会津の重ちゃん日記

日常の出来事、地方紙の記事、街中散策して見聞したことを発信。

上海・蘇州・無錫の旅3

2010-03-31 21:58:36 | 旅行
3月31日(火) 待っていた春の陽光。   
         = 新鮮な採りたての野菜を食す =

 この晴れ間を逃すまいと宅地内の畑に出る。青々としホウレン草、小松菜、山東菜、そしてくきたち(少し早いが)食べごろであった。
 畑に植えっぱなしの大根はこの低温続きで根毛も伸びなかった。それが幸いしてみずみずしい大根を収穫できてよかった。この季節に新鮮な採りたての野菜を食することができて幸せである。

   2002.12.8 「上海・蘇州・無錫の旅3 」 

ホテルで7時半~8時頃に朝食を済ませた。いよいよ中国の旅行が始まる。

バスに乗り蘇州の観光に出発。蘇州と聞いただけで「蘇州夜曲」の歌を思い出す。
西には風光明媚な大湖が控え、東には大河長江がゆったりと流れる。街には至るところに運河があり、郷愁を漂わせる水郷風景に出会えると期待して・・・。

上海・蘇州・無錫の旅2

2010-03-30 20:55:01 | 旅行
3月30日(火)   
     まだ気温は低いが久しぶりの晴れ間 
               = 監査で会った会津大使 =

 何時ものようにラシュの散歩。妻を着付け教室に送り、「会津葦名一族研究会の監査」のため、コーヒー店に出かけた。約70名の会員。昨年発足した会である。会費で運営しているボランティア団体なので監査も短時間で終えることが出来た。もう一人の監事は会津出身者で現在神奈川県川崎市に住んでおられる。会津に関する諸団体に関係している方で名刺交換をした。数枚の名刺をいただいた。列挙すると
「会津大使」=会津若松経済情報ネットワーク協議会 事務局は会津若松市役所観光課にある。
「喜多方市ふるさと大使」=喜多方市の地域起こしなど 喜多方市役所
「もっと会津を“江戸家老”」=NPO法人会津の文化づくり 会津若松市
など。
色々な話しをしているうちに共通の知人や親類のことなどがわかり初対面とは思えぬ親近感をもった。また、会津葦名一族研究会でお会いするのが楽しみである。


      2002.12月5日(水)蘇州・無錫の旅2

 この旅は、西会津町の某氏が企画した旅行であった。会津一円から募集し、60数名の大団体。知人に誘われて参加した。バス2台を連ねて新潟空港へと向かった。車中で諸連絡や確認をした。それぞれ完璧と思った矢先、知人がパスポートを忘れたと叫んだ。パスポートがなければ本人の海外旅行は無理。運転手と添乗員の連携で、自宅に連絡がとれた。奥さんが習い物をしている日。本来なら外出して留守。幸いなことに外出前に連絡できた。
バスは西会津町で待った。若松タクシーの運転手さんが届けてくれた。間一髪間に合ってよかった。ハプニングの予兆。
 なんとかフライトに間にあって上海空港へ着いた。
 10年前の中国は今の発展からは想像もできないような国であった。逆に日本はバブルがはじけたといってもアメリカに次ぐ経済太国と自負していた。自分もその一人であった。今にして思えば恥ずかしい驕りであった。深く反省する。 
  


上海・蘇州・無錫の旅1

2010-03-29 22:50:09 | 旅行
3月29日(月) 舞い戻った冬 
    = ゴルフ場がクローズ=

 今日は99ナインの第1回ゴルフコンペ。昨日から色々と準備し、午前7時前には磐梯熱海カントリークラブへ出かけるつもりで早起きをし朝食を済ませた。外は雪。車庫から出してスタンバイして置いた車は雪に覆われていた。1月、2月会津が雪でもいわきや栃木県のゴルフ場はプレーができた。今回は積雪のためゴルフ場がクローズした。例会は中止になる。ちょっとばかり拍子抜けしたが、溜まっていた用事を済ませることができてよかった。

 明日まではお天気が悪いが、明日後日以降は一時的に晴れ間が出るらしい。
  
 雪が降り風が舞い荒れた天気であったが、お昼頃少しばかり落ち着き晴れ間も出た。数日 独身生活をしているので、青果物が不足していた。お店に行っていちご「紅ほっぺ」を買い、畑に出てアサズキを収穫する。外の水場で泥を落とし、調理場で根を切り、もう一度洗う。そして茹でた。夕食の一品にした。
この他、豚肉と野菜(キャベツ、人参、シメジ)の炒め、生野菜のサラダ、納豆とイカ刺しのあい物、白菜漬け、クルミと小女子の佃煮、味噌汁、ご飯を用意した。東京から帰ってきた妻は何もしないで食事ができて喜んでいた。男の料理をしている人間としては当たり前のことでした。

      2002.12月7日(金)上海・蘇州・無錫の旅1

 長い間 北京・西安の旅にお付き合いいただいてありがとうございました。
 中国へは3回旅行している。第1回は2002年12月7日から4泊5日の旅であった。この旅行記も書いて一応の中華民国人民共和国の旅行記を終えたい。
 今から10年前パスポートを取得して海外旅行を初めたばかりの頃でした。写真はあまりよくありません。キャノンXYの最新のカメラ。最新の(当時)200万画素のカメラでパチリ。ハプニングの連続で思い出多い旅であった。
詳しくは明日からアップします。 

北京・西安の旅27

2010-03-28 21:24:24 | 旅行
3月28日(日) 全国的に低温 昼間も3℃とは 
    = 100円のパソコン =

 今日もお天気は悪い。昨日雨で濡れた洗濯物を二度洗いし、風呂場に干す。乾燥のスイチをオンにする。天日干しだと半日で乾いてしまうのになかなか乾かない。 
  
 所用があって仙台のヨドバシカメラに行った。1階の入り口にパソコン100円。残り2台の表示があり店員が大声で呼びこみ。好奇心旺盛な小生は数人の客と話しを聞く。A4版くらいのパソコン。値段は63,000円。それが100円。まず安いと感じ買ってもいいかなと心は動く。
 よく話しを聞き質問するとだんだんとからくりがわかってきた。
 まず、余計なソフトはない。メールとインターネトができる。無線ランであること。光フレッツに入会し、プロバイダーは指定された業者にすること。利用料は約5,600円など。数年前ヤフーBBがやった手法に似ている。買おうかなと思う誘惑に負けそうになったがカードを持っていなかったので契約はできなかった。それでよかったと今は思う。

2007.6月6日(水)北京・西安の旅27 
           「旅行のあれこれもう一つ」 

北京・西安の旅は少人数だったので予定外の見学や体験もでき思い出多いものだった。料理も北京料理、四川料理、広東料理、西安名物料理(刀削麺・餃子)を味わうことができた。ホテルも4星以上で申し分ない。少しくらい高くても大手旅行会社のツアーを利用するのがベストである。
 6月7日西安空港から上海空港経由で成田空港へ(約6時間20分)で帰国した。長い間北京・西安の旅にお付き合いくださってありがとうございました。
次ぎは、蘇州(そしゅう)と無錫(むしゃく)の旅をほんのちょっぴりアップします。

この旅行記で忘れてならないものがありました。それが千手観音ショーです。
 華やかな民族衣装と楽器で展開される西安の唐代歌舞は北京の京劇、上海の雑技と並んで中国のエンターテイメントとして人気がある。日本で公演もするが本場で見るのはまた違う。お酒を飲みながら美人の演技に見とれて写真を撮るのを忘れていました。
 終演間直の千手観音ショーになってあわててシャターを押す。暗い、遠い、動きが早いのでよい写真は撮れなかったがアップします。千本の手が一番前の人物から出ているような演技には感動し息を呑んだ。すばらしい。
 
 

北京・西安の旅26

2010-03-27 21:24:06 | 旅行
3月27日(土)                                   = どうなっているのかなお天気は 洗濯物が無残 =

 今日は朝から陽光が輝き気分爽快。ラシュも孫も居ない。
いつものように午前6時半のラジオ体操をして、朝食の準備。炊飯器にはご飯が出来上がっていた。豆腐とねぎと油揚げの味噌汁。醤油と酒に漬けて置いた鶏肉を焼く。納豆。漬物。ラッキョウ。生野菜。ヤクルト。こんな朝食でした。食後は梅干でお茶を飲む。
 久しぶりの晴天。張り切って洗濯をする。そして天日に干した。ポンプ小屋に置いたクンシランもたくさんの花を咲かせていたので玄関前に飾った。サイネリアやクリスマスローズも外に出した。
 気分よくプールへ出かけた。いつものように腰痛のストレッチ、水中運動をし、サウナで汗を流した。帰りに近くのサンゴルフへ寄って1時間くらい打ちっ放しをしようと思った。足取りも軽く施設から外へ出た。お天気は激変。みぞれが降っている。そして雨に変わった。家に帰ると誰も取りこんでくれなかった洗濯物はぐっしょりと濡れていた。独りの生活だとこのようなことはしばしばあるのだろうなと思った。外出する時は屋根のある物干し場に干すようにする。よい体験。濡れた物はもう一度洗濯をし直した。
 

2007.6月6日(水)北京・西安の旅26 
           「旅行のあれこれ」 



「両手で耳を押さえない限り、とても座っては居られなかった」。その昔、芥川龍之介がこういい表したという京劇。確かにけたたましいドラの音や甲高い歌声は、初めて耳にする者とって違和感を覚えるほどの激しさである。しかし、その取っつきにくさを乗り越えてこそ、真価に触れることが出来る。演ずる者の歌声と胡弓、月琴などの民俗楽器が織り成す華麗なハーモニー、派手な動きの大立ち回りも魅力的だった。清の乾隆帝の誕生祝に披露されて以来、ちまたで流行し、今では国劇とまでいわれる中国きっての伝統芸能になっている。
激しい立ち回り、最後に見栄をきる。隈取されたメイク、派手な衣装などは日本の歌舞伎に通じるものがあった。また、歌声だけでなく目や指の動きなど繊細さも見逃せない。





北京・西安の旅25

2010-03-27 10:43:32 | 旅行
3月26日(金)晴れても風が冷たい       
            = 男の料理味覚会総会 =

 姪の連れ合いが亡くなり妻は告別式参列のため長野へでかけた。息子夫婦は職場へ行き、夜は二人とも送別会。ラッシュは我が家へ来て留守番。
 犬の散歩。朝食を作る。ごみ出し。洗濯と独り身は忙しい。妻の有難さを実感する。
 戸締りして豊齢研ITサロン会津のパソコン教室へ出かけた。午後4時帰宅し犬の散歩。
 午後5時から男の料理味覚会総会へ。
 上町の某居酒屋で総会と懇親会を開く。味覚会も活動を初めて10年になった。現在会員は20名。発足当時からの会員は自分を含めて6名。よく続いたものである。
 10周年を記念して福島県社交飲食業生活衛生同業組合 会津連合会 事業部長に講話をお願いした。その話しの中で、
「くつろぎを求めてこられるお客様に料理、器、接待、雰囲気と心配りをすること・・」「そして本物の味、料理を提供すること」また、「今、冷凍食品、添加物の多い食品などくを扱っている居酒屋にはお客が集まらなくなった。高くても本物を求めるようになっている。」と話された。なるほどと思ってうなずいて聞いた。

2007.6月6日(水)北京・西安の旅25 
           「世界遺産 兵馬俑坑博物館あれこれ」 

秦の始皇帝がもつ権力の強さが垣間見られる博物館。始皇帝陵から東に1.5kmの地で発見された。約6000体に及ぶ陶俑・陶馬の隊列が発見された。後にさらに2つの俑坑が見つかったことから博物館として公開された。特に1号坑は始皇帝の陵墓を守るための兵馬俑が整然と並んでいる。秦代の男性の平均身長は150cm位だったが、軍隊の強さを誇示するため平均身長180cmの陶俑が作られた。
 この写真は2号坑から発掘された弓矢部隊の一つ、鎧を着た膝射ちの兵士(武官?)である。さまざまな表情の陶俑・陶馬整然と隊列を作っている。また、青銅製の銅車馬。一号と二号があり、それぞれ4頭の馬が車を引いている。大きさは実物の2分の1である。

観光客に見せるところはしっかり修復されたものだが、まだまだ修復作業中のものがたくさんあった。全部が修復されるかどうかどうかわからないが、もう一度見学に来たい所であった。







北京・西安の旅24

2010-03-26 23:44:24 | 旅行
3月26日(木)晴れても寒い日       
            = 予算成立、92兆円超 =

 一般会計総額が92兆2992億円になった2010年度予算が成立。当初予算段階から新規国債発行などの借金が税収を上回る戦後初の事態。今後の財政運営が心配である。大風呂敷を広げたマニフェストに縛られての予算である。借金をしてまで、目玉法案の子ども手当て、高校無償化をすべきなのか疑問に思う。これらを含めてマニフェストの柔軟な見直しが必要ではないだろうか。
一般家庭なら収入より支出が多い借金生活など長続きするはずがない。夜逃げをするか、自己破産、自殺まで考える事態になる。日本がドバイ、ギリシャなどの国のようになることだけは避けて欲しい。国政を担う政治家諸氏に目先の参議院選挙だけにとらわれない百年先まで展望したビジョンを示してほしい。

2007.6月6日(水)北京・西安の旅23 
           「世界遺産 兵馬俑坑博物館」 


この旅行の目玉は万里の長城と兵馬俑坑博物館であった。何年か前に郡山市で「兵馬俑展」があった。数点の兵馬俑をみてその精巧さと等身大の埴輪に感動した。是非、現地へ行ってみたいという思いが芽生えた。それが実現した。圧巻である。

精巧な人馬の像が並ぶ地下の大部隊。
 陝西省西安市郊外にある。1974年、始皇帝陵東側の果樹園で井戸を掘っていた農民が、偶然、地中から陶製の武士像や馬像を掘り当てた。これが兵馬俑発見の第一歩。以後の詳しい調査で、これらは地下に眠る皇帝を守る大部隊だと判明し、世界的な考古学上の発見となった。見つかった6000体を越える兵馬俑は実物大で1体1体表情や服装、装備などが異なり、馬も写実的。当時の作成技術の高さが窺い知れる。現在1~3号坑が発掘調査され、公開されている。



北京・西安の旅23

2010-03-25 20:03:18 | 旅行
3月25日(水)小雨が降りみぞれが降る寒い日       
            = 予算成立、92兆円超 =

 一般会計総額が92兆2992億円になった2010年度予算が成立。当初予算段階から新規国債発行などの借金が税収を上回る戦後初の事態。今後の財政運営が心配である。大風呂敷を広げたマニフェストに縛られての予算である。借金をしてまで、目玉法案の子ども手当て、高校無償化をすべきなのか疑問に思う。これらを含めてマニフェストの柔軟な見直しが必要ではないだろうか。
一般家庭なら収入より支出が多い借金生活など長続きするはずがない。夜逃げをするか、自己破産、自殺まで考える事態になる。日本がドバイ、ギリシャなどの国のようになることだけは避けて欲しい。国政を担う政治家諸氏に目先の参議院選挙だけにとらわれない百年先まで展望したビジョンを示してほしい。

2007.6月6日(水)北京・西安の旅23 
           「世界遺産 兵馬俑坑博物館」 


この旅行の目玉は万里の長城と兵馬俑坑博物館であった。何年か前に郡山市で「兵馬俑展」があった。数点の兵馬俑をみてその精巧さと等身大の埴輪に感動した。是非、現地へ行ってみたいという思いが芽生えた。それが実現した。圧巻である。

精巧な人馬の像が並ぶ地下の大部隊。
 陝西省西安市郊外にある。1974年、始皇帝陵東側の果樹園で井戸を掘っていた農民が、偶然、地中から陶製の武士像や馬像を掘り当てた。これが兵馬俑発見の第一歩。以後の詳しい調査で、これらは地下に眠る皇帝を守る大部隊だと判明し、世界的な考古学上の発見となった。見つかった6000体を越える兵馬俑は実物大で1体1体表情や服装、装備などが異なり、馬も写実的。当時の作成技術の高さが窺い知れる。現在1~3号坑が発掘調査され、公開されている。



北京・西安の旅22

2010-03-24 23:23:24 | 旅行
3月24日(火)今日も小雨が降り寒い日       
            = 学校閉校・統合そして旅立ち =

 昨日県内では約2万人の小学生が卒業した。希望に満ち溢れて巣立った子ども達。いつでも帰ることのでき母校をもっている子ども達。母校が廃校になる学校の子ども達。悲喜交々である。
 県内の小学校の統廃合は少子化の進行を背景に17校が廃校となる。喜多方市山都町の山都二小では卒業式に続いて閉校式が行われた。児童13名、保護者、地域住民、教職員、卒業。木造で温もりのある校舎、雨・風・雪防ぐしゃれたエントランス、多目的ホール、オープンスペース
平成2年に学級、食堂など時代の最先端をいく充実した学校であった。平成4年には校庭が整備された。一週200mのトラック、そして100mが6コースができた。その他、遊具が沢山設置された。学級園もできた。少人数ながら校庭に雑草が生えないように地域・職員・児童で努力してきた。このようなすばらしい施設が活用されないのは残念でならない。前年廃校になった山都三小と併せて活用できたらいいだろう。大学などの合宿に活用できないものだろうか。提言します。

  


2007.6月6日(水)北京・西安の旅22 
           「西安郊外 いろいろと歩く」 


広大な西の城門の一部を見学し、場外へでる。美しい花が待っていた。そこは公園の一部であった。何のイベントかわからないが、幾つかの団体がパホーマンスのお披露目であった。
予期せぬことであったので、休憩を兼ねて演目を見学した。しばし休むとだるい感じが残る。常に自己管理です。「自分の体は自分で守る」のことの大切さを改めて実感した日であった。


北京・西安の旅21

2010-03-23 18:44:58 | 旅行
3月23日(月)小雨が降り寒い日       
            = 旅立ちの春 卒業 =

 子どもの成長は早い。息子の長男が卒業し4月から中学生。次男が進級し4月から6年生。娘の長女が4年生に進級し、次女が幼稚園の年長組。孫達の成長に驚く。
 特に息子の長男が卒業証書をもらってきて、「お爺ちゃん、お婆ちゃん 卒業したよありがとうございました。中学に行ってもしっかりやるからよろしくお願いします。」と挨拶したのには感激。祖父母馬鹿まるだしで喜んだ。だんだん生意気になっていくのだろうが、共稼ぎの両親を支えて面倒をみるしかないかな。もう少し健康に留意して元気に日々を送るように努力しようと思った。
  
2007.6月6日(水)北京・西安の旅21 
           「西安郊外 華清池」 

西の城門の一部の見学を終えて城壁の外に出る。そこは公園になっており人々が憩う場所であった。この公園を過ぎ、楊貴妃と玄宗皇帝が過した「華清池」へ移動。3000年ほど前の西周時代、驪山が爆発した際に温泉の沸いたとされる湯元。玄宗皇帝が中国4大美人の一人とされる才色兼備の女性楊貴妃と訪れた冬の離宮。二人専用の浴室や白い楊貴妃の像も素敵だった。沸き出る湯は、今も市民に利用されている。一口飲んでみた。女性なら美しくなるだろうが、男が飲んでも効きめなし。

秦代から続く温泉地で、唐代中期には、玄宗皇帝がここに華清池を建て、楊貴妃との愛の日々を送った。玄宗皇帝と楊貴妃の冬の宮殿であった。1986年には2人が使用したと思われる浴槽が発掘された。現在の建物は、清朝末期に西太后築いたもの。また、1936年
西安事件で蒋介石が捕らえられた場所として知られている。