たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

2009年『ルーヴル美術館展』より-《受胎告知 聖母》

2022年03月05日 01時04分36秒 | 美術館めぐり
カルロ・ドルチ
(1616-1686)
《受胎告知 聖母》
1653~1655年頃?
油彩、カンヴァス
52×40cm

(公式カタログより)


「《受胎告知 天使》と対をなす本作品は、キリスト教の教義によると、人となった神、キリストの母マリアを描いている。華奢な少女が少しばかり幻覚に捉えられ、ともかく熱心に、天使の祝詞と神のお知らせに聞き入っている場面であることは問うまでもない。

 この種の信心深い動画は、確かに、17世紀のカトリック信仰を方向付けたトリエント公会議(1545-1563)の指示に沿っていたとはいえ、決して一般の顧客層のためのものではなかった。ゆえに、信者が群れをなして、このような聖人のイメージを崇めに来る姿を想像するのは誤りであろう。むしろ、絵画の技量が発揮されるような場所やその鑑賞者として、個人礼拝堂や、選ばれた貴族の環境を思い浮かべる必要がある。知ってのとおり、カルロ・ドルチは、メディチ家に庇護されていた。

 さらに、描かれた聖母が内にもつ単純さは、ドルチや彼の注文者が称賛した美の典型について考えさせられるものである。すなわち、永劫に変わらぬものであろうとしているが、美しく、時代にしっかりと根を下ろし、明確かつ独特な17世紀フィレンツェの感性と、ドルチ自身が得た一時的な洗練の賜物であることが推察される。この観点からみると、ドルチが肖像画制作の質の高さにおいて抜きん出ていたことは注目されよう。肖像画家の描く宗教像はきわめて興味深い。そこでは、個性の描き分けに慣れた画家が、突然、抽象化や一般化を、つまりは例外よりも原則を目指す様子が認められるからである。

 そのため、ドルチが本作品で表わしたような、気品に満ちた身体表現の雄弁さが注目されてきた。ただ祈りのために合わせる行為しかしてこなかったように思われる聖母の両手は、巧みな理想化の結果である。すなわち、ぼかされた関節のあるほっそりした指、かろうじて半月の見える丸い爪、そっと握りしめられた、若さと活気と気持ちの高ぶりを物語る肌である。マリアの頭部を囲む輝かしい光輪や、合わされた手は、栄光という以上に、聖書のドラマを演じるヒロインが捉えられた崇高な感動を示している。ヨーロッパの宮廷は、このようなイメージに夢中になり、スチュアート家の英国で熱心にドルチ作品が収集された。」

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