会津の重ちゃん日記

日常の出来事、地方紙の記事、街中散策して見聞したことを発信。

名刺

2015-01-30 10:05:47 | パソコン
2015年1月30日(金)雪 ー0.6℃~ー4.3℃
「名刺の目的っていったいなに?」

 
 名刺の目的っていったいなに?

・名刺をきっかけに話題が広がる
・顔と名前を覚えてもらう
・自分の人となりをわかってもらう
・後日、会ったり、メールをした時に覚えていてもらう
・ホームページやブログにアクセスしてもらう
・仲良くなるきっかけになる
・相手に自分との共通点を見つけてもらう

 豊齢研ITサロン会津では、毎年1月にはフリーソフト「ラベル屋さん」で名刺づくりをしている。
名刺など使う時がないから勉強しなくてもよいという会員もいるが、新年会で作成した名刺の交換をしている。
今年も交換した名刺で、工夫したこと、趣味、目標などいろいろな話題がでて交流が深まった。
重ちゃんの名刺には「高齢化時代の心がけ」として下記の「人生の五計」を裏面に載せた。
 「人生の五計」とは、宋の時代の官吏・朱新仲が残したという人生訓。生計、家計、身計、老計、死計の五計人間が一生まっとうするビジョンである。特に死計については目をそらしがちだが、断捨離とともに考えてみることも大事であると思った。

また、祝吟にはじまり、踊りや、カラオケなど大いに盛り上がった。その様子は萬崎さんが作成した下記のスライドショーをご覧ください。

豊齢研ITサロン会津新年会

足がつる

2015-01-29 19:06:04 | 健康
2015年1月29日(木)曇 5.4℃~ー3.6℃
「足がつる原因」

 
 体調がすぐれないと活動する意欲も低下してしまう。腰痛が悪化して針灸接骨医院で治療を受けているが、夜中に足がつって目が覚めることが多い。
足がつるというのは強い痛みを伴い、印肉が収縮したりけいれんしたりする症状。ふくらはぎがつる「こむら返り」が知られるが、太ももや、足の指、土踏まずでも起きる。

 足がつる原因はいくつも考えられるが、その一つは病気である。
 ①腰椎内部を通る背柱管(神経の通路)が狭くなることで神経組織が圧迫される、背中管狭窄症。②背骨の間にある一種の軟骨が、本来あるべき部位から飛び出してしまい、強い痛みやしびれなどが伴う椎間板ヘルニアの症状。
 ③動脈硬化によって血管が詰まり、酸素や栄養分が足までいきわたらず、背中管狭窄症に似た症状がでる閉塞性動脈硬化症。
 
 
 
 あるいは足がつる主な原因は、老化ではなく筋肉の疲労である。
運動不足のところへ、いきなり長時間歩いたり不慣れな肉体労働を行ったりすると、足の筋肉に負荷がかかる。この過度の負担が収縮やけいれんを引き起こすのだ。また、体が冷えて血行不良となり、筋肉が収縮することで起こる場合も考えられる。

 今回針治療を受けるようになった原因は、長い間悩まされている持病の「腰椎すべり症ずれ」があるのに、雪片付けや酒づくりで少し無理をしたためかもしれない。院長の勧めもあって針治療の傍ら、軽い腰痛体操を毎日するようにしている。



 

 
 



腰痛悪化

2015-01-26 18:03:55 | 健康
2015年1月26日(月)晴 5.4℃~ー3.6℃
「わらにもすがる思いで」

雪片付けも、楽しい酒づくりも若い時のように体がついていかない。疲労が蓄積して回復するまでに時間がかかる。
 1月10日(土)、11日(日)と酒づくりをし、12日(月)雪片付けをした。その日の夜、寝返りもできない、しゃがむこともできない。
 少し体を動かすとびりびりと腰から下肢に神経の痛みが走る。「いい年して無理するから」と笑われるが、気持ちだけ若くて体の衰えを忘れてしまう。
 
 整形外科に行けば、痛み止めの注射を打つか湿布を貼るだけ。最後は手術ですね。
 手術すれば必ず治るという保障があれば手術に踏み切れるが、やってみないとわからないと大病院の若い医師は言う。
 長兄も腰痛で悩み手術を七回も受けたが、よくならず車いすの生活を送っている。その姿をみているので手術だけは避けたい。

 どうにも我慢ができず、前に聞いたことのある扇町の「大竹針灸接骨院」をネットで検索した。
 『当院は開院以来30数年間、伝統医学と現代医学とを併用させ、様々な治療を行っております。治療範囲は、頚肩腕部痛や腰痛・膝痛などの整形外科疾患を中心に、内科的な症状、自律神経失調症など原因がはっきりしない現代病の難病まで臨床経験があります。大竹針灸接骨院では、患者さんの身体を部分的、科学的に診る西洋医学全身的にとらえる東洋医学の両者の長所を生かし、患者さんの病態把握と疾患・症状の改善に努めています。当院の治療は、鍼治療などの、東洋医学の治療法を中心とした治療を特徴としています。また、スポーツ障害の相談や、トレーニング療法にも力を入れています。』


 わらにもすがる思いでタクシーで大竹針灸接骨院へ。問診の後、背中を触診し坐骨神経炎が発症と診断。痛みのあるところに約40本針を打った。そして背中一面にテーピング。(自虐的な写真ですが・・・)なんとか我慢すれば立居振舞ができる。今日まで4回通院して針を打っているが痛みが薄らいできてほっとしている。
 体が不調だと何もしたくない。ブログもアップする意欲もなくなってしまうものだ。



日本酒づくり

2015-01-19 19:29:41 | 料理と酒
2015年1月19日(月)雪 2.6℃~ー3.1℃
「今年もほまれ酒造で」


今年も地元をはじめ県内、県外から多くの酒つくりの仲間が喜多方市に集まった。ほまれ酒造には5つに蔵元では一番多い34名だった。
初めての受講者は少なくリピーターが多い。懐かしい顔、顔、顔。一年ぶりの再会。年の隔たりも、性差もなく日本酒大好きで一緒に酒づくりをする楽しさがある。
「知的のんべえの酒づくり講座」では酒造好適米(五百万石)を50%か49%の精米し、夢酵母でつくった酒母(蔵元で昨年暮れにつくってある)に掛麹米と掛米を加え麹引込み、仲仕込み、留仕込み、の3段仕込をして量を増やしアルコール発酵を促し、約1ヶ月後に上層(しぼり)をし、1週間後にビン詰をする。そして自分なりのラベルを貼る。この一連の酒づくり工程が体験できるのでこの講座は人気がある。
 また、初日には顔合わせの懇親会、酒ができあがた上層の日には一品持ち寄りでの懇親会、閉校式では5つの蔵元でつくった酒を飲み比べる。閉会式後には熱塩温泉で1泊して懇親会をする。



 懇親会には社長、杜氏、蔵人なども交じり酒づくり談義をする。とってもよい雰囲気が大好き。だから「ほまれ酒造」に多くの受講者が集うのかな。
他の蔵元もそれぞれの特色がありリピーターも多いと聞く。
「知的のんべえの酒づくり講座」は来年第20回目となる。来年も参加できるように今年も大好きな日本酒を飲みながら健康に留意して過ごしていきたい。
第一日目は麹づくりのための米を洗う。量が少ないので受講歴の短い人に体験してもらう。受講歴15年の小生は見学。寒い水場で約2時間立っているのは辛かった。


翌日は麹をつくるために、蒸しあがった米を麹室で広げ、26~27度まで温度を下げる作業をする。その間麹菌(もやし)を振り、蒸し米を何度も何度も掘り返し、塊がないようにする。半袖姿でも汗が出る。この作業も約2時間立ちっぱなしだったので腰痛が悪化して辛かった。




酒づくり 始まる

2015-01-18 10:59:15 | 料理と酒
2015年1月17日(土)雪 2.6℃~ー3.1℃
 
 数日落ち着いたお天気だったが今日は朝から小雪が降ったり止んだり吹雪になったり荒れ模様の日であった。この悪天候の中、妻は会津稽古堂ライブリックシアターで上演する福山雅治主演の映画「そして父になる」を観に出かけた。誘われたが腰痛がひどいので出かけなかった。
廃業したり、焼失したりして会津若松市には映画館がない。映画を観ようと思うと郡山市や隣県の新潟市、米沢市へ出かけなければならない。
 人口12万人の都市に映画館やデパートがないのは街に活気がないように思えてならないのだが・・・・。市長を囲む経済界や著名人の懇談会でも話題にならないのはどうしてだろう。
「酒づくり開校式」


今年も喜多方市中央公民館主催の「知的のんべえのための講座」の開校式が市内喜多方プラザで行われた。自分だけのラベルを貼った日本酒づくりに取り組むこの講座は19回目。酒どころ・喜多方の魅力を発信する目的に市内の蔵元が協力する人気講座。自分だけのラベルを貼った日本酒づくりに取り組むこの講座は19回目。

 待っていた酒づくり講座なので昨年12月中旬に申し込んだ。第1回、2回は1~2の蔵元が受講生を受け入れていた。その後、受け入れ蔵元が増え現在5蔵元。今回は県内外から91人が申し込んだ。小生は第4回目から参加し今回で15回となった。すべての蔵元で体験しここ数年はほまれ酒造で酒づくりを体験している。

 開校式では、芳賀忠夫教育長が「喜多方の酒の素晴らしすを、多くの人に伝えてほしい」とあいさつした。引き続き、協力する喜多の華酒造場、笹正宗酒造、ほまれ酒造、夢心酒造、大和川酒造店の代表者が蔵元の特徴や現状を説明した。終了後、参加者は各蔵元に移動し、酒造見学や洗米など仕込み作業を体験した。夕方に再び喜多方プラザに戻った。星 敬志喜多の華酒造社長が「酒のつくり方」と講義を行った後、受講生は各蔵元の出品した酒と郷土料理等との相性を楽しんだ。


料理献立は、①にしん山椒漬、②ソフトにしん甘露に、③馬刺し、④松前漬け、⑤本棒たら、⑥チーズ、⑦煮しめ、⑧漬物盛り合わせ、⑨こづゆ ⑩その他

年賀状150枚くらい

2015-01-15 17:31:04 | Weblog
2015年1月15日(木)雪 1.1℃~ー2.6℃
 
 午後から雪になるというので溜まっていた用事を済ませるために、家内を車に乗せ市内をあちこちと回った。
 大通りは除雪した雪をトラックに積み片づけてあった。今年は幅3mくらいな裏通りも除雪し排雪するようになり運転が楽であった。
 雪国の会津ではこのような行政の対応はありがたい。午後3時過ぎに雪が降り始めたので用事を済ませ帰宅。少し疲れた。
 「正月が半分過ぎた」

正月もはや15日が過ぎた。本当は1月15日は成人の日と定着していたが、連休を多くするということで12日になったり13日になったりと変わる。国民祝日の日が設定された意義がわからなくなってしまった。特に10月10日の体育の日は東京オリンピックと深い関係があったはずである。
国会議員諸氏がよく審議して決めたのだろうが小生にはしっくりいかない。

 15日には年賀状の当選番号発表があるのかなと思って今年の年賀状を整理した。今年は約150枚くらいだった。
この150枚くらいという数字に朝日新聞「天声人語」で次のようなことを紹介していた。
『 前略 普通の人が年賀状を書くときに何人くらいの宛先を思い浮かべるものか▼答えは150人ほどという。人が一定の信頼関係を持てると思う知人の数も同じくらい。要は今の人間の脳の大きさに適する集団の規模である。霊長類研究の第一人者、山極寿一京大総長が季刊誌「考える人」の最新号で語っている。家族のあり方をめぐるインタビューは、人間の進化から説き起こし、刺激に富む▼人間はサルと違い、食物を仲間のところへ運んで一緒に食べるようになったと山極さんはいう。ばらばらで食べるサルに対し、人間は「共感力」を発達させ、家族を営み、さらに150人程度の共同体をつくった▼そうした歩みは、人間が言葉を獲得する以前のコミュニケーションがもたらしたらしい。・・・ 略 』

現職のころは毎年300枚前後の年賀状を出していた。退職してからは、250枚、200枚と少しずつ数を減らした。ここ数年は150枚前後で落ち着いている。山極寿一京大総長の説のように小生の脳の大きさに適する規模で年賀状のやり取りをしているのかな。


インターネットが接続不能

2015-01-14 13:58:09 | パソコン
2015年1月14日(水)晴 5.1℃~ー3.1℃
 
 「ネットを接続できてほっとした」


パソコンを初めて十数年になる。
世界中で爆発的にインターネットの普及が進んでいた2000年、森政権下でも国を挙げて IT産業を盛り上げようとしていた。仮にも一国の 首相が「IT革命」を 「イット革命」と言ったということでニュースになった。
 国の政策で多くの国民がパソコンに関心を持った。小生もその一人であった。コミセンで開催されたパソコン講習会に参加し、ワードで簡単なポスターができただけで大喜びをした。何度も講習を受け修了証をもらって喜んでいた。
息子が持っているのはアップル社のパソコン。講習会ではマイクロソフト社の Windows でパソコンは持っていなかったので復習することができない。

 そのような折に豊齢社会研究会の存在を知り入会。時間がかかるが娘とインターネットでメールのやり取りや孫の写真が見れるだけで大満足だった。
その後、会はNPO法人豊齢研ITサロン会津となり年々会員も増え発展してきた。
パソコンはWindows Me(デスクトップ)、Windows 2000(ノートパソコン)、Windows XP(デスクトップとノートパソコン)、Windows Vista 、Windows 7、Windows 8.1 を購入し活用してきた。何度もフリーズして動かなくなったりしたことが度々あり、システム復元をしたり、知人に直してもらったりしてきたが、デスクトップパソコン2台、ノートパソコン1台が 壊れてしまった。

 1月7日からインターネットが接続不可能になった。ブログアップもネット検索も、メールもできない。パソコンを立ち上げれば何でもできたのが何にもできないことのいらだちの数日であった。
Internet Explorer セキュリティ「Webサイトでこのプログラムを使ってWebコンテンツを開こうとしています」の警告がでる。名前と発行元がMicuosft Windows となっている。 信用できなければプログラムを開かないでください。」とあったのでいつも閉じていた。どうしてインターネットが接続できないのかわからないが、システム復元を試みたり、一度接続を切ってみたりした、いろいろ試みてみたら接続した。何をしてうまくいったか覚えていないが・・・・。


参考までに <Windows の歴史>を調べてみました。豊齢研ITサロン会津の歴史と重なりますね。

1970 年代、職場では、タイプライターに依存していました。文書をコピーする必要がある場合は、謄写版やカーボン紙を使っていました。マイクロコンピューターについて聞いたことがある人はほとんどいませんでしたが、2 人の若いコンピューターが好きな青年、ビル ゲイツとポール アレンは、パーソナル コンピューターこそ将来への道筋だと思っていました。

1975 年に、ゲイツとアレンは Microsoft というパートナーシップを設立しました。ほとんどの創業会社と同様に、Microsoft は、最初は小さかったのですが、すべての人の机の上や家庭にはコンピューターがある時代がくるという、大きなビジョンを持っていました。それから数年後、Microsoft は私たちの仕事に変革をもたらし始めました。

1998 ~ 2000 年: Windows が仕事と遊びのために、Windows 98、Windows 2000、そして Windows Me へと進化
2001 ~ 2005 年: Windows XP - 安定性、使用便利性、高速、2006 ~ 2008 年: Windows Vista - セキュリティでスマートに
2009 年: Windows 7 で Windows タッチを導入
2012 年: Windows 8 がアプリとタイルを特色に
2013 年: Windows 8.1 が Windows 8 のビジョンを拡大

体内時計が狂って

2015-01-07 18:16:03 | 健康
2015年1月7日(水)小寒 晴 0.7℃~ー2.7℃
 
 「楽しさのツケは???」


 
 5日から企業や官公庁で仕事初めを迎えた。年末年始が八連休となり、いつもより家族と長い時間を過ごした人は多いはず。楽しさの「ツケ」は重く、つらい。
帰省してきた娘家族と一緒になって深夜まで正月の特別番組にかじりつく。正月だからといって手作りのおせちやいただいた珍味を肴に、ちょと高いお酒をいつもより多く飲んだ。食べて横になる。自堕落な生活の繰り返しで、体内時計は狂ってしまった。朝の寝覚めが悪く、体がだるい。パソコン操作もしたくない。

 三度の規則正しい食事や適度な運動と十分な睡眠の確保が不可欠だ。向いに住んでいる息子夫婦は勤めへ、孫達は学校へ、そして愛犬ラッシュは我が家へ。少し時間がかかるが、犬の散歩やプールへ行き、ストレッチや水中運動をまた始めれば、狂った体内時計も戻るだろう。


知人からいただいた有名な新潟県加島屋の手作りの珍味でした。酒が進みました。
加島屋のホームページより
 加島屋は安政2年(1855年)、信濃川や阿賀野川で獲れる鮭や鱒などの塩干物(えんかんぶつ)を商う店として創業しました。
明治20年代には地元の酒蔵の酒粕を利用した鮭、筋子、鱈の子の粕漬けを日常のお惣菜として売り出しました。
現在の看板商品である「さけ茶漬」は昭和30年代、即席ブームが次第に浸透していく中で、手作りの味をご家庭にお届けしたいとの願いから生まれた新商品でした。
以来加島屋では、昔ながらの手作りの味を大切にし、しっかりとした素材を厳選し、新潟の風土や食文化の中から生まれ、受け継がれてきた郷土の味を作りつづけてきました。






高齢者の定義見直し

2015-01-05 15:00:54 | Weblog
2015年1月5日(月)晴 5.8℃~ー0.7℃
 
 大荒れもなく穏やかに過ぎた正月三が日だった。昨日早く高速バスで娘家族は東京へ帰って行った。あわただしく過ぎたような数日だったが、孫のはしゃいだ声も聞こえなく静けさがもどった。
 車は娘家族の専用車になっていたのでどこにもでかけなかったし、雪片付けもほとんどしなかったし、犬の散歩もしなかったので脚力が落ちた。


 晴れて暖かい日だったので、久しぶりに買い物へ出かけたり、路地入口の家の屋根からゆるんで落ちた大量の雪を片づけた。 一人暮らし婦人(50歳後半)の家の雪だがボランティア精神で片づけている。 (一度、二度となるとボランティアといいながら心では婦人に対する不満がわいてくる。凡人です。恥ずかしい。) 雪崩止めを付けてほしいと言おうと思っているがなかなか言えない。

「何歳から高齢者?」

超高齢者社会の日本。現在、国などは高齢者の基準を65歳以上としているが、平均寿命が延び、就労やボランティア活動などで積極的に社会参加したりする人も多い。そんな中、高齢者の定義を見直そうとしている動きが出ている。



 平成26年4月1日神奈川県大和市役所1階に「60歳代を高齢者と言わない都市 やまと」の宣言が大きく掲げられている。65歳以上の人口が21%以上を占める大和市。宣言は「人生80年の時代を迎え、これまでの高齢者とされてきた世代の意識も大きく変わり、今では、多くの方々が生き生きとして過ごしている」とし「豊かな知識と経験を持つ人材は貴重な宝。元気に活躍していただきたい」などうたう。

また、内閣府が35歳から64歳男女6,000人を対象に行った調査で一般的に高齢者だと思う年齢はと聞いたところ「70歳以上と答えた人が約42%と答えている」当事者だけでなく幅広い年代で意識が変わってきている。
103歳の現役医師日野原重明さんは、75歳以上の人を後期高齢者ということを受け入れず「新老人」と名前を付け2000年から「新老人運動」を進めている。

 みなさんは自分を高齢者だと思いますか。何歳からだと思いますか。高齢者という言葉に違和感を感じませんか。
 年齢に応じた心身の衰退は必ず起きる。高齢者の定義を見直しするなら、安全に安心して就労、社会参加できる環境を整えることが必要だという識者もいる。

2015年はどうなる

2015-01-03 15:35:08 | Weblog
2015年1月3日(土)くもり 0.8℃~ー2.9℃
 
 帰省した孫達は、朝早くスキー場へ出かけた。祖父母は静かになった居間で、箱根駅伝(復路)を視聴したり、年賀状を見たり、書いたりとゆっくりとした時間を過ごした。〝正月はいいもんだ。赤いべべ着て・・・・・”などの童謡の世界かな。

 
 何枚かの年賀状には2015年はどうなると心配している内容もあった。  昨年末の衆院選で圧倒的な信任を得た安倍政権は、より強固になった基盤を生かし、経済再生を最優先に、社会保障、外交・安全保障など政策課題の取り組みを一段と加速させるようだが、心配なことも多い。    戦後70年間平和憲法を守り世界でも戦争をしなかった数少ない国が日本。それが昨年、集団的自衛権行使の限定容認を閣議決定し、今年の国会で安全保障法制の整備をしようとしている。また、憲法改正までしようとしている安倍政権の右傾化が一番心配である。
 また、経済優先というが大企業や一部の富裕層を優遇しているようにしか見えない。貧富の格差が日本でも起きている。バブル期の国民一億総中流の言葉が懐かしい。  
 

「池上 彰のどーなる?ジャーナル」

箱根駅伝放映の後〝池上 彰のどーなる?ジャーナル”を視聴した。



書道家が話の核となることを一文字(海・買・夢など)で表し、それをいろいろな角度からの問題を掘り下げていて理解しやすかった。

「海」では、漁獲量の減少。特にマグロに代わるマグロ味の「スイ」の養殖。


「買」では、チャイナマネー。海外での中国人の買い。


「夢」では、水素資源。トヨタ自動車の「未来」