会津の重ちゃん日記

日常の出来事、地方紙の記事、街中散策して見聞したことを発信。

一休みあれこれ

2011-08-29 22:31:53 | Weblog
2011年8月 30日(火)快晴 
豊齢研ITサロン会津のパソコン教室に入会して間もなく当時では最新のNECデスクトップパソコン・ノビやA3まで印刷できるプリンター、そしてスキャナーを揃えた約40万円。プリンターは2年前に故障し買え換えた。パソコンは10年経って故障し廃棄。スキャナーはまだ大丈夫かな?(ほとんど使用していない)
 
8月26日(金)コジマ電気でノートパソコンセブンを購入。セットでプリンターも購入。
27日(土)午前中 自宅でMEパソコンのハードデスクを別なパソコンに繋いでデーターを取り出そうと試みたができなかった。
 
 30日(火)午後1時半コジマ電気に行く。古いパソコンは無償で引き取り,メール設定、セキュリテー(ウイルスバスター)の設定、マイクロソフトオフィスホームアンドビジネス2010のプロダクトキーも入力してくれた。仕事をしながら約2時間対応してくれた。家電製品アドバイザーの資格を持つ店員さんだった。好感のもてる方だった。
 ハードデスクの読み取りは少し時間をくださいというのでお願いした。
 
 27日(土)午後4時59分には会津鉄道「冷え冷え生ビール」列車。akiさんのコメントにあるように西若松駅から会津田島駅を往復するだけですが、じゃんけん大会などもあっておおいに盛り上った。これも赤字路線「会津鉄道」を応援することになる。
 
 話が前後しますが、町内区長としての仕事も忙しい。
前にアップしたように翌28日(日)は町内のアメシロ消毒。大発生。薬をかけると雪が降るようにぼたぼたと落ちた。町内役員・青壮年19名が3台の散布車に便乗して作業をした。町内の協力に区長として感謝する。町民も同じ気持ちである。午後12時半からは秀長寺の本堂を借りて直会をした。異年代が集まって飲食し町内の事など語り合う。これがとっても大事。


 30日(月)町内区域側溝整備について次ぎのような要望書を作成し福島県会津若松建設事務所にでかけた。「県道中沢・西若松停車場線(材木町一丁目)・・・・・中略
 年次計画で西側の側溝整備ありがとうございます。・・・・・今年度東側の側溝整備をしていただきましたがグリーチング(金属の蓋)の数が少なく間隔もまちまち・・・・中略  川ざらいや不測の事態が生じた時対応出来ない。グリーチングを増設してほしい」というような要望をした。

 31日(火)午後1時半役所職員2名現場視察。地域住民の声を聞く。工事検査後対応したいとう。議員などにお願いせず現場を見てもらい住民の声を聞いてもらう方法で区長としての仕事をしていきたいと思っている。

 ブログをアップする時間も気力もなかった。
 9月にはまた日記を書き続けたいと思っています。
 



京都夏の旅27

2011-08-28 23:06:07 | 旅行
2011年8月 28日(日)快晴 
27日(土)は超ハードな日であった。
MEパソコンのハードデスクを別なパソコンに繋いでデーターを取り出そうと試みたができなかった。残念だがデーターはあきらめた。
 午後1時半には湊町笹山原で除草とダイコンの種蒔きをした。午後4時59分には会津鉄道「生ビール」列車に乗り田島まで往復。
 翌28日(日)は町内のアメシロ消毒。大発生。薬をかけると雪が降るようにぼたぼたと落ちた。町内役員・青壮年19名が3台の散布車に便乗して作業をした。町内の協力に区長として感謝する。町民も同じ気持ちである。午後12時半からは秀長寺の本堂を借りて直会をした。異年代が集まって飲食し町内の事など語り合う。これがとっても大事。 

忙しさ 汗をかいての 生ビール

7月19日(火)くもりのち風雨 「豊国神社と方広寺」


 「
 養源院を出ると目の前が三十三間堂である。ここは何度か来ているので通り過ぎ、横断歩道を渡って北へ500mくらい歩くと右側に豊国神社があった。
 豊国神社は慶長3年(1598)に没した豊富秀吉が、「豊国大明神」の神号を与えられてまつられた豊国社が起源。創建当初の社殿は豊臣氏が滅亡すると徳川家康によって取り壊されている。現在の社殿は、明治13年に復興、再建されたもの。国宝の大唐門は伏見城の城門を移築したもので創建当時のものとされている。宝物館では秀吉ゆかりの品々が公開されている。
 方広寺すぐ隣にあった。
 この寺は豊臣秀吉が奈良の東大寺大仏殿にならい、京都に大仏と大仏殿を建立した。奈良の大仏を上回る大きさで、完成は1595年。地震や火災により被害を受け、秀吉の死後、徳川家康の勧めで豊臣秀頼と淀殿が、創建時よりもさらに大きな大仏殿を建造、その後金銅大仏も完成させた。この梵鍾の銘「国家安康・君臣豊楽」は家康の2字を切っていると慶長19年(1614)7月開眼供養前に、家康から突然延期が伝えられた。
これで大阪冬の陣・夏の陣が起こり、豊臣方は破れ、秀頼・淀殿は自害した。

 方広寺は現在 本堂と大黒天堂と大鐘楼が残っているだけである。
 タクシーを拾い京都駅へ。(京都夏の旅 完)
 これで京都夏の旅は終わります。お付き合いありがとうございました。

 京都に魅せられた男は晩秋には大原三千院や比叡山へ行く予定です。その時は「京都ひとり旅」となるでしょう。
 

京都夏の旅26

2011-08-26 12:51:05 | 旅行
2011年8月 26日(金) 曇り 小雨 
 秋雨前線が福島県上空にとどまっている。蒸し暑い日。

よく耐えた MEパソコン 表彰す

10年使っていたデスクトップのパソコンが使用不可となった。主に孫がゲームなどしていたパソコンなので故障してもしかたがない。ただ、バックアップしていなかったので写真類はだめかもしれない。他のパソコンと繋いでとりだせるかもしれないので一応試してみる。電気製品は故障しても仕方がないが、2年しか使っていないプリンターまで故障してしまったのには少しがっかり。  市内の大型電気店に行ってノートパソコンとプリンターを購入した。  故障したパソコンやプリンターは大型店で処分してもらうことにした。  

7月19日(火)くもりのち風雨 「養源院」


 「智積院」の本堂にお参りする頃、風雨がひどくなりビニール傘の骨が曲がってしまった。
そんな傘でもないよりはましなので、近くの「養源院」へ。
三十三間堂の前にある小さな寺院であった。小さな寺院なのに血天井の看板は大きかった。三十三間堂の観光客へのアピールだろうか。京都のお寺も商魂逞しい。
「養源院」は豊臣秀吉の側室淀殿が父の浅井長政の追善のため、文禄三年(1594)に政伯法印(長政の従弟)を開山として建立した寺で、長政の法号「養源院」を寺号とした。
 建立後、間もなく火災に遇ったため、元和七年(1621)に淀殿の妹徳川秀忠夫人(江)の崇源院が伏見城の遺構を移して再建し、以来徳川家の菩提所となり、歴代将軍の位牌を祀っている。
 本堂の廊下の天井は、関ヶ原の合戦前、家康の命を受けて伏見城を死守した鳥居元忠以下の武士が自刃した時の廊下の板を天井に上げその霊を弔ったもので、俗に血天井として知られている。

本堂の杉戸及び襖の絵(ともに重要文化財)は俵屋宗達の筆によるもので、杉戸には唐獅子、白象、麒麟等の珍しい行動が描かれており、奇抜で新鮮味にあふれ、中学・高校の美術の教科書にも用いられている。(つづく)


京都夏の旅25

2011-08-24 22:34:04 | 旅行
2011年8月 25日(木 ) 曇り 雨 
 疲れがまだ残っていてだるい。でも腰痛を少しでも和らげたいとプールに行きストレッチと水中運動をした。いくらか体が軽くなった。帰り道 大型電気店によりノートパソコンやプリンターを見ていたら知人に合う。店外に出て少し四方山話をした。日曜日東山温泉で高校の同期会があったことを話してやった。風評被害で観光客は激減しているというが「御宿 東鳳」はほぼ満員だった。避難者も随分少なくなり50人程度。9月頃までには宿をでる。
 同期生 会津応援 集う宿

 この同期会は会津高校9回卒の在京会の会津を応援しようという呼びかけで、各地から集まった。もちろん地元の私も参加した。急な呼びかけだったが約30人集まりおおいに語り、飲み旧交を温めた。久しぶりに芸者さんの唄や踊りをみた。


7月19日(火)くもりのち風雨 「智積院」へ


 18日は「高桐院」をゆっくり見学してから来た時と同じように地下鉄北大路駅までタクシーで行き、烏丸線で五条駅まで乗った。交通費があまりかからないですんだ。
地下街や伊勢丹デパートで買い物をし、 駅前のホテル法華クラブにチェックイン。
(通常一人7,000~9,000円がインターネットで予約すると朝食付きで二人で11,000円だった)
 19日いよいよ帰る日となった。電車は午後1時56分。それまで、NHK大河ドラマ「江」に関係する所を回ることにした。時間を有効に使うためタクシーを利用した。
まず、はじめに行ったのが「智積院」。この寺は真言宗智山派の総本山。
 私の家の菩提寺威徳院も真言宗智山派であり、一度はお参りしたかった所である。
「智積院」は「ちしゃくいん」と読むのだが、恥ずかしいはなし「ちせきいん」と読んでいた。タクシーの運転手さんははじめきょとんとしていた。真言宗智山派の総本山と説明したら「智積院」へ案内してくれた。
 豊臣秀吉が建てた祥雲寺と豊国社の一部を合わせ、徳川家康が紀州根来寺智積院に与えたものである。
長谷川等伯一門の障壁画が多数残っている。下の絵は等伯の作品。

庭には歩く庭、立ち見の庭、座って見る庭があるが、この名勝庭園は座って見る庭の中でも傑作の一つに数えられている。
 (つづく)



京都夏の旅24

2011-08-24 06:59:29 | 旅行
2011年8月 24日(水 ) 快晴 真夏日 
 「半袖か 長袖かと 迷う晩夏」

 朝方は涼しく夏背広でも着ようと思ったほどの気温。
豊齢研ITサロン会津の授業日なのでいつものようにラジオ体操をした後、授業する内容に目を通し一通りはやってみた。

 午前中の会員は初心者からベテランまで多様。どこに基準をあわせてよいか迷ってしまう。「地図つくり」なのでLibreOfifice のDraw(図形描画)のいろいろなツールを使う。はじめの30分はツールの使い方に慣れてもらうように練習の時間をとって一緒に勉強した。

 後半は資料にもとづいて各自が各自のペースで進めてもらうことにした。練習したからみんな順調にできるだろうと思ったのが間違いだった。高齢者が多い。初心者もいる。結局ばらばらな未完成の地図をコピーし、Writerに貼り付けるまでで授業は終わった。

 次回見栄えのする文書づくりの時にでもこのやり方を利用したい。午後4時まで會津稽古堂に居る。1日仕事をするのは疲れた。

7月18日(月)雨 後 晴れ 「高桐院」へ

 京都夏の旅は時々休みました。すみません。
広い大徳寺を歩きようやく「高桐院」へ着いた。
雨上がりの「高桐院」の草木の緑は長く続く石畳とマッチして実に美しかった。妻も感動写真を随分撮った。
 「高桐院」は大徳寺の塔頭の一つで、江戸時代初期の武将で茶人としても有名な細川忠興(三斎)が、父・幽斎の弟・玉甫紹を開祖として建立した細川家の菩提寺である。

三斎は、千利休の七人の高弟(利休七哲)の一人に数えれれる名手で、書院は利休の邸宅を移築したものといわれる。書院に続く茶室「松向軒」は三斎好みの二畳台目で、三畳の水屋が付き、壁や天井にも趣向が凝らされている。書院の庭は江戸初期の作庭で、また、本堂の前庭は楓の樹を巧みに配しているのが特色である。

 寺宝として、中国南宗時代の画家利唐の山水画二幅は有名で、現存する墨絵山水画の圧巻と賞賛されている。
 境内には三斎と夫人ガラシャのほか、歌舞伎の創始者とされる出雲阿国らの墓がある。
三斎の墓標の石灯籠は、利休が秀吉の望みを断って三斎に贈った物と伝えられている。

男の料理 8月例会

2011-08-22 22:24:13 | 料理と酒
2011年8月21日(日)  雨小降り 曇り  
 忙しい一日であった。9月男の料理味覚会例会に参加。 「手打ちうどんとミニソースカツ丼」特に、秘伝のソースの作り方を教えてもらい出来たソースは持ち帰った。2週間は冷蔵庫でもつ。    
 

作業の段取りは  
1.ソースの素になる野菜を煮詰める(玉ねぎ、りんご、人参、にんにく、キャベツ等)   2.うどんを打つ(粉を捏ねる→ねかせる→足で踏む→ねかせる→伸ばして切る)  3.牛ひれを揚げる(筋きり→小麦粉→卵・牛乳→生パンコをつける→揚げる)   4.茄子や玉ねぎを同じように揚げる   5.秘伝のソース(とんかつソースに○○や△△・・等を混ぜてつくる)  ※ 秘伝ですので 材料や分量は公開しません。 6.うどんをゆで、つゆをかけてネギを載せる。 7.揚げた牛ひれ、茄子、玉ねぎとキャベツを盛り付ける。 8.ミニソースカツ丼とうどんの昼食  


私は、夜は高校の同期会で東山温泉泊まりなので、うどん打ちはせず粉を持ち帰った  会員がうどん打ちしている間、講師に「油のあわや音、色で揚げ具合をみる」と教えてもらいながら、揚げ物をしたが 、肉の大きさや厚みが違うので少し難しかった。
 茄子や玉ねぎは生でも食べられるのであまり気にせず揚げた。
 時々揚げかすをとったり、油をたしたりしてきれいな油であげることが大事。また 少々早く揚げてしまっても余熱で食べごろになることもわかった。
 揚げ物を担当して家庭の主婦の苦労も理解できた。
 
 いつものようにミニソースカツ丼の半分と揚げ物、造ったソースはお土産としてお持ち帰り。妻の昼食となって家庭円満です。
 


京都夏の旅23

2011-08-20 22:47:04 | 旅行
2011年8月 19日(金) 朝方雨 晴れ後 雨少し  
   夏バテか腰痛か なんとなく身体がだるく 気力が落ちている。この倦怠感はなんだろう。 今年は猛暑対策にアサガオを植えてみた。
 つるは2階まで伸びたが花が咲かない。どうしたのかなと思っていたら、ラジオで暑いのでつるを伸ばし葉を広げているので花芽ができないといっていた。 この頃は雨が降り、朝晩は寒いくらいになってきたのでようやく花がぽつぽつと咲きだした。  

 7月18日(日)雨後晴れ 「大徳寺境内は広い」

 大徳寺境内は広く塔頭も多い。通常非公開で、公開されている塔頭の龍源院、瑞峰院、大仙院、高桐院で南から北へと歩くのが一般的。
2年前“京都一人旅”をした時は、非公開の黄梅院の住職の許可を得て蒲生氏郷公の墓参りをしたり、公開されている塔頭はすべて見学料を払って観て回ったが、今回は高桐院だけ拝観することにした。
 古い写真ですが黄梅院の写真を載せます。


  (つづく)

京都夏の旅22

2011-08-18 21:21:03 | 旅行
2011年8月 18日(木) 朝方雨 晴れ後 雨少し   
 本当に久しぶりという感じで雨が降った。今朝は第24回灯ろう流し関係の連日の業務と無事終えることができた安心感で昨夜は少し飲みすぎた。今朝はラジオ体操をどうしょようかなと思ったが午前6時半に起きて体操をした。続ける事ができて自分にほっとした。
 朝風呂に入り朝刊を読み、お茶を飲んで「山鹿クリニック」へ。4月に腰痛の診察を受け、1ヶ月に一度通院。右肩の痛みがひどく注射をした。「肩の動きをよくする油みたいなものです。痛みがなくなるかどうかわかりません。」若い医師の言葉。本音を聞いて私も「むっとした」。その後いつもの腰痛ブロック注射をしてもらい1時間ベットで寝ていたら、少し気持ちが落ち着いた。
帰りに竹田病院に入院中の長兄を見舞う。半年前に6度目の腰痛の手術をしたのに留めたねじが外れたということで7度目の手術。医療ミスではないかと疑いたくなる。
 黙って医師の診断に従って手術を受けた長兄の姿が痛々しい。
 もう車イス生活でも無理かもしれない。
 
 私の腰痛も「すべり症ズレ」と診断。診察を受けている医師も長兄と同じ。そして手術をすすめる。長兄の姿をみている自分としては100%の保障がないかぎり手術する気はない。毎日のストレッチや農作業、ウオーキングなどで筋力をつける自己努力をしていくしかない。
 いろいろと考えていたら、夏の疲れが出たのか無気力状態になってしまった。ミニトマトなどの野菜を食べて元気をだそう。

7月18日(日)雨後晴れ 「大徳寺へ」

 大徳寺は応仁の乱で荒廃したが、一休宗純によって再建された。金毛門と呼ばれる三門は、千利休が完成させたもので、閣上に自分御木像を載せた事から秀吉の怒りをかって、利休自決の原因となったされる。。金毛門を後ろから観て見ると意外としっかりしている。

第24回灯ろう流し

2011-08-16 23:08:48 | 地域情報
2011年8月 16日(火) 朝方雨 晴れ 曇り   
今日は第24回湯川での灯ろう流しの日。事務局をして2年目。実行委員会の会議2回。事務局会議4回。などをして当日を迎えた。
 数日前から各担当が、湯川の草や雑木の切り払い、灯ろう流し場や本部テント・照明・提灯などの設営などよくやっていただいた。

 個人や子供会、各種団体などが灯ろうを持ちよった。実行委員会で準備し希望者に配布したのが412個(無料)、自作など含めて約420個が集まった。特に、今回は「東日本大震災の犠牲者」への供養・鎮魂と復旧・復興・原発の収束を願っての灯ろうも多く湯川の流れに夏の風物詩を見せてくれた。


年々盛大になり新会津若松市長 室井 照平氏も来賓として駆けつけ「地域発展のために伝統行事として盛り上げていってほしいと」の挨拶をされた。心強いことばであり、これが下町の風物詩でなく全市民に認知されることを願う。秋の藩侯行列や東山温泉・神明通り・駅前などの盆踊りは主催者がいて予算もあり実行されている。城西地区実行委員会が実施している「灯ろう流し」は藩侯行列や盆踊りに匹敵するような行事に会津若松市当局や観光公社、商工会議所などが積極的に参与してほしい。須賀川市の花火大会などははじめは一少女の悲しい殺人事件の供養・鎮魂として花火が打ち上げられた。それを市当局も市民も企業も応援し、福島県内では打ち上げられる場所がない2尺玉も打ち上げられるような大会になっている。
地域性でしょうか? 会津若松市も官民一体となってこの湯川の灯ろう流しをし観光客を呼ぶような一大イベントにしようではありませんか。湯川はほたるも乱舞するほどきれいになています。(つづく)

京都夏の旅21

2011-08-15 18:24:43 | 旅行
2011年8月 15日(月) 快晴 真夏日   
 里芋の葉や物干し竿に水滴があり、昨晩と今朝がた雨が降ったのだろうか。
気のせいか少し涼しくなるかなと思ったが、やはり日中は暑かった。夕方になると雨が降り(おしめり程度)少しばかりしのぎ易くなった。
 この時間帯に一気に外仕事をしようと張り切った。
 まず、人参収穫と余分なオクラの鉢植え。その跡地にネギの植え替えをした。かなり強引なやりかただった。

 1週間前に「カンセキ」に行って買ってきた秋茄子の苗を10号鉢に植えてみた。
この苗は店に寄った時、かんかん日照りの中でも凛としていた。「庄屋大なす329円が50円」また、「なす黒龍198円が30円」苗がかわいそうと買い求めたものである。
 実が成るかどうかはわからないが鉢植えで育ててみる。

7月18日(日)雨後晴れ 「大徳寺へ」

 錦市場をぶらりぶらりと歩いていたら、いつの間にか昼が過ぎていた。NHKの日曜日夜8時大河ドラマ「江」で茶人千利休が豊臣秀吉の怒りをかって切腹させられた「三門 金毛閣」を観たいという妻の希望で今日の旅の目的は「大徳寺」だった。
 錦市場の西口から外へ出ると「大丸デパート」の北入り口。
 毎日の暑さで汗をかき、用意した下着も無くなってしまった。大丸デパートへ寄り、神士物売り場で下着を購入。ユニクロなどで購入している値段の倍くらいした。ちょっとびっくりしたが購入。しばらくデパート内をぶらりぶらり。
 南口より外へ出て地下鉄烏丸御池から北大路バスターミナルまで地下鉄を利用しそこからタクシーを拾って「大徳寺」へ。この方法だとタクシー代も安くてすむ。京都は地下鉄やバスを利用し、タクシーは最低限で利用すると交通費もあまりかからず移動できる。
  (つづく)