たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

ざわついた一日でした

2020年01月16日 23時04分03秒 | 日記
 三連休明け、一番寒い季節、左のふくらはぎは痛み、右の股関節はしびれのくる状態は続いています。無事4月を迎えたら安い高速バスをつかってまた都心にいこうと思っています。日比谷のチケットが入手できれば観劇と共に、一年間働いたところを訪ねてみたり、コンタクトレンズを処方してもらうために眼科へいったりしたい、時間はできるから事前にホームページ確認してからなんどか治療を受けた整体か整骨院に行ってみようかな。郷里近郊にもないわけではなさそうですがどこへいけばいいのかわからず選択肢もかぎられているので知らないところへ行くのがこわくていけていないです。勝手がわかっているエリアの方が行きやすい、なにもかも一気に変えてしまうとこういうリスクが大きかったですね、わかっていませんでした。契約終了まで二カ月半となりましが家から通勤がきつくてきつくてやり遂げられるか不安と背中合わせの日々。テーボーの信号のない横断歩道で車がとまってくれずビュンビュン目の前を走り抜けていくのに今日も朝から恐怖と涙。荷物を運ぶ中型?や大型車は特にとまってくれることはほとんどなく、ばんばん走りぬけていきます。右の普通車は止まってくれても左は坂になっているので視界にはいるのがおそくて止まれないのか無視されることも多いです。救急車がすごく優しくとまってくれたことがあることを思うとスピードの出し過ぎに注意していてとまる気があればとまれるんでしょうね、信号がないのをいいことにビュンビュン、車に乗らない奴は通るなよと言われているみたいでなみだ、なみだ。

 電車に乗れば、名前をきいてもどこにあるのかわからない駅で事故があったもようでしたが車内アナウンスあったのは乗って二つ目の駅を出発したあとぐらいのタイミングだったかな、おそすぎだと思いました。早くてもおそくても他に選択肢はないので同じですが帰省してはじめて遅延証明書をもらいました。慣れていないからだけだと思いますがなんだかすごくヘンな感じでした。このあたりの地域性に自分ほんとに疎いなと知りました。読み方がわからない漢字ばかり。就労するにしては地域性をわかってなさすぎ、長い間離れていたのでいろんな意味で慣れていくのきつい、暮らしていくのきついとまた思いました。私が知り合いだったなかに都心から地方へ移住した人少しいましたけど今どうしているんしょうね、うまくいっているんでしょうか、それぞれなんでしょうね。慣れない地域の慣れない電車で朝から事故は疲れました。30分ほど遅れて出勤、気がつけば電話対応にあたふたで目の前の書類の確認がほとんど進んでいませんでした。たくさんのことがある中で、専門性の高い、こみいったことはささっと答えられないのですよ、仕方ないです、ごめんなさいです。数字よりもああ今こういう状況で困っているんだろうなあ、大変だろうなあ、力になれることがあればなりたいなあと気持ちがひそかに動くことのケースワークをやりたいと思いました。その前に住まいと収入を確保できるのか、その前に体がきつい、歯の治療というより矯正もせねばなのですが、うーん。なんども宝塚大劇場に日帰りでいくことができたのだから、帰ってこなければよかったという思考回路はやめましょう。こうして断捨離を思い切ってやるタイミングは人生に必要だったのだからやめましょう。

 明日雨は夜になってからなのかな、自転車はすごく寒いですが就労場所は扇風機を回しているぐらい暑いのであったか下着にセーターを着るということができず、薄手のものを8枚ぐらい重ね着。きびしいです。なんとか無事に生き延びられますように・・・。

1月半ばまできました

2020年01月15日 19時33分26秒 | 日記
 わたしの初詣は東京宝塚劇場の宙組公演だった2020年の始まり、なんとか1月半ばまできました。日昨年6月就労を開始した頃の、あからさまに悪口、うわさ話がきこえてきたつらさを思うとよくここまできたなあと思います。一日一日、ほんともう無理、明日はもういけないかもしれなくても自分を許そうと3ヶ月ぐらい、いやもっとかな毎日揺れ動き続けました。折り返し地点をすぎて残り二ヶ月半、きこえないところでは今も悪口言われているのかもしれませんが、なんどきいても忘れてしまうことを、どうすればいいんでしたっけ?どこをみたらわかるんでしたっけ?ときけるようになったのはそうとうにマシな状況です。どこまでが地域性でどこからが個々人の資質なのかわかりませんが、不満を募らせてストレスがたまって仕方ない女性たちの、毒を吐き出すような会話は連日続いています。寄るとだめですね、ほんとに。協力しあってるのか足をひっぱりあっているのか、相変わらずよくわかりません。空き時間ができると窓口からみえるエリアでおしゃべりしたり、スマホみたり。仕事できるから上司は注意できないのか、しない体質なのか、別に許されてしまうものなのか、不思議です。ある非常勤の女性は子供のお受験で休みをとることが多くなっていて、てっきり仕事できる方でやるべきことはやって休んでいるのかと思ったらそうでもないらしく、隣同士でいるときはものすごく仲良さそうにおしゃべりしているその女性たちが、当人時間給とって早く帰った時はあからさまに不満を口にしています。机の引き出しあけて、これもあれもできていないどうなっているの、こんなことが許されるの、っていう感じで。それで最終的に職員たちができていないところを全部カバーしているっぽい、こわいですね。この空気、なんでしょう。狭い地方、自分もどこで見られているかわからないし、どこでなにを言われているかわからないので余計なことはなにもいわないにかぎります。わたしは休んだ分ボランティア残業をして全部自分でカバーしています。非常勤の方々が少しでも時間外になると気にされているのに、わたしはもう完全に見過ごされていても気にしません。とにかくあと三回お給料をもらうために、交通費を返さなくてもすむように与えられた役割を全うすることを目指すのみ。駅と最寄り駅の間の道のり、とにかく心して車に気をつける、考えごとして気を抜けない、自転車も人も暗闇から突然わいてくることを忘れてはいけない、朝雨できついようだったら遠慮なく時間給とってしのいでいく、どうか雪がふりませんようにと祈りながらの毎日です。

 それにしても地方は中核都市といっても高齢者もばんばん運転していますね。自分の父親も80代半ばまで運転していて、免許証返納したら翼をもがれた鳥でどこにもいけなかったの知っているのだから今さら驚くことではないはずなのにあらためて驚きです。池袋の事故があったからでしょうか、たまに返納したという方もいますが駅周辺もどこもかしこも車、車。今は車の運転がゴーカートに乗っているような感覚ですごく簡単になったとか。誰でも運転できるように車が改良されてきたことがはたして正なのか。車がないと生きていけない社会、なにもまた遠いところにいかずとも運転すれば行動範囲がひろがって便利だと思える、運転すればいいのにと同級生から勧められますがわたしが運転することはありません。少しでも不安がある人は運転しないでほしい、遺族となったお父さんのことばを真摯に受け止めます。眠剤と刈るけど抵精神薬をのんでいる人が運転してはいけないし、便利であると同時にいつでも凶器になり得る乗り物だということを忘れてしまう人間のおごりをわたしはすごく感じてしまっていていやだなあと思います。運転しないかぎり郷里近郊で生きていくことはできない、また旅だっていかなければ生きていけないという確信、さみしいです、すごくさみしいですが妹が自ら旅だった家にはいないほうがいいみたいです、寂しいですけどね、少しずつ荷物減らして身軽に生きていくことを目指します。

 その前に今週が無事にすぎていくことをまず目指さなければ・・・。





 

なんとかなると信じる

2020年01月14日 23時14分09秒 | 日記
 三連休明け、火曜日なのは嬉しいです。今日もそれほど忙しくはなかったですが気がつけば人がいなくて電話応対でばたばた。ほんとにむずかしい内容だと思いました。初歩的なことならすんなり答えられるようになりましたが、今日もまたこんなに専門的な内容に、数カ月の経験ですんなりまんべんなく回答できるはずなどなく間違ったことは言わなかったですが十分説明できなかったけれど仕方ないと思うことがありました。たままたわたしが電話を受けてしまった相手には申し訳ないですけどわからないわたしがささっと答えられるのはそこまで。むずかしくて頭に入りきらないです。それでやっているのでごめんなさい。4月から全く収入なしというわけにはいかず、でも郷里近郊で居場所をみつけることは無理だし、みつけたいという希望も持てなくなっている自分は何をしても、どこにってもだめな奴なのかと落ち込みますがそんなことはない、こんなにむずかしいことを、メンタルやられてるっぽい人たちに囲まれながら、死んでやるとか電話口で脅し文句を言われながら、ここまでやってきているのだからそんなことはないはず。また社会から孤立していいはずはないですがでも家から通勤は無理だと確信したので今は無事に3月末を迎えることに精一杯で身動きとれずです。車がうなりをあげながら真っ暗な道路をがんがん走り抜けていくのがただただ怖くて今日も涙、昨日お風呂屋さんに行く途中の薄暮もあぶなかったです。自転車がいるとかほぼ運転手がたぶん思っていないので一旦停止なんかしないで曲がってきたりするの、〇〇〇ナンバーの車らしい走り方?ほんとにあぶない、また悲鳴あげました。車と相撲をとったら命がなくなるのでひたすら気をつけるよう心すべしと自分に言い聞かせています。まだ死ぬわけにはいかない、雪組日帰りバスツアー、紅ゆずるさんのコンサート、まだチケットないですけど一路さんの舞台、清史郎君の舞台が待っています。どこにいくのも車がビュンビュン走る脇を走らないといけないのは危なすぎてほんとにこわい、少し気をゆるめると衝突事故になりそうなので心して自転車に乗る。緊張しっぱなしで瞳孔ひらきっぱなしですけど仕方ない。4月になったら今さらかもしれないですが一年間働いた神奈川の就労場所を訪ねてみるのもありかなとふと思ったりしています。2カ月あけてのアルバイト継続断ってしまいましたが家の荷物整理のために帰省は必要でした。気がすんできたら、その力が自分にあるのかわかりませんが公共交通機関だけで暮らせるエリアに戻りたいです。車でしか生きられないところではどうしようもない、哀しいことなのかもしれませんが生まれ育ったところでは生きていけないという確信にいたった一年間。先がみえないの不安ですが生きていればなんとかなると信じていくしかないと言い聞かせます。一年前宝塚観劇の殿堂で、生きてさえいればなんとかなると背中を押してくれる『AnotherWorld』の康次郎さんの舟に乗ってきたから大丈夫、紅さんの縁起物はハッピーオーラにあふれている、紅さんは運と幸せを引き寄せる力をもっている人だからそういう人のコンサートにいく自分はきっと大丈夫・・・。


 ほぼ毎日のように、少しずつちがう、かっこよくてかわいくて美人で超端正な紅さんの写真があがってくるのをみると沈み込んだ気持ちがあがります。柚希礼音さんとビール飲んでる姿なんて在団中はありえなかったので退団も悪くないのかも。人生の再スタート、こんなヘンテコおばさんですが自分もさらなるスタートへの道を歩み出せると信じながらついていきますよ。

(画像はツイッターから拾いました。)
 



 

月組『エリザベート』_思い出し日記(2)

2020年01月13日 23時41分12秒 | 宝塚
2019年10月6日:月組『エリザベート』思い出し日記



2018年11月16日蘭乃はなちゃんの公式ブログの『エリザベート』観劇日記を引用させていただきます。
https://lineblog.me/ranno_hana/archives/1443923.html

蘭ちゃんの宝塚観劇ブログ、毎回文章が素敵。演者だった人はこんな見方をしているのか、ふむふむと目からウロコです。


「ちゃぴ(愛希れいかさん)の卒業公演。
娘役トップ時代を共に過ごした仲間であり色々な話題を共有できる友人。
ちゃぴのエリザベートはしなやかで繊細で、シシィを演じることや舞台に立つことへの喜びが光となって放たれてるようでした。歌もお芝居も、そして最後のデュエットダンスも本当に素晴らしかったです。明後日の千秋楽まで無事に過ごせますように。

トートの珠城さんは、さすが珠城さん!という感じで…というのも彼女は(いや彼は)下級生の頃から色んなものが見えてて気づいてる人なのだろうと思っていたのですが、それが魅力的に役に反映されて、エリザベートのことも見守ったり導いたり気づきを与える存在にも見えて、さらにトート自身の見てるものを誰とも共有できない孤独とか悲哀を感じて、大きな愛を持った孤高の人だったのが印象的で素敵でした。

フランツの美弥さんも、ルドルフに通ずるような危うさや甘みがあって父と息子という部分やシシィとの関係性の説得力が素晴らしかったです。今まで多くの方々が演じたきた役にまだこんな解釈や表現があったのか!と目からウロコでした。」


 郷里の生活に適応できず、家に戻ってしまったことがここまで自分を苦しめることになることを全く分かっていなかった自分は人生を間違えたのか、なんでもっと人生設計をしなかったのかと自分を責めづつけるこの頃、昨夜からとつぜん『エリザベート』の中の、「計画どおりうまくいくわけがない、予定どおりうまくいかない、番狂わせ、面白い」がリフレイン。第一幕第六場バート・イシュル エリザベートの姉ヘレネとフランツ・ヨーゼフを結婚させるためのお見合いだったのにフランツがダンスの相手に選んだのは妹のエリザベート。マザコン皇帝のフランツが唯一母の意見に従わなかったエリザベートとの結婚。大帝国が沈みゆこうとしていることなどしらないハプスブルク家をストーリーテラーのルキーニが嘲笑うかのように歌う場面。歌うまでも音をとるのかすごくむずかしい場面。『エリザベート』の楽曲はどれもほんとに素晴らしくて耳に残ります。その中ではちょっと色が違う楽曲かもしれません。エリザベートとフランツが静止状態でゾフィー、ルドヴィカ、驚いた親せきたちが歌い踊ります。

 フランツがエリザベートを選んでしまったことはエリザベートを不幸にしてしまったのかもしれない、さらに長男ルドルフをも心中という最期に向かわせてしまったのかもしれない。2時間半の舞台では描かれていませんがエリザベートが唯一自分の手で育てることができた末娘は幸せな結婚生活を全うしたというのが救いかもしれない、二人の結婚は間違っていた、二人の間に子どもが誕生したことも間違っていた、そんな現実はこうして大きな歴史のうねりの中にも横たわっているわけでそれが国の行き先をも変えてしまったかもしれなかったわけで、こういうことを考え始めると終わらなくなってしますのですが、人生は計画しても計画どおりうまくいかないことの方が多いことを歴史がおしえてくれているのだという納得。今さら自分の人生の計画性のなさを責めても仕方ないのかと自分を慰めているしだい。歴史は、理屈どおりにはいかない人の営みを映し出している鏡なのかもしれません。生きるってむずかしいですね、ほんとに。

 宝塚の『エリザベート』はトートがいつもずっとエリザベートを見守っているところがあり、たまきちトートは蘭ちゃんがつづっているように特に見守っている感じがよくでていかもしれません。トートの大きな懐のなかで、トートが見守っていることをしらいなまに生きることをもがき続けたエリザベート。最期は二人で昇天していくところがオリジナルに忠実な東宝版と決定的に違うし、フィナーレのショーとダンスでほっとしながら夢の世界へと誘ってくれるとことが宝塚のありがたいところ。やっぱりキラキラの夢世界。

 次々とおそいかかる人生の困難に耐えて耐えて耐え続けて、しゅくしゅくと皇帝という与えられた役割をまっとうしたフランツは、人生そのままに舞台でも途中から登場したり途中で退場したりすることが多くすごくむずかしい役だと高嶺ふぶきさんがどこかで語っていたと思います。大きく歌い上げて発散できる場面はひとつもなく辛抱のいる役、麗しさと優しさと危うさと色気をにじませながらの美弥るりかさん、すばらしい体現ぶりでした。昨年4月に退団されたので今さらですが大劇場では喉を傷めて休演された期間があったので東京公演では無事全日程つとめられてよかったです。

 東宝をさんざん観劇したあとでの20年ぶりの宝塚の『エリザベート』、月組は歌が上手いというよりは芝居の月組のエリザベートを観たという印象だったでしょうか。専科の出演もなくお父さん役も組子がこなしていて若いなあとは思いましたが違和感のないあたりさすが芝居の月組。エリザベートが「わたしだけに」を歌い上げているときセリにのったベッドがおりると盆が回ってトートが姿を表すところがいちばん宝塚の『エリザベート』をみているんだという醍醐味を感じさせてくれるところで初演から大好きです。

 日比谷が遠くなり、あれほど通った帝国劇場の『エリザベート』もすっかり遠くなりましたが、宝塚も東宝も永遠に自分の中で特別な作品かもしれません。








一昨年のこと、まだ書き入れていないの・・・。

2009年『THEハプスブルク』より_《フランツ・ヨーゼフ1世》

2020年01月13日 16時21分47秒 | 美術館めぐり
 『THEハプスブルク』展、2009年9月25日から12月14日まで六本木の国立新美術館で開催されました。『エリザベート』が宝塚で1996年に初演、東宝で2000年に初演されていたので盛り上がりました。音声ガイドは東宝『エリザベート』でルキーニ役をシングルキャストで長く務めた高嶋政宏さん。ようやく分厚い本を読みながら少しずつ振り返り。

「実質的にハプスブルク家最後の皇帝として玉座についたのが、フランツ・ヨーゼフである。生真面目すぎて魅力に欠け、仕事ぶりも勤勉な官僚そのもの、おかげで人気は薄いが、しかしその一生を振り返ったとき、運命はまるで彼の地味な性格を補うかのごとく、実にドラマティックな出来事を次々繰り出してきた。

 フランツ・ヨーゼフは古めかしい小説の清廉な主人公のように、さまざまな難事や敵の仕掛ける罠をくぐりぬけ、あるいはひたすら耐え続け、決して自暴自棄にならず、ショックを受けて人格が変わることもなく、仕事の手を止めることはさらになく、歴史における自らの役割と淡々とこなしていった。

 18歳での戴冠だが、まずそこからして異例だった。なぜならフェルナンド一世が世継ぎを残さず亡くなったとき、次は当然、継承順位一位の実弟カール大公に王冠がゆくと誰もが思った。ところが「無能な人間ではだめだ」と、他ならぬカールの妻ゾフィーが強力な横槍を入れる。後に「ハプスブルク家唯一の<男>」と呼ばれる猛女ゾフィーは、こうして自分の夫を蹴落とし、可愛い長男フランツ・ヨーゼフを皇帝に仕立て上げたのだ。そのためフランツは生涯、母に頭が上がらなかったと言われるが、むしろ母の政治力に頼ったというのが本当だろう。国民感情が王制廃止へと向く中、颯爽と登場した若き皇帝は-ゾフィーの思惑どおり-人々の心を、一時的とはいえなだめることができた。

 孝行息子のフランツが母に逆らったのはただ一度、自らの結婚相手の選択においてだった。ヴィンターハルター描く《オーストリア皇妃エリザベート》を見ると、フランツの燃える恋心も納得させられよう。とはいえ長い目でみてこの結婚が正しかったかどうかはわからない。少なくとも幸せな夫婦生活ではなかった。エリザベートは窮屈な宮廷に窒息させられ、四人の子どもを生んだあとは(ひとりは早逝)、カイザーリン(=皇后)ならぬライザーリン(=旅人)と揶揄されるほど、旅から旅の日々を送り、夫や宮廷をほとんど顧みなかった。

 フランツ・ヨーゼフは妻の支えなく、難局に立ち向かう。オーストリア・プロイセン戦争で大敗し、ハンガリーの半独立を譲歩し、イタリアからも撤退するなど、帝国の領土は減ってゆく。私生活でも、メキシコ皇帝になった弟マクシミリアンの処刑に続き、一人息子ルドルフのマイヤーリンクでの心中という悲劇が襲う。

 ハンガリーを代表する画家ムンカーチの手になる老皇帝の肖像からは、義務にがんじがらめにされた男性の、ひとつの典型を見る思いがする。この時点ですでに十分痛ましいのに、二年後にはエリザベートのスイスでの暗殺が控えていた。皇后死去の報を受けた彼は「わたしはもうあらゆる辛酸をなめ尽くした」とつぶやき、仕事にもどったという。まだ終わりではない。後継者に選んだ甥のフェルディナント皇太子夫妻まで、セルビアで暗殺される(これが第一次世界大戦の引き金となる)。

 在位68年、激動のヨーロッパ情勢を鑑みれば、よくぞ続いたという長さである。フランツ・ヨーゼフは半ば気づいていたのではないだろうか、自分は王朝終焉の役割を担わされた身なのだと・・・。」

(家庭画報特別編集『ハプスブルク美の遺産を旅する』より)




ハプスブルク家「美の遺産」を旅する 改訂新版 (家庭画報特別編集)
南川三治郎
世界文化社

宝塚歌劇の殿堂より_宙組『オーシャンズ11』

2020年01月12日 23時02分26秒 | 宝塚












































苦悩していた日々を思い出す_実習記録ノートより(10)

2020年01月11日 20時23分39秒 | 祈り
「平成18年11月12日(日)晴れ、実習7日目


 実習の前半で、母を思い、妹を思い、心の中で葛藤を繰り返した。一週間ほど前、母の診断名が精神分裂病であることを弟から聞いた。母に幻聴や関係妄想といった症状が出てから17年ほどが過ぎ、ようやく診断名を知る勇気をもつことができた。○○○○での6日間の実習による葛藤があったからこそかもしれない。妹が不幸な最期をとげたことも相まって私はこの10数年もの間自分を肯定することができなかった。だが今ようやくそんな自分にひと区切りをつけることができるかもしれない。「おねえちゃん、もう十分苦しんだからいいんじゃない」そんな妹の声が聞こえてくる気がする。私は私に与えられた時間を十分に生きること。それでいいのだとようやく思えるようになった。


 私がもしPSWとして私に出会い、相談をもちかえられたとしたら、私はどんな手をさしのべることができるのか。こうすれば絶対に正しいという答えはどこにもない。幸せはそれぞれの心の中にあるものだ。PSWとしてできることは本当にささやかなことかもしれない。人を援助していくことの難しさを感じ始めている。


 実習7日目、なにかをしなければ・・・というかまえを取り払って、楽な気持ちでのぞんでみると、利用者さんたちの声がとてもよくきこえてくる。常連の方たちはそれぞれに自分の居場所と過ごし方を見つけて、自分の家に帰ってくるようなつもりで楽しんでいあるようだ。おのずとルールが存在し、気を遣い合いながら、それぞれが自分の世界の中で過ごしている。作業やプログラムがあるわけではないので、人間の素がどんと表に顔を出す。こわくもあり、面白くもある場所だ。私も普段のあれもしなければ、これをしなければを捨ててそこにいることを楽しんじゃえ、という気持ちに、7日目にしてなることができた。

2週間ほど間があいたが、それがよかったかもしれない。
前半でいつも顔を見かけた利用者さんたちとあた会うと慣れてきたということがあると思うが、嬉しかったし、また会うことができたという安心感があった。自分でも驚いたし、不思議だった。
Yさんはまだフリースペースに慣れていないようでちらちらとこちらを気にしている様子だが、積極的に話しかけることはできなかった。実習生のTさんが鎌倉彫の話で声をかけていたのでそこに混じる形で話にしばらくのった。
Yさんも自分から話をするようにされ始めたのであせらず次のことばを待つ間も大切であると感じた。無理に自分が話さなければいけないと思う必要などないし、それは普段の生活のなかと全く一緒だ。

Kさんが体脂肪計をもってきていたので、自分ものって測ってみたりした。体年齢は31歳、よかった・・・。それからは、女性のTさん、実習生のAさんもまじえて、テーブルを囲んで会話が続いた。それぞれが新聞をひろげたり本を読んだりお茶を飲んだり、決して広いとはいえないスペースの中で同じ時間を共有している。EさんとIさんが最近のFさんの様子を気にしていた。強い薬に変えたのかな、なんだかぼうっとしているようだ・・・と。

互いの様子を気づかい合う関係はとても大切だと思う。毎日会社なりに行っている人であれば、来なければ同僚が心配するがそうではない場合、どうしているだろうと気をかけてくれる、そんな仲間がいることは心強いし必要だと思う。○○○○はおのずとそんな関係をつくっていく役割も果たしているのだろう。

私は今まで利用者さんたちを受けとめなければ・・・と思ってきたが、そんなことはおこがましい。私が受け入れられているのかもしれない。そんなことにようやく気づいた。人が人に手をさしのべる、できることは本当にささやかなことしかないかもしれない。その人が自分を生きる、そのプロセスに寄り添うことだけだ。

自分ができないことを知る、それもとても大切であることを学んだ。次の実習まで5日あく。会社ではバリアをつくらざるを得ない面もあるが、素の私で○○○○での時間を楽しみたいと思う。」

「平成18年11月18日(土)晴、8日目

本日の目標;時間配分のリズムがつかめないまま8日目を迎えた。普段の仕事との両立はかなり厳しい。できるだけ元気に、笑顔でいることを心がけたい。」

宝塚歌劇の殿堂より_雪組『ファントム』

2020年01月11日 11時15分07秒 | 宝塚

























長い一週間、無事に生き延びました

2020年01月10日 23時19分27秒 | 日記
 年末年始の9連休明け、長い長い一週間でした。なんとか無事に生き延びることができました。ほとんど歩いていないけど足腰は痛く、眠剤一錠でも眠れずさらに半錠のんでしまったり、やがて効かなくなってくる前になんとかしたいですが今は不安でのまずにはいられません。残念ですがいちばん懸念していた家から通勤の限界、車でしか生きていけない社会で暮らしていく限界、特に家の近くが危なすぎて悲鳴あめながらの毎日、この地域独特の「〇〇走り」と称する車の走らせ方があるらしいですが、郷里近郊とはいえ昔から好きではないと思っていたけどやっぱり好きじゃないんだと自分の中でわかったという事実。電車もたぶんこの地域独特でものすごい揺れ方をする、京急の比ではない、ポイント切り替えではなくたぶん走っているところが緩急あるのでどこにもつかまらず足の踏ん張りだけで立ち続けることはできないですが、特急なのにボックスシートの車両で立つ位置を確保するのがむずかしい、気がつけば長く親しんだ東急と勝手が違いすぎて戸惑い、横浜から東京へ通勤するのと時間的にはさほどかわらないはずなのにものすごくきつい、沿線真っ暗な所が多くてさみしいし、夏冷房きつすぎだけど弱冷房車の整備は首都圏ほど進んでいないので、この電車に毎日乗り続けることも自分には無理なんだとわかったという事実。

 業務内容は経験値の積み上げで、電話で間違ったことは言ってないけれど十分に説明できず、でも数か月しかやっていない自分には仕方ないことなんだとあらためて思いました。ポンコツおばさんですがわたしが特別ポンコツでだめなわけではなく経験値が足りないということ。何年もやっていてわからなかったら問題ですが半年やそこらでは無理ないこと。職員たち病んでいるなあとかうーん発達系だよなあとか知っている人はみていてわかるわけでなんだかほんとに大変なところに来てしまったということもあらためて思いました。またこの地域で働きたいという気持ちはもう全くないし、色々勉強にはなっていますがこの業務をまたやりたいという気持ちもないです。死んでやるとかおどしにかかられるようなことに慣れることはわたしにはできない。4月以降どうしましょうかね、全く予定を立てることができないので新しい手帳を買うことができていません。3月まで予定を書き込むことはできるけど年明けから3月まで記録を書くことはできない、毎年使っているお気に入りの手帳。ここにいけば買えるという店もわからずです。たぶん大きな書店にいけばあるのですが家の中の寒さもきつくて体冷えっぱなしで気持ちあがらず今はただ無事に冬を超えられるかしらという不安ばかり。

 お正月に会った友人の旦那さんの勤務先から社会福祉士の通信教育の資料が送られてきました。連休中にみてみようと思います。精神保健福祉士もっているから一般科目と実習は免除されるのかな。専門科目だけですが今からまた国家試験を受けてみようというファイトが自分にあるのか。わたしたぶん年金だけだといちばん所得の低い層の人になってしまうから生きながらえるなら稼ぎ続けるしかない。観劇にも旅にもお金かかるから稼ぎ続けるしかない。自分の人生は自分で切り開いていく、今からでもまだやり直しはできるのか。明日午前中すぐ近くと総合病院と夕方歯医者それぞれテーボー超え。はしごするのも遠くて、どのみち寒い中の自転車はいっそう体にこたえます。どこへいくのも遠いし、危ない。自分が生まれ育ったところってこういうところなんだって今さらわかったという人生。一週間よくぞ無事に生き延びたと自分をねぎらってあげましょう。

 当たり前になっていた光景が今は夢。宝塚大劇場に日帰りでいけるという夢がなかったらもっとおかしくなっているかもなあ。2月にはじめての梅田芸術劇場、駅からの道のりがわかりにくいとか、紅ゆずるさんのコンサート、東京国際フォーラムの方が駅から近いし勝手もすごくわかっているのですが遠いので梅田で申し込み。迷わずに行けるかしらね、その日まで無事一カ月生き延びることが今は目標。とにかくほんとに車があぶなすぎるので気をつけながら生きるべし、今はそれだけ。

宝塚歌劇の殿堂より_雪組『ファントム』『20世紀号に乗って』

2020年01月09日 22時35分23秒 | 宝塚