会津の重ちゃん日記

日常の出来事、地方紙の記事、街中散策して見聞したことを発信。

梅雨

2017-06-30 10:46:03 | 草花と花木
2017年6月30日(金)曇 28.4℃~21.6℃
 「梅雨にはアジサイが・・。」

 梅雨入りしてからなかなか雨が降らない。昨日は31.5度の真夏日となった。一日中蒸し暑かった。戸外に出て少し体を動かしただけで汗がびっしょりとなり二度も下着を取り替えた。
 空梅雨を思わせる晴れ間が何日も続いた。空模様を気にして天を見上げる。昨夜 ようやく雨が降った。これから本格的な梅雨がやってくるのだろうか。雨は憂鬱だが雨に咲く花は心が洗われる。アヤメ、スイレン、ハス、アジサイなどが次々と咲く。路地植えのアジサイは3株あるが剪定しなかったのでいずれも径100cm位に広がり庭を狭くしている。藤棚の下に雪囲いしておいた「ヤマアジサイ」の鉢物は、今年も楚々と咲いた。玄関先を飾る。
青、藍、ピンクなどに七変化するアジサイは梅雨にふさわしい花のような気がする。花期も長い。







父の日

2017-06-24 17:03:06 | Weblog
2017年6月23日(金)晴 29.5℃~13.5℃
 「父の日は自分で祝う」

 5月の母の日は、息子や娘、嫁などから花などのプレゼントが届いてお祝いムード。我が家でも息子がカーネーションなどを持ってきた。
さて6月の父の日はというと???????。時折東京にいる娘から酒などが送られてくると幾つになってもうれしいものである。
日本では父親の存在は母親にはかなわない。
 仕方がないですね。 
 自分で自分を祝うしかない。(笑い)5月末 山形県米沢市を旅した時、「べこや DINING] 」で米沢牛を食べた。
 その時、サプライズのつもりで米沢牛を注文し6月18日に届くようにした。
 妻はびっくりしたようだが、料金を支払ってくれた。


 老夫婦が母の日、父の日を米沢牛のすき焼きを食べて自分たちで祝いあった。
 注文した時、内容や数量をしっかり確認しなかった。 届いたのは1セット(米沢牛モモスライス203g、米沢牛肩バラスライス190g、米沢一番育ち豚ローススライス218g 計3パック 611g)
2セットなので計6パック 約1.2kg。豚はしゃぶしゃぶで牛は好き焼で食べる。

父の日 18日にもも肉と肩肉(2パック約400g)をすき焼きで食べるたが、食べきれない翌日に持ち越し。

 22日は豚肉(1パック218g)をしゃぶしゃぶで食べた。これで1セット終わり。
 残り1セットは、少し間をおいて食べることにする。
 

 父の日はネットで調べると、母親が亡くなってから父親が一生懸命自分を育ててくれた。
これに感謝した娘が「父の日」の設定を強く望んでできたという。

 6月第3日曜日 父の日
「1909年にアメリカ・ワシントン州スポケーンのソノラ・スマート・ドッド[1](Sonora Smart Dodd)が、男手1つで自分を育ててくれた父を讃えて、教会の牧師にお願いして父の誕生月である6月に礼拝をしてもらったことがきっかけと言われている。彼女が幼い頃南北戦争が勃発。父ウィリアムが召集され、彼女を含む子供6人は母親が育てることになるが、母親は過労が元でウィリアムの復員後まもなく亡くなった。以来男手1つで育てられたが、ウィリアムも子供達が皆成人した後、亡くなった。
最初の父の日の祝典は、その翌年の1910年6月19日にスポケーンで行われた。当時すでに母の日が始まっていたため、彼女は父の日もあるべきだと考え、「母の日のように父に感謝する日を」と牧師協会へ嘆願して始まった。」

 世界では父の日が6月第3日曜日以外でも実施されている。

 

講演

2017-06-18 11:27:37 | Weblog
2017年6月17日(土)晴 27.0℃~15.3℃
 「講演で改めて思い知ったこと」

会津若松市下町と称される城西地区活性化のため「西若松駅を愛する会」や「区長会」などに所属して活動してきた。
また、個人的には保健委員会主催の健康ウオーキングのボランティアガイドを8年間続けている。
頼まれて城西コミュニティーセンター管理運営委員会会長となり地域活性化のために努めている。
これらの活動に加えて、「可月亭庭園」を中心にして城西地区の地域資源を発掘あるいは再発見し、地域の活性化を図るとともに、
地域住民、とりわけ次世代を担うこどもたちが愛着と誇りを持てるよう地域を目指す「城西界隈まちづくり協議会」の設立に加わわった。

 この会の総会が16日に開かれた。その後、約1時間くらい地域の史跡などを話してくれと講演を頼まれた。
昨年、若松四中3年生に講演した資料があったのでそれを少し手直しして話すことにした。




パワーポイントで行うために、スクーリンとプロジェクターは協議会の事務局が用意してくれた。
豊齢研ITサロン会津のパソコン教室でパワーポインでの授業をしているので、
パソコンをプロジェクターにつなげばスクーリンに映像が映ると思い込んでいた。ところが、
プロジェクターは授業で使っているものと違って少し古い。映らない。手引きをみてもわからない。
講演はパワーポイントでと考えていたので資料は用意していなかった。どうしようと頭が真っ白。

困った末、豊齢研ITサロン会津の代表に電話して会場に来てもらった。パソコンで設定した結果映った。
ほっとした。よかった。代表には感謝、感謝である。
何事も他人任せにしないで事前に自分で準備し、確認することが大切であることを改めて思い知った日であった。

旅行 8

2017-06-12 10:15:11 | 旅行
2017年6月12日(月)晴 20.6℃~11.6℃
 「米沢牛の歴史と美味しさ 」

 旅行の続きをアップします。
「べこや」では食事だけでなく店頭でも販売していた。周年感謝祭特別企画で5月31日まで店頭価格より10~20%OFF。
このチラシを見つけたので妻にも食べさせたいので2人前宅急便で注文した。
配達日は6月18日父の日とした。サプライズを演出。自分から自分へ贈っているのに????ちょっとおかしですね。(笑い)


「べこや」のパンフレットによると
米沢牛の歴史は
871年(明治4年)上杉鷹山公が創設した藩校「興譲館」に招かれていた英国人教師チャリーズ・ヘンリー・ダラス氏は、
滞在中に米沢牛を食し、そのおいしさに感激、任期を終えて横浜に戻るとき、牛を1頭連れて帰りました。
その牛を仲間にご馳走したところ、その美味しさに驚き、たちまち評判になったといいます。
以来、米沢牛は100有余年の歴史を誇るブランド牛として愛されてきました。

また、米沢牛の美味しさは
 寒暖の差が厳しい盆地特有の気候と、最上川減流域の肥沃な土地は豊かな実りをもたらし
 米沢牛に必要な大豆、トウモロコシ等の良質の飼料とわらを提供してくれる。
 米沢牛の特徴はなんといってもきめ細かい霜降りと脂の質の良さ。
上質の脂は、うまみ、香りがあり溶け出す温度が低く、とろけるような食感をつくりあげます。
この上質の脂ができる秘密は、置賜の気候風土もさることながら、先人が永い年月をかけて、
試行錯誤を繰り返し培ってきた飼育技術によるものです。

 少し帰路が早かったので喜多方市熱塩三の倉高原の菜の花畑を見学した。

会津盆地を一望できる高原に350万本(3.35ha)の菜の花畑が広がっていた。
すばらしい眺めでした。この後は、ヒマワリ、コスモス畑に変わる。
冬はスキー場となる。


旅行 7

2017-06-11 18:52:13 | 旅行
2017年6月10日(土)雨 25.℃~14.3℃
 「べこやで米沢牛を食べる」

 旅行の続きをアップします。
今回の主な目的は小野川温泉で入浴することと米沢牛を食べることだった。いよいよ米沢牛を食べる日となった。
 ホテルで聞くと「べこや」を勧めてくれた。昼時「べこや」へ。駐車場は満杯。1台は入り口に駐車できた。
もう一台は店脇に駐車できた。よかった。


 多くの先客がいて待つこととなった。約30分くらい待っただろうか、2階の部屋へ案内される。我々12名で貸し切り。
「米沢牛ステーキ重」を注文する。120gの肉だったが、焼き加減もよく、柔らかくてすごくおいしかった。
 
 山形の超有名な日本酒「十四代」は時価。味わってみたいと1合注文したら、1合3,400円だという。
ネットで調べると1升30,000円以上の酒があった。
それでも飲みたいかたずねられれば、お勧めできないとのこと。こんな高い酒を飲む気はないが、
店に酒がなくてそういったのだろうか???。
代わりに「出羽錦・本嫋嫋」1合800円を500円で提供するという。2合注文して味をみる。



 米沢駅から徒歩3分、米沢の新名所に成り得る様、様々な工夫を凝らしていた。
 店内は古民家から移築した古く太く長い梁や切り出した高畠石が随所に配置され、和風でありながらモダンな雰囲気が漂い、
温もりと趣にあふらた佇まいで客様を招き致していた。。

 


旅行 6

2017-06-09 22:57:04 | 旅行
2017年6月9日(金)晴 28.1℃~14.6℃
 「松が崎公園(上杉神社等) 散策 」

 旅行の続きをアップします。



小野川温泉を午前9時に出て、西宮に帰る友人を米沢駅へ送る。
その後、上杉神社へ移動。

市にある神社。松が岬公園(米沢城址)に位置し、上杉謙信を祀る。旧社格は別格官幣社。
杉謙信が天正6年(1578年)、越後春日山城で急死した際、遺骸は城内の不識庵に仏式にて祭られたが、
次代の上杉景勝が会津を経て慶長6年(1601年)に米沢へ移封されたのに合わせ、謙信の祠堂も米沢に遷された。

以後、米沢城二の丸の法音寺を主席とする十一ヶ寺が交代で祭祀を執り行ってきたが、
明治に入ると神仏分離令、廃城令などにより、謙信の遺骸が城内から上杉家廟所に移され、
その守護のために法音寺も廟所前に移転した。
併せて米沢藩中興の名君である上杉鷹山を合祀し、山形県社「上杉神社」とした。

明治9年(1876年)5月21日、現在の旧米沢城奥御殿跡に社殿が遷座された。
明治35年(1902年)4月26日には別格官幣社に列せられる。

上杉家十代上杉鷹山公は、困窮、崩壊寸前の藩を復興させた江戸時代随一の名君として知られる。
十四歳の時から折長学派の儒者細井平洲師事し十七歳で藩主となるや、
大倹令・産業開発・藩校興譲館の創立・綱紀の粛正などを断行する。
凶作に備え、城下や村々の麓にもみを備蓄し、天明の飢饉に領民に配り一人の餓死者も出さなかったと伝えられる。
十一代治広公の家督を譲るとき民主主義の原点を記した「伝國の辞」を与えた。

伝國の辞
一、国家は先祖より子孫へ伝え候国家にして我私すべき物にはこれ無く候
(国(藩)は先祖から子孫へ伝えられるものであり、我(藩主)の私物ではない)
一、人民は国家に属したる人民にして我私すべき物にはこれ無く候
(領民は国(藩)に属しているものであり、我(藩主)の私物ではない)
一、国家人民の為に立たる君にて君の為に立たる国家人民にはこれ無く候
(国(藩)・国民(領民)のために存在・行動するのが君主(藩主)であり、
”君主のために存在・行動する国・国民”ではない)
右三条御遺念有間敷候事(三ヶ条を心に留め忘れなきように)

天明五巳年二月七日  治憲 花押

米国第三十五代大統領ジョン・F・ケネディは政治家で最も尊敬する人は,上杉鷹山公であると述懐したことはあまりにも有名である。

鷹山公が家臣に示した和歌
「なせば成る なさねば成らぬ
        何事も 成らぬは人のなさぬなりけり」

旅行 5

2017-06-08 18:06:31 | 旅行
2017年6月7日(水)曇 23.6℃~14.3℃
 「小野川温泉 朝の散歩 」

 旅行の続きをアップします。
朝食前、小野川温泉マップを頼りに散歩する。
宿を出て左に100m歩くと共同浴場の尼湯があった。自販機で200円。
そこから200m位先に行くと小野小町の建立とされる薬師如来堂があった。
50段くらい石段を上ってお参りをする。
宿へ戻り右へ歩き、大樽川を渡り、小町山自然遊歩道石楠花公園にある※甲子大黒本山へ。
1000m位歩いた。高台から眼下に温泉街がみえた。
途中には小町温泉、滝の湯などがあり飲泉ができる。
また、熱湯が噴き出ている場所ではラジュウム卵つくりが体験できる場所があった。
約1時間の朝の散歩で体もすっきり。朝食がおいしかった。

※当山は甲子大黒天を祭る日本唯一の本山で弘法大師が湯殿山開創の際大日如来との霊異相承にてご謹作せられたと伝えられ神仏分離により遷座された。甲子大黒天は八万四千の福徳神を眷属する福、禄、寿授与の太守護神であり全国から参詣者が絶えない。


順不同ですが写真をアルバムにしてみました。クリックしてみてください。

 小野川温泉 朝の散歩

旅行 4

2017-06-05 19:22:18 | 旅行
2017年6月4日(日)晴 17.0℃~11.4℃
 「小野川温泉 山川屋旅館」

 ここ数日5月中旬の気候となっている。夕方から朝方にかけては暖房が必要。日中でも1枚余計に着て過ごす。
風邪を引かないように気を付けたい。

旅行の続きをアップします。
 
午後4時頃少し早いが小野川温泉郷へ着いた。米沢市の奥座敷「小野川温泉」は蛍の里でもあり、鬼面川沿いの自然豊かな風情の温泉。

小野川温泉の「小野」は平安時代の美人の象徴である小野小町に由来する。
むかしむかし千二百年前に小野小町が開湯したとの伝説が残る。
京都より旅立った小町が病に倒れ、この地の温泉に浸かり、病も癒え絶世の麗人になったことから”美人の湯”ともいわれている。




宿泊する山川屋旅館は「現天皇陛下が皇太子の時に宿泊された由緒ある宿。リニアールしてあり、落ち着いた雰囲気はとてもよい。温泉も源泉かけ流しでゆったりと湯船につかり日頃の疲れをとることができた。
夕食は気候風土豊かな米沢で育てられた米沢牛や郷土料理、朝食は温泉名物のラジュウム卵や温泉で炊き上げたお粥がおいしかった。



 

旅行 3

2017-06-04 18:31:02 | 旅行
2017年6月3日(土)雨 18.4℃~11.8℃
 「上杉家廟所」

 田に水が入ると涼しくなるが、30度前後の日が数日続いた5月下旬と一変して、6月になって天気が荒れた。雷と豪雨で会津若松市内でも停電したところがあった。気温も急に下がり、暖房を入れたり、1枚余計に来たりと寒さ対策をした。

 旅行の続きをアップします。
 山形県を旅行するとほとんど寄るのが「よねおりかんこうセンター」である。立ち寄り土産(玉こんやく)を買った。
今回の旅行の最大の目的は温泉に入り、米沢牛を食べることだった。店の入り口と外に立派な牛の像。パチリと撮る。
 

続いて上杉家廟所へ。いつ来ても参道から廟所は除草されよく整備されていた。保存会の方々の奉仕と聞く・・。

「やまがた情報局」より引用します。

当初は城内御堂の避難所として建てられたものですが、上杉景勝没後、米沢藩主代々の墓所となりました。
米沢城解体後の明治9年(1876)、藩祖上杉謙信の墓所を城内御堂より移し、参道正面奥に一間社流造の社殿を造営し祀りました。

御廟所の配列は、中央正面に謙信があり、その向かって左に2代景勝、4代綱勝、6代吉憲、8代宗房、10代治憲、12代斉定の祠堂が並び、中央より向かって右に、3代定勝、5代綱憲、7代宗憲、9代重定、11代治広の祠堂があります。

歴代藩主の廟所が置かれているのは珍しく、昭和59年(1984)国指定史跡となりました。







旅行 2

2017-06-02 16:13:21 | 旅行
2017年6月2日(木)雨 20.2℃~13.5℃
 「熊野大社 三匹のうさぎ」

 高畠ワリーナから熊野大社へ。イチョウの大木を見上げながら石段を上る。何度かお参りしているが、今回は手すりをつたっての上り下りだった。


 熊野大社は、大同元年(806年)、平城天皇の勅命により再建されたと伝えられています。その後も時の天皇、法皇の恩恵をうけ、のちに天台宗・真言宗・羽黒修験・神道の四派も加わり、熊野修験の霊場としても栄た。再建1200年以上の歴史を誇る熊野大社。県内最古の茅葺屋根で建築された拝殿をはじめ、伊勢神宮と熊野大社にだけ伝わる御神楽、隠し彫が素晴らしい本宮など三十もの神様を境内にお祀りしており、境内に入った途端、身が清められるのを感じ神聖な雰囲気に包まれる。
日本三大熊野大社の1つ、「東北の伊勢」と呼ばれ、お祀りされている伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)は、神話の中で一番最初に結ばれた男女の神様。
 熊野大神様は「むすひ」の神様で、「むすひ」とは、ものが生まれる力で、動物も、植物も、そして人間も、この「むすひ」の力によって、この世に生まれてきているという。



 本殿裏に、うさぎが三羽隠し彫りされている。いつ頃からか定かではないが、うさぎを三羽見つけた人が次々と大成功を収めたことや、恋や願い事が成就したことから、「願いが叶う」「しあわせになれる」と言い伝えられている。授与所で二羽目までの手引書を渡しているのだが、もらわなかったので見つけられないでいると待機していたガイドがヒントをくれた。狭いところに大勢でうさぎ探しをするのでなかなかみつけられないでその場を離れた。
今さら恋でもないし、願うことといえば健康で長生きしたいということくらいだから見つけられなくてもしかたがないなあーーーー。(笑)