眠れなかった。彼の頭に浮んだ思いは、種々雑多であったが、どんな思いも帰するところは、ただ一つ-死ということであった。

 すべてのものにとって避けることのできない終末である死が、今はじめて抗しがたい力をもって、彼の前に現われた。そしてこの死は、彼の前に夢うつつの中でうめきながら、つい習慣から、神と悪魔をかわるがわる無差別に呼んでいる愛する兄の中にひそんでいる死は、けっしてこれまで彼が考えていたように、縁遠いものではなかった。そうした死は彼自身の中にもいるのだった-彼はそれを感じた。それはきょうでなければあす、あすでなければ30年後のことかもしれなかったが、それでも結局は、同じことではないか! では、この避けることのできない死とは、いったい、なにものであろうか、彼はそれを知らなかったばかりでなく-かつて一度も考えたことがなかった。いや、それを考えるすべも知らなければ、考えるだけの勇気もなかったのである。

《おれは今働いている。なにかをしでかそうと欲している。しかし、すべてのものには終りがあるということを、死というものがあることを、すっかり忘れていたのだ》

 彼は暗闇の中でベッドの上に起きあがり、上体をかがめて、膝をついたまま、はりつめた思いに息さえ殺しながら、じっと考えこんだ。しかし、彼がはりつめた思いになればなるほど、ますます次のことがはっきりしてくるのだった。すなわち、それは疑いもなく、そのとおりなのであり、人生におけるたった一つの小さな事実-死がやってくれば、すべては終りを告げるのだから、なにもはじめる値うちはないし、しかも、それを救うことも不可能なのだ。自分はこの事実を忘れていたのだ。ああ、それは恐ろしいことだが、事実には違いないのだ。

《それにしても、おれはまだ生きてるじゃないか。もうこうなったら、なにをしたらいいのだ。いったいなにをしたらいいんだ?》彼は絶望的な調子で叫んだ。彼はろうそくをともして、用心ぶかく立ちあがり、鏡のところへ行って、自分の顔や髪の毛をながめはじめた。ああ、鬢(びん)には白いものがまじっていた。彼は口をあけてみた。奥歯はだめになりかけていた。彼は筋骨たくましい腕を出してみた。いや、まだ力はたくさんある。しかし、今あすこに横たわって、むしばまれている肺の一部でやっと息をしているニコライだって、かつては健康な肉体をもっていたではないか。ふと、彼は昔のことを思いだした。ふたりは子供の時分いっしょに寝ていたが、フョードル・ボグダーヌイチが戸の外へ出て行くのを待ちかねて、お互いにまくらを投げあい、大きな声できゃっきゃっと止めどなく笑いころげたものである。フョードル・ボグダーヌイチに対する恐怖さえも、この生の杯の縁をあふれて沸きたつ幸福の意識を、おさえることはできなかった。

《それなのに、今ではあのひん曲ったような空洞な肺だけが・・・いや、このおれも、なんのために、どんなことが自分の身に起るか、それさえ知らないでいるのだ》

「ごほん!ごほん!えい、悪魔め!なにをそこでごそごそやってるんだい、眠れないのかい?」兄が声をかけた。

「ええ、どうしてだか、眠れなくって」

「おれのほうはよく眠ったよ。このごろはもう寝汗もかかないよ。ちょっと、シャツにさわってごらん。汗をかいてないだろう?」

 リヨ-ヴィンはシャツにさわってから、仕切り板の向うへもどり、ろうそくを消した。が、それからもまだ長いこと寝つかれなかった。いかに生きるべきかという問題がようやくいくらかはっきりしてきたかと思うと、たちまち、解決のできない新しい問題-死が現われてくるのだった。

《ああ、兄さんは死にかけている。きっと、春まではもたないだろう。じゃ、いったい、「どうやって救いの手をさしのべたらいいのか?兄さんにはなんといったものだろう? この問題についておれは、なにを知っているというのだ?》」

 

(トルストイ『アンナ・カレーニナ(中)』昭和47年2月20日発行、昭和55年5月25日第16刷、新潮文庫、208-212頁より)