たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

それぞれの人生なんだなあとしみじみ

2020年01月23日 22時27分43秒 | 日記
 ものすごく体が疲れているみたいで気がついたら7時間睡眠。二時間の休暇をとった一日はドタバタと過ぎました。冬の雨の中を自転車はやっぱりつらいです。

 最初はあからさまに悪口言われているのが聞こえてきて、なぜ自分はこんなところにきてしまったのか自ただひたすら後悔しかなかった現在の就労場所ですが、ここまでやってきてようやくいろいろ勉強になるし考えさせられることばかりだなあと思います。若い職員さんたちはそうでもないのだろうと思いますがいばらの道のりを歩んできた身としては、事務手続きの裏にあるいろいろな人間模様がうかびあがってみえてきます。なにが幸せねのか、いろいろな人生がありほんとに人それぞれだなあとしみじみ思った木曜日でした。細かく書けませんがたかが百円されど百円、たった百円に食いさがってきた裏には、あくまでも勝手な推測ですがおそらく自分自身が老いてきていることを日々感じつつお嫁さんを卒業できなかった女性が長い間こらえてきたものがあるのだろうなと感じました。なんだか怨念みたいなものが電話を通して伝わってきました。わたしはそういう立場を経験していないので想像することしかできませんが、わたしの想像をはるかに超えるきつい人生を歩んできたのかもしれません。おそらく大きな家があって家賃を払う心配も食べる心配もしたことはないであろうけれどそういうこととは違う果てしない苦労をいくえにもしてきたのではないかと。地域性もありお嫁さんの役目なのが当然で親類やらから感謝されることもなくがんじがらめのなかで義務を果たし続けてきたのかな、というのはわたしの妄想にすぎないかもしれませんが、外からみれば恵まれていて幸せにみえていたとしてもほんとに人それぞれ、比べるものではないしわかりませんね。

 中学校の同級生で結婚生活が破綻していない人の方が少ないことを帰省してはじめて知り驚き。別に驚くことでもないですかね。30年以上前、早くに結婚したことが同窓会の時になんとなく自慢げだった人がまだ50代の相手に病気で死別していたりとかほんとにわからないのだとわかりました。同窓会って自分は人よりも幸せだということを確認するためにあるのかもしれません。離れていた間ほとんど参加したことありませんがこれからもいいかなあっていう気がします。なんだかどろどろ。人は人との関わりの中でしか生きていけませんが、自分の幸せは自分の中にしかないわけで人と比べる物ではなく自分で決めればいい。自分が幸せだと思えるときが自分にとって幸せなとき。わたしの人生はわたしのものだから。

 それにしても超高齢化社会、これからどうなっていくんでしょう。日本という船は持ちこたえられるのか、心配しかないです。その前に自転車がきつくて乳幼児の時にいためた右の股関節から膝にかけて少し変形してしまっているのかもしれないと心配。4月に馴染んだところへ戻った時整体か整骨院にいかねばと思います。駅まで遠すぎる。毎日時間とたたかいつつ、自転車でテーボーきつくてきつくて涙が出ます。ほんとにきつい。

天赦日・一粒万倍日

2020年01月22日 22時49分16秒 | 日記

新田神社
@nittajinjya

【天赦日・一粒万倍日】

本日、全ての事を天が許すとされる「天赦日」、そして一粒の籾が何倍にもなり稲穂が実るとされる「一粒万倍日」が重なる大変縁起の良い日です。

迷っている事を始めたり、何かを決心することに背中を押してくれる、そんな素晴らしい日です。

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こんなツィートをみかけました。

東京都大田区矢口に鎮座する新田神社、

東急多摩川線武蔵新田駅徒歩3分と紹介されています。

多摩川線はここ2-3年、ようやく何度か乗る機会があるまでほとんど乗ったことありませんでしたが多摩川駅が東横線、目黒線との乗換駅になってから毎日車内アナウンスできいていたので懐かしい響きです。
体に馴染んだ東急、家賃を考えるとハードル高いですが近しいエリアに戻りたい、戻ることができたら、新田神社、一度訪れてみようかな。

明日は朝から雨のよほう

2020年01月22日 19時35分38秒 | 日記
 長い一週間、無事水曜日の夕方までたどり着きました。昨晩は6時間近く眠り続けました。気がついたとき7時半近くでびっくり。まだあと1時間あると勘違いしてお手洗いにいったあとまた布団にもぐり込んだら携帯アラームが鳴りました。体が痛いです。30年ぶりの自転車で疲労している足腰は大丈夫なのか、不安です。眠剤をのみ続けているのでのどがかわいてかわいて就業中も水分をとり続けています。似合わない、電話で大きな声を出さなければならないのでよりかわいてしまいます。

 契約終了まで二ヶ月と一週間あまりのところまできました。果てしない道のりでした。明日は朝から雨の予報、住民税払っていないの郵便局で納付しないといけないこともあり二時間の有給休暇を申請しました。ほんの少しだけ気持ち楽、乗換駅の地下街はわかりづらすぎて気がついたらぐるぐる回っているだけでお昼に入れそうなところもないので早めにお弁当を食べて家を出ることにしようかな。

 10日先までの天気予報をスマホでみると来週もずっと雨?なの?乾燥しているので雨は大切ですが、最高気温一桁台だしきついです。わたしが自転車に乗っている間は降らないように願うばかり。朝きびしそうだったら時間給をとるために有給休暇をのこしておかないとです。冬の冷たい雨の中テーボーを自転車はきついなり。田舎とはいえ家が駅から徒歩圏内のところにあったら人生違ったものになっていたかもなどと今さら考えてもしゃあない。おろかだったことも含めて、郷里近郊だけて生きていたら出会うことがないまま人生を終えていたであろうことが満載すぎる人生。自由なんですよね、わたし。どこでどう暮らそうと誰になにも言われることもないです。近くにちらばっている母の親類たちに会ってしまったら一人でいることを、一人で首都圏にいたことを責められる、山奥の父の親類たちに会っても同じくまあ責められるでしょう。血のつながりは遠慮がないからこわいです。逃げ場の選択肢が少ない、もしくはない?田舎でみんなストレスためているんだなあって思います。都会は人がつめたくて田舎はあったかいわけでもなんでもない、むしろこわいかもです。

 最初あからさまに悪口言われたことを思うとこうしてわからないことは遠慮なくきけるようになったところまでたどり着いたのに残念な気持ちもないわけではないです、なによりお給料が悪くないのは惜しいなあとも思わないでもないですが、どのみち家から通勤することはできないのでどこかに部屋を借りなければこれから先生きていくことはできません。30年間暮らしたエリアが体に馴染んでいて暮らしやすいので戻りたい。きびしい道をまたあえていこうとしている感じもありますがすぐ近くじゃないけど友だちいるし、劇場も美術館も電車に乗れば行けるところがわたしの性分にはあっているみたいだし、選択肢は多い方がいい。今年中にかなうかなあ、わかりません。今は契約終了というゴールを目指すのみ。

 明日もなんとか無事に一日が終わっていきますように・・・。

I Belong To Me(わたしだけに)

2020年01月21日 22時42分23秒 | ミュージカル・舞台・映画
I will not give up my own self.

Just to be with you.

I will not be glad just to do.

What I,m told to do.

I,m not meant to be your property.

No,I belong to me.

私はあなたと一緒にいるためだけに
自分自身でいることをあきらめたりはしない。
わたしはやれと言われたことを
ただ喜んでやったりはしない。
そう、私はわたしのものだから。

If I want to reach for the stars.

You can,t hold me back.

I want to take chances.

Far off from the beaten track.

Don,t force me to be want I can,t be.

I belong to me.

星に手を伸ばそうとしているのに
引き戻そうとしないで。
とっくに踏み固められた道からは大きく外れて
チャンスをつかみたいだけなの。
わたしがなれないものにならせようとしないで
私はわたしのものなの。











居場所をもとめて心はさまよう

2020年01月21日 19時14分25秒 | 日記
 いちばん寒い季節、休日も眠剤ないと眠れなくなっているので毎日一錠ずつ連続福用中。一度に何十錠ものんでしまうと急性薬物中毒で死んでしまいますがそれはほんとに病気の人のことでわたしはそんなことしないので大丈夫。大量服薬したらどんな薬もよくないのは当たり前のこと。気をつけようと思います。明け方5時半ごろお手洗いで目がさめてしまったあとたぶん一時間ほど寝付けませんでした。寝ついたら浅い夢にうなされていたような気がします。なんとか5時間ぐらい眠ることができたようですがつらい朝でした。郷里は、家は、自分にとってやすらぎの場所ではないのだと今さらわかったのだから仕方ない。契約終了まであと2ヶ月と10日あるので今は堪えていくしかないです。明日締め日なので昨夜書類をためたくなくて30分ほどボランティア残業してしまいましたが結果的に無理する必要はありませんでした。自分では決められないから仕方ない。組織としてよかれと思って発送しした書類に対してかかってくる電話のほとんどはたぶんその書類を必要としない方ばっかり。本当に必要な方々は自分でここにはこない、自分でちゃんとやっている。善意のはずなのに最初から喧嘩モードの怒りの電話が多いです。特に年齢の高い方々は正直勝手なことが多いと感じます。むなしいなあと思います。これでお給料をもらっているのだから起こらない、怒らない、自分はそうならないようにしようと言い聞かせます。この繰り返しがまだあと二ヶ月と10日、職員同士どうなっているのだろうが相変わらずで方言もあるのかもしれませんが毒を吐くような怒りを言葉たちは耐えがたいです。なんでこんな敵対意識みたいになってしまうのだろう、地域性とかではなくいずこもこんな感じなのか、わかりません。感化されないようにと思います。

 わたし母があっちの世界へ旅立ったとき自由になったんだあと今さらの気づき。自由であろるということは自分で全部決めなければならないのできびしいことですが束縛するものはなにもない。身軽になって残りの人生を生きていきたいです。そのためにはまだしばらく準備の時間が必要。それまでまた社会から孤立するわけにはいかないですが首都圏のような日中の居場所の選択肢はありません。30年間暮らしたエリアに戻るためには高いハードルをいくつも越えなけれならずやること、考えなければならないことがたくさんあるような気がします。ひとつひとつ見直しながら整理していきます。いい機会。郷里に戻ってきたら全く想定外に傷つきすぎてしまったなんて悲壮ですかね。さみしいですけど自分の居場所ではないことを確認できたわけだし、宝塚大劇場に日帰りでなんども行くことができたからよしとしましょう。その夢の時間がなかったらたぶんおかしくなってしまっていますが夢の時間をもてたからいいの、劇場の客席のシートにすわって客電消えている間舞台と自分が対話している時がいちばん幸せ。現実逃避の幸せな時間。幸せだと思える時間があるからいいの、いいの。

 明日、まだ水曜日。長いです、木曜日の朝2時間か3時間の時間給をとる申請を出そうと思います。きつくてもたないや、自転車でテーボー、きつくてきつくて足腰がちがち。なんとか生き延びていきたいです。2年半ほどご縁のあったところからいったん離れてしまいました。今ならまだ戻れるはずと信じて、心はほんとうの居場所をもとめてさまよいつつ今は今の場所をやり遂げることを目指すのみ。

 明日もまたなんとか無事に一日が過ぎていきますように・・・。

あの世とこの世 心で結ぶ

2020年01月20日 23時02分23秒 | 日記
2018年6月30日:星組『ANOTHER WORLD』『キラールージュ』
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/c8432bc6dbaabcd29735be22f4cc3c21

 もう少し断捨離が進んで荷物が明らかに減ったらアマゾンのポイントを一部使って購入したいと思っている『Another World』。友の会で当選した東京宝塚劇場のA席で観劇したのはたった一年半前のことなのにもっとずっと時が流れたように感じます。なかなかに深い作品、紅ゆずるさんという役者を得ての秀作。おばあちゃんが亡くなり納棺の儀でお坊さんの読経にきいたことあるなあとすごく反応してしまい終わったらみんなで『Another World』の映像をみたというエピソードをSNSでお見かけして少しほほえましい気持ちになりました。あっちの世界は自分がいくまで想像でしかありません。康次郎さんご一行のように、わちゃわちゃわちゃわちゃ、賑やかなのでしょうか。冥途歌劇団はなにを上演しているでしょうか、わたしがあの世に行ったらひたすらこの世と同じように通っちゃいそうです。冥途には時間なんかないそうなので永遠の時の中で永遠に観劇・・・。

「あの世とこの世 心で結ぶ

 身は離れても 絆は消えぬ

 消えぬ絆はいついつまでも

 互いの幸(さち)に 手を合わせ」














 母が突然あっちの世界へいったのは2012年2月のことでした。葬儀場の駐車場には粉雪が舞う極寒の日、お別れしました。父がいったのは2010年9月。気がついたら父も母もいなくなっていました。天涯孤独になったんだなあとやっとかりました。親がいなくなれば兄弟は他人。それがいいとか悪いとかではなくそれぞれの人生。今までは食えなくなったら、困ったら地元にもどればいいという甘えが心の片すみありました。だから中途半端といえば中途半端な一人暮らしでした。母がいなくなったあとカウンセラーの先生のアドバンスで、弟が家の名義を自分一人にしようとしていたのを無理矢理名前いれてもらいました。だから固定資産税わたしは払っていませんが一応自分の居場所としてこの大きな家があるわけでこうして座っていられますが、維持管理をわたしがしていくことは無理だとわかりました。広い庭と石垣の雑草を、電動の草刈り機えで刈るとか除草剤まくとか、水回りもあり傷んできているので到底一人で維持管理はできず弟もたぶん持て余しています。どちらも出て行ってこの家を処分することになれば居場所はなくなります。さみしいといえばさみしいことなのかもしれませんが自由といえば自由。ずっと背負い続けてきたものから解き放たれ、本当に自分だけの人生を生きていけばいいのかなあと思います。所有すると管理しなければなりません。この機会にできるかで管理しなければならないことやモノを減らして自分に与えられた時間わかりませんが生きていきたいと思います。気持ちを切り替えてそのために何をすればいいのか基準で考えていこうと思います。地元に戻ってくれば一人じゃないと思っていましたが馴染めなさ過ぎてものすごくさみしい。できるだけ慣れたエリアに近くスイカのオートチャージで自由に電車乗り降りできるところに戻りたいです。一人暮らしが厳しくなってきたときにはいいケアマネさんやヘルパーさんと出会うことができれば幸いなのかなとつらつら考えます。まだ早いですかね、いやでもそうでもない? いやでもまだ終活のつもりはない、ただ捨ててすっきり人生を変えることができればなあと、おそいのかもしれませんがやり直すことができればなあと・・・。

 雇用保険加入期間6カ月をクリアしたのでこのまま契約終了というゴールにたどり着ければまた失業給付受けられるのかな、またこれ?この繰り返し?情けないですが意図的ではなく家から通勤できれば次は援助職をと思っていたのが無理だとわかったので恥ずることなく使える制度は使えばいい。収入なしというわけにはいかないですからね。次の居場所を確保するために動く間、まだ断捨離を続ける間、社会から孤立するのはいやなので短い時間で居場所があるといいですがきびしいなあ、車乗らない限りむずかしいなあというところをどうすればいいかわかりません。失業給付という選択肢があるというひとつの安心材料。その前にあと一カ月ほどの極寒の日々を無事に越えなければと思います。こういう通知が発送されるとこんどはこういう問い合わせがどんどんくるのかという今日この頃、気がつけば相変わらず机周りにほとんど人がいなくってどうなっているのという感じでバッテリーもたない、朝は怒りでいっぱいになりながらなので通勤だけですごい消耗感、電車の中でじっとして休むというリズムに体がなっているのでこの地域の電車も慣れなくてきびしい。木曜日は雨の予報、朝きびしかったらまた時間給をとろうと思います。有給休暇残り6日、10カ月間で17日プラス夏休み5日間はほんとにありがたい。それでなんとかここまでくることができています。残り2カ月と11日。これからのためになんとかクリアしたい。


 いちばんの楽しみはこちら、紅さんのコンサート。梅田芸術劇場、いったことないです。駅から迷わずに行けるのでしょうか、梅田を全く知りません。知らないとわかりづらいみたいなのですっごい心配。キラキラの宝塚OG、ダンスの達人たちと女子高の同窓会に遠慮がちに混ざっているみたいな雰囲気のトートダンサーお二人とのコレボレーション、楽しみでしかないです。その前に来週久しぶりに大劇場日帰りバスツアー、チケット難の雪組。地方のバスツアーだから観劇できる。眠剤のみつづけているので酔い止めのんで気持ち悪くならないかと心配。楽しいことを目標になんとか生き延びる日々。

 長い一週間、明日も無事でありますように・・・。










あせらずにいこう

2020年01月20日 01時20分22秒 | 日記
 また弟に怒られました。まあわたし母に似てがさつだし身勝手だからいけないんですけどやり方の相違。今まで時々短期滞在したときはなにも言わなかったのに今言うのかっていう感じ。親がいなくなると兄弟は他人ですね。血族は感情むき出しになるからこわいです。俺は出ていくから居場所をみつけろよ!と言われるまでもなくみつけようとしているさ。4月に入ったら勝手知ったるエリアを訪ねて、保証人なくても契約できるUR賃貸住宅の店舗で話をきいてみるなどしようと思います。なんどかいったことのある通院先やらもね、訪ねたいです。勝手知ったるエリアで家賃を払う力はないのでできるだけ近い所で住まいを見つけるのが先かな。住民票を戻さないと求人に応募することはできない。まずは今さらのアルバイトをまたやってみるかな。人は足りていないはずなのでどこかに需要はあると思います。今ならまだ戻れるはず。そう信じよう。断捨離は進んできています。これを機会に管理しなければならないものをできるだけ減らして、本当にこれだけはというものだけで暮らしていけるようにしたいです。デカイ家の管理はできない、所有するということは管理しなければならないということ。電動草刈機で広い庭の雑草を手入れするなんてわたしには無理。弟よりも先に家をでることをめざしてあせらずいこうと思います。やるべきことはたくさん。超えなけらばならないハードルは高いと思いますが全く知らない土地に行くわけではなく、30年間の積み上げからの再出発。老後不安ということばが溢れかえっていますが溺れないようにしたいです。自分を信じて少しずつ進んでいきます。

ミュージカル『マタ・ハリ』_思い出し日記

2020年01月18日 20時29分20秒 | ミュージカル・舞台・映画
2018年2月3日(土)記事、久しぶりの観劇_ミュージカル『マタ・ハリ』
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/3e4c590643bdb6251b33fc6ecf90754d

 東京国際フォーラムをなつかしく思い出しながら少しずつ振り返り。

「韓国で大ヒットを飛ばしたミュージカル『マタ・ハリ』を日本で初演できることは大きな喜びです。フランク・ワイルドホーンさんの音楽とエモーショナルな韓国の舞台の力に魅せられて以来、この日本版に向けて邁進してまいりました。

 人類史上最初の世界戦争、第一次大戦は、戦闘機・戦車・毒ガスなどの新兵器を次々と生み出しましたが、実質的には、塹壕での消耗戦が中心になっていきました。『マタ・ハリ』の時代背景、1917年のパッシェンデールの戦いでは、塹壕が砲撃で崩れ、大雨で泥沼となり、多くの命が奪われ、先の見えない戦いに前線の兵士たちはどんどん戦意喪失していきました。

 軍事謀報部のスパイ活動で、敵側の動向を探ることは同盟国にとっても連合国にとっても急務でした。

 寺院の踊りで一世を風靡しヨーロッパを股にかけて活躍していたダンサー、マタ・ハリが、スパイに格好の存在であると参謀局の目に止まったのは、時代と戦局にとって、必然だったのかもしれません。二重スパイとして、戦意高揚のために逮捕・処刑されたマタ・ハリは、戦争の歪んだ生贄でした。

 ミュージカル『マタ・ハリ』は、この数奇な運命と闘う女性を描きます。数多の惑いを振り切り毅然と闘う力を生み出したのは、「愛」です。と同時に、彼女を破滅へと導いたのも「愛」。そして、彼女を巡って男たちも「愛」に惑います。溺れます。闘います。

 出会わなければ、愛さなければ、悲劇は生まれなかった。

 でも、彼らは「愛」を選んだ。「愛」を欲した。

 愛することが、生きることになった。


 
 戦争に巻き込まれているということは、被害者であると同時に加害者であるということ、我が身を守り、愛する者を守ることが、他者と他者の愛する者を傷つけることに繋がる痛ましさ。この終わらない歴史の中にいて、わたしは、生きること、今そこに在る愛と生き抜くことを、舞台に託します。


                           石丸さち子:訳詞・翻訳・演出」

「STORY

 1917年、第一次世界大戦の暗雲たれこめるヨーロッパ。

 オリエンタルな魅力と力強く美しいダンスで、パリ市民の心をとらえて放さないダンサーがいた。名は、マタ・ハリ。

 彼女の人気はヨーロッパ中におよび、戦時下であっても国境を越えて活動する自由を、手にしていた。

 その稀有な存在に目をつけたフランス謀報局のラドゥー大佐は、彼女にフランスのスパイとなることを要求する。もし断れば、人生を賭けて隠してきた秘密を暴くことになる。そう、ほのめかしながら・・・。自らの過去に戻ることを恐れ、怯えるマタ。

 同じ頃、彼女は、偶然の出来事から運命の恋人に出会う。戦闘機パイロットのアルマンは、彼女の孤独な心を揺らし、二人は、ともに美しい夜明けのパリを眺め、人生を語り合う。

 一方、ラドゥーの執拗な要求は続き、一度だけスパイをつとめる決心をしたマタ。彼女の世話を続けてきた衣装係のアンナの祈りの中、公演旅行でベルリンに向かい、ドイツ将校ヴォン・ビッシング宅で、任務を無事遂行する。しかし、謀略はすでにマタ・ハリの想像を超えて進み、アルマンへの愛に目覚めた彼女の運命を、大きく歪めようとしていた・・・。」

 

 調べてみるとマタ・ハリ(本名マルガレータ)はオランダ生まれ。資産家の一人娘として13歳まで何不自由なく暮らしていましたが、父親が株の投資で失敗すると事態は一変。両親は離婚、マルガレータは後見人を頼ってライデンに移住、幼稚園の教諭を目指すも上手くいかず、19歳の時、新聞に掲載された結婚相手募集の広告に応募し、21歳年上のオランダ軍将校ルドルフ・ジョン・マクリード大尉と結婚する。出会いから僅か100日のことだった。結婚後は夫の仕事に伴い、駐留先のボルネオ、スマトラ、ジャワへ帯同し、2児を儲ける。しかし、元々愛のある結婚ではなく、若く派手好きなマルガレータとの価値観の不一致、加えて夫の女癖の悪さや暴力から夫婦仲はすぐに悪化してしまう。さらに息子が亡くなったことで、結婚から7年後の1902年に離婚。子供は夫が引き取った。離婚したマルガレータはオランダへ帰国し、間もなく職を求めフランスのパリへ渡る。だが、なかなか恵まれた仕事に就くことが出来ず生活は困窮していく。ある日、友人のパーティーの余興で見よう見まねのジャワ舞踊を披露するとそれが受け、ダンサーの話が持ちかけられる。1905年、エキゾチックな容姿を活かし、「インドネシア・ジャワ島からやって来た王女」ないしは「インド寺院の踊り巫女」という触れ込みでダンサーとしてデビュー。「オリエンタル・スタイル」の舞踊を演じた。ショーは好評を博し、興行的にも成功を収めた。この成功を機にマルガレータの踊りは話題となっていく。人数の客を相手に踊りを披露する程度であったが、やがて活動の場は欧州中に広がり、遂にはイタリアのミラノ・スカラ座で公演を果たすなど、一躍人気ダンサーとなった。この頃から、より観客に受けるよう東洋的な「マタ・ハリ」の芸名を名乗り始める。なお「マタ・ハリ」とは、「太陽」あるいは「日の眼」を意味するムラユ語(マレー語またはインドネシア語)に由来する。 彼女はまた、多くの高級士官あるいは政治家を相手とする高級娼婦でもあった。「マタ・ハリ」ことマルガレータは、数知れないほど多数のフランス軍将校あるいはドイツ軍将校とベッドを共にしたとされ、国際的な陰謀の道具となっていった。


アルマンとラドゥー大佐という相反する二人の人物を演じ分けた加藤和樹さんが、ラドゥー大佐役の回でした。アルマンは東啓介さん。マタ・ハリにフランスのスパイになるよう近づいていき脅しながらも同時にマタ・ハリに魅かれてしまっている自分をどうすることもできない歪んだ感じがよく出ていました。則松亜美さん演じる妻のキャサリンがあきれて愛想をつかし家を出て行ったしまうほど心の中でいくつもの顔をもつ自分にもがくラドゥー大佐は、捕らえらたマタ・ハリの裁判になると、「ラドゥー大佐が全て知っている、ラドゥー大佐にきいてください」と自分を信じていたマタ・ハリを見事に裏切り、嘘の証言をしてマタ・ハリを追い込みます。裁判のときの冷酷な表情、背筋がぞくっとするほどでした。ラドゥー大佐が自分を見張らせるために差し向けた人物だとは知らずにアルマンを愛しはじめたマタ・ハリの姿は、のちにアルマンがラドゥー大佐の部下だと舞台上でわかると痛ましいものがありました。アルマンが戦地で重傷を負い入院したと知ると偽造パスポートで汽車を乗り継ぎ野戦病院へと向かったマタ・ハリ。この時はまだアルマンの正体を知らずにただただ一途でした。アルマンがどのあたりから本気でマタ・ハリを愛するようになっていったのか、気になりました。舞台のマタ・ハリは裁判になると「生きるためなら何でもしたわ、それを恥ずかしいことだとは思っていません」と、自分が歴史の波にのみこまれていこうとしていることに気づきながら最後まで凛とした姿を貫いていました。立膝で裁判にのぞむマタ・ハリ。柚希礼音さんがかっこよくて可愛かったです。宝塚時代は残念ながら見過ごしてしまい映像でしか知らないので初見でしたが真ん中に立つ力がすごい方だと思いました。

 やっと書けました。





みんなで明るく楽しい老後

2020年01月18日 01時41分23秒 | 日記
「生まれ落ちたる 命ぞ宝

 貰ったお宝 ありがたく

 悩みあろうと ただ生き抜いて

 この世の喜び 謳歌しろ」

(『AnotherWorld』)より

 年末のタカラヅカスペシャルで久しぶりに貧ちゃん(華形ひかるさん)の「みんなで明るい老後~♪」を聴いたのでなんとなくつらつら考えます。今の時間は老後のためにあるのか、違いますよね。今の時間は今を生きるためにある、それじゃあだめですかね。老後のために2000万円は必要という試算がでたとか。そうしたらわたしは完全にアウトです。生きられない。65歳を過ぎたとき年金が少ないか多いかで変わってきてしまうのは事実、前職の仕事で知りました。結局大きな組織に勤め続けて退職金どっさり、厚生年金がたくさん入ってくる人が人生の勝者ということになってしまうの?それでもさらにこんなに高い金を払わなければいけないのかと言われてしまうとあなた方がこんな社会にしたツケをこどもの世代、さらには孫の世代が背負うことになるのだということをわかれよ!っていいたくなるのをこらえることしばしばですが、そんなの世の中のひとにぎりの人たちなわけで、ほんのひとにぎりの人たちだけが勝者ということになってしまうのが今の社会ということ、これからさらに大変なことになっていくということを実感している日々です。老後のためにお金をためる、そのために今を我慢する。色々な生き方があることを許さない社会ということになるのでしょうか。

 今は今のために、できるだけ自分が楽しい、幸せだと感じる場所に近づいていきたい。ここにいれば自分は幸せなのだという場所、こういうひとときは多幸感に満たされる時間、いつ何があるかわからないので、老後老後と心配してもそこまでこの世にいるかどうか誰にもわからない、先のことは誰にもわからない。人生は予測がつかないものだから、できるかぎりの範囲で今幸せだと感じられるほんの少しの時間を大切にしたい、幸せだと感じる時間を少しでも多く持ちたいと思います。

 康次郎さんご一行のような楽しい仲間と出会って老後は朗らかに楽しく過ごせるといいな。

 そのためには年金いくらもらえるのかとか、そろそろ真剣に考えないといけなのかな。

 できるだけ長く観劇したり、美術館を楽しめる人生を送りたい。旅にも出たい。そのための人生。

(写真は宝塚歌劇の殿堂より『AnotherWorld』の舞台衣装、プログラムをみていてなんて豪華なんだろうとあらためて思いました。衣装代を惜しまず同時にチケット代は25年前と変わらないA席5,500円、専用劇場を東西で維持しつづけてすごい企業努力)。













8回目のお給料日でした

2020年01月17日 19時49分10秒 | 日記
 昨夜からいちだんと冷え込んできています。関東は雪になるかもという予報が出ているようですが郷里エリアもみぞれか雪になりそうな気配、降ったら身動きとれないので降るなら土日に降ってくれよーと思います。土日に降ったらお風呂にも買い物にも行くことできず閉じ込められますけどね、雪が降ると駅までのすごい上り坂や長い石段を歩けなくて大変だったことが懐かしく思い出されます。すごい上り坂があったところは近くに小学校があったので朝の時間帯車両侵入禁止となっていることを、部屋を引き払う早朝引っ越しやさんに言われるまで知りませんでした。だから安全にたくさんの人たちが駅まで歩くことができていたし、子どもちゃんをチャイルドシートにのせて保育園バッグをもった若いお父さんも安全に自転車に乗ることができていました。たくさんの人たちが駅に向かって急ぐ朝、当たり前過ぎた朝の光景がいまはただただ恋しいです。JALスイカのオートジャージができるエリアに戻りたい、郷里の最寄り駅は真っ暗な裏口も送迎車が横付けでそのすぐ後ろから飛び出してくるのがすごくあぶない、出入り口は車両侵入禁止にしてほしいなど望むべくもなく涙が流れます。電車で自由に行き来できるエリアに戻りたい、また家賃を払いながら生活できるだけの力が自分に戻ってくるのか、今は今がきつくて仕方ないのでわかりません。昨年の収入で4月以降保険料と住民税支払わないといけないのでそんなこと行っている場合ではないですが今は動けないです。

 8回目のお給料日、こんなに馴染めい地域のなかで最初は悪口言われながらよくここまできました。今日お昼休みの電話当番、午後も電話がよくなりました。一般的なことなら答えられるようになりましたがややこしいことになると答えられなくても無理ないですがどこまで責任をもてばいいのかわからないこわさは相変わらず。ささっとわからなくて当然なんだから職員さん替わってよって思いますが人によりけり。むずかしいです。日本全国同じことをやっているはずですがたぶんこれはこの地域独特のことなんだろうなあと思うことが多くて内心違和感だらけ。地域によってこんなにも違うのだということをわかっていませんでした。家から通勤できそうなら次は一度辞退した援助職にまたトライしてみようという気持ちが6月の頃はありましたが車社会の前に敗ぼく。結果的に今の業務を辞退して援助職へといきなり進んでしまっていたらもっと大変なことになってしまっていたということになります。だから内勤で見極めることができたという意味でこれでよかったのかもしれません。頭のなかうにうに、吐きそうになることばかりですがまあ勉強にはなりました。

 お給料日あと二回、完走することを目指すのみ。冬を無事に越えられますように。

 一週間、よく生き延びたよ自分、このあと帰り道で車と接触しないように心する、上り坂も真っ暗なところからとつぜん降りてくるからとにかく気をつけるべし!!