会津の重ちゃん日記

日常の出来事、地方紙の記事、街中散策して見聞したことを発信。

京都夏の旅7

2011-07-31 22:23:11 | 旅行
2011年7月31日(日) 曇り 風さわやか
 住吉神社の夏越祭。日曜日なので例年山車を引いてくれた保育園児がいない。城西小学校の子どもクラブの児童もいない。町内の子どもはお囃子で山車は引けない。どうしょうよかなと迷ったが、親類縁者諸々の手づるを動員。そして大人も動員。勤めを調整して参加してくれた。わが家も東京の娘家族が祭りに参加してくれた。
 曇り空だが、雨も降らず風が吹き汗もあまりかかず祭りができてよかった。

7月16日(土)快晴 「宵山」

 地下鉄烏丸線 烏丸御池駅で下車。地上に出ると交差点。どこをどのように観て歩いたらよいか戸惑った。警察官が多数おられたので山鉾が沢山出ている小路を聞いて歩くことにした。
人の流れに沿って四条室町界隈へ。祇園祭の夜のハイライト。歩行者天国となった京都中心部に美しく飾りつけられた山鉾が立ち並ぶ。祇園囃子が奏でられる中、粽(ちまき)や護符を売る子ども達の声と喧騒、提灯明り・・・・・・。気分は最高潮に盛り上る。約45万人の人出。室町通は一方通行で無いので身動きできないほどだった。
 
 旧家では表の格子をはずして代々受け継がれた屏風や小袖などの諸道具を披露していた。屏風が多いので屏風祭ともいう。着物や帯の老舗誉田屋では創業273年にちなんで鯉273匹を描いた布が垂下がり圧巻。その中に金色の鯉が3匹いる。見つけてみましょうのクイズ。ほとんどの人が立ち止まり探した。もちろん私たちも・・・・。見つけることができ満足。




京都夏の旅6

2011-07-30 11:08:04 | 旅行
2011年7月29日(金) 大雨・雷
 昨晩から雷がなり雨が降り続いている。発達した前線の影響で、福島、新潟両県は記録的豪雨となった。会津地方(只見町、金山町、三島町、柳津町、南会津町など)では特に30日朝まで527.0ミリ(観測史上最多)降った只見町は全町避難勧告がでた。
 
 午前中車検。今年度は東日本大震災などで自動車の納税が5月から9月へ延期された。
22年度の納税証明書でよいはずだが、23年度の納税証明書があると思い処分していた。県合同庁舎に出向き納税証明書を再発行してもらい車検を受けることができた。
 13年乗って走行距離は約71,000km。ホリデー立会い車検なので説明を受けた。まだまだ乗れる車ということでほっとした。
 

7月16日(土)快晴 「宵山」

 宿で一休みをして「宵山」見物へ出かけた。時間的には午後5時では早いので東本願寺にお参りしてから地下鉄烏丸線で「烏丸御池駅」へ行くことにした。

 東本願寺は慶長7年創建で、高さ27mもの大師堂門をくぐり広い境内に入ると巨大な御影堂が目を引く。木造建築としては世界最大級でこれほどの建物が市の中心部にあるのも京都ならではの見所である。
境内から南に西日を浴びた京都タワーが見えたのでパチリと写真を撮った。

 祇園祭という名前から「宵山」や「山鉾巡行」は八坂神社から祇園四条、四条河原町、四条烏丸など四条通りで行われるものと思っていた。これも勘違いもはなはだしい。
 「宵山では」南北に走る烏丸通りと小路の室町通、新町通、西洞院通などそして堀川通りと東西に走る四条通りと錦小路、綾小路、蛸薬師通、仏光寺通など周辺に山鉾が立ち並ぶ。
「宵山」を見学するために地下鉄烏丸線を利用し烏丸御池で下車し室町通を歩きながら四条通へと向かった。
 

京都夏の旅5

2011-07-29 21:07:26 | 旅行
2011年7月28日(木)雨一時曇り後大雨 くもり
 第24回灯ろう流しの材料渡しの日。実行委員会事務局と委員数名で午前中雨が止んだ時期に昨年回収した灯ろうの点検と町内ごとの申込数を分けた。
 今年は409個の申込み。多いところは50個、少ない所は1個とばらばら。湯川から遠い町内は参加しないところもある。午後1時から2時 城西コミセンで材料を渡した。大雨だったのでコミセンから家も近いので私一人当番を引き受けた。
 昨年は5町内取りにこないので困ったが今年は1町内を除いて時間内に材料を取りに来た。電話や口頭での申込でなく往復はがきで返信してもらたのがよかった。来年もこのようにしよう。


 7月16日(土)快晴 御宿 にわ 

 「角屋」からタクシーで「御宿にわ」に着いた。

 この宿は外で気ままに夕食を楽しんだ後は京情緒溢れる宿でぐっすり。翌朝の素敵な朝ごはんが魅力の片泊まりの宿の一つ。雑誌で紹介されていた。
 お東さんの門前で宿屋を開いたのは昭和7年(1932)。3代目のご主人が失われゆく京町家の情緒をとどめるために職人達と共に再生した宿で、軒下に暖簾が下がる外観も小粋な町家のただずまい。奥深い館内は木の温もりもやさしく、箪笥階段のあるメゾネット式の部屋が人気。坪庭にしつらえた露天風呂も気持ちいい。家庭的なもてなしをしており、何度も利用したい宿である。<TEL075-351-1808>
 JR京都駅までは歩いて10分。地下鉄、近鉄京都駅、バスターミナル、定期観光バス乗り場があるので市内各所どこへ行くにも大変便利です。お奨めの宿の一つです。

京都夏の旅4

2011-07-28 19:37:11 | 旅行
2011年7月27日(水) 曇りのち雷雨
 今日は豊齢研ITサロン会津のパソコン教室。ノートパソコン、かばん、プロジェクター、弁当と両手いっぱいに持って地下駐車場からエレベーターで3階の研修室へ。朝から疲れた。午前中の会員は約30名。午後の会員はやや少ないが20数名。みんな高齢者だが学習意欲はすごい。疲れたなどといってはいられない。会員からパワーをもらってがんばった一日だった。

7月16日(土)快晴 「島原のQ&A」

見学を終えタクシーを頼み今晩の宿へ。

途中 島原の大門で記念写真を撮った。今まで2回来ているが今回のようにきちんとした説明を聞かなかったので大きな勘違いをしていた。島原にも大門があり郭内は江戸の吉原のような所と思っていた。
 私と同じような方もいると思うので「島原のQ&A」をパンフレットから抜粋してみます。

Q なぜ島原というか?
A 島原は、官命により、寛永18年(1641)に島原の前身である「六条三筋町」から現在地朱雀野に移されました。その移転騒動が、4,5前に九州で起きた島原の乱を思わせたことから、「島原」と呼ばれるようになった。正式地名は「西新家敷」

Q 島原と江戸の吉原の違いは?
A 島原は「花街(かがい)」歌や舞いを伴う遊宴の町、和歌俳諧等の文芸活動も盛んな町。歌舞練習場がある。大門も東口と西口があり老若男女誰でも通行可能な開放的な町。
吉原は「遊郭」歌や舞いもなく、宴会もしない、歓楽のみの町。周囲に10メートル幅の堀を設け、大門は1ヶ所にして厳しい管理を行い、遊女を閉じ込めるなど閉鎖的な町。

Q 太夫と花魁の違いは?
A 太夫は、傾城(官許により、遊宴の席で接待する女性)の芸妓部門の最高位。太夫は舞や音曲のほかに、花、和歌、俳諧などの教養を身につけていた。
花魁は芸を披露しないため、歌舞音曲を必要としない娼妓部門の最高位。
外見上の大きな違いは帯の結び方です。太夫の帯は前に「心」と結び、花魁の帯は前にだらりと垂らして結ぶ。

 どうですか少しお分かりになりましたか。(つづく)




京都夏の旅3

2011-07-26 22:47:39 | 旅行
2011年7月26日(火) 晴れのち雷雨
 何時ものように妻の習いものの送り迎い。その合間にスズキ種苗店に白菜の種を買いに寄る。晩キュウリの苗があった。現在食べているキュウリは間もなく収穫できなくなる。
 いつもは地這いキュウリや晩きゅうりの苗づくりからはじめていたのだが、今回は苗を買って植えつける事にした。
 また、KユーD2の大型郊外店では秋なす千両の接木苗が100円で売られていた。安い。収穫量は落ちるが10月末頃まで茄子が食べれるかもしれないので苗5本を購入。
昼間は休んで午後4時以降に野良仕事を始めようと思ったら雨が降り出して植え付けは中止。
7月16日(土)快晴 「角屋」

午後1時からの見学者が終わって私たち2時からの見学者が2階へ案内された。昔は中戸口玄関(庭が見えるように石畳が斜めになっている)から入り網代の間(1階表座敷)の右脇階段を上がった。  少し急な階段を上がると薄暗い。そして蒸し暑い。国指定文化財なので電源設備がない。緞子(どんす)の間、翠簾(みす)の間、扇の間、草花の間、馬の間、青貝の間、桧垣の間とそれぞれの部屋の特徴や円山応挙や蕪村の襖絵の説明を受けた。行燈のすすで黒ずんではいるが各部屋の細工の工夫などはすばらしい。お奨めです。

 蒸し暑い2階から1階の大座敷松の間へ移動した。案内人も交替。ここは文化財指定になっていないので照明もクーラーもあり、写真撮影もOK。庭の臥龍松を見ながら説明を受けた。
各藩武家屋敷の大宴会も角屋をはじめとする揚屋が担ったが、幕末になると勤皇派の久坂玄端や西郷隆盛、坂本龍馬などの密議に使われた。新撰組の出入りもあったが池田屋のような騒動はなかった。ただ、文久三年(1863)新撰組初代筆頭局長芹沢鴨が角屋の大座敷松の間で遊宴の後、壬生の屯所八木邸に帰宅後暗殺されるという事態はあった。

明治維新後は、大型宴会の需要がなくなるとともに、足場の悪さもあって、島原の町全体が衰微した。それ以降は祇園が花街の主役にとって代わった。

京都夏の旅2

2011-07-25 17:19:48 | 旅行
2011年7月25日(月) 曇りのち晴れ
久しぶりにプールに出かけストレッチと水中運動をした。身体が軽くなったような気がするが右肩の痛みは消えない。ゴルフのスイングが出来ない状態が続いている。まあ、放射線量を気にしたり、熱中症を気にしたりしなくてすむからゴルフは当分休みである。

 7月16日(土)快晴 島原花街の「角屋」

 午後2時島原花街の「角屋」に到着。案内の時間まで少し余裕があったので、1階の島原文芸資料室や公開している台所全体、中戸口玄関前、網代の間、主庭、松の間を自由見学。
<角屋>は、島原開設当初から連綿と建物・家督を維持しつづけ、江戸期の饗宴・もてなしの文化の場である揚屋建築の唯一の遺構として、昭和27年(1952)に国の重要文化財に指定された。揚屋とは、1階が台所と居住部分で2階を主たる座敷とした饗宴をさせたので客を2階に揚げるという意味である。角屋は遊郭の店ではなく、「置屋」から太夫や芸妓を呼んで料理を出すところであった。(現在の料理屋・料亭)
 饗宴のための施設ということから、大座敷に面した広庭に必ずお茶席を配すると共に庫裡と同程度の台所をそなえていることが重要な特徴である。
 2階は写真撮影が出来なかったので1階の一部の写真を載せます。



 (つづく)

京都夏の旅1

2011-07-24 22:26:20 | 旅行
2011年7月24日(日) 曇りのち晴れ
 昨夜の町内夏祭り「夕涼み会」の余韻(少し飲みすぎ?)があり午前中は部屋でごろごろと過す。午後は畑の除草をしてみっちりと汗をかいた。アルコールが身体からすーと抜け気分爽快。
 ブログを見るとしばらく休んでいたにも関わらずランキング入りしていました。1,611,232中8,973位のアクセスでした。皆さんありがとうございます。拙い日記ですがこれを励みにまたアップしていきたいと思います。来訪お待ちしています。

 いつまでもお待たせできないですね。京都夏の旅をアップします。
会津若松市の方は下記の交通機関利用は効率的です。参考にしてください。

7月16日(土)快晴 京都へ出発

西若松駅発(6:26)→会津若松駅着(6:33)→同駅発(6:36)→郡山着(7:51)→同駅発(8:05 やまびこ232号 指定席)→東京着(9:28)→同駅発新幹線(10:03 ひかり467号 指定席)→京都着(12:48)

 当日は連休初日で電車は満席。東京駅や京都駅構内は人、人で溢れていた。
午後の時間を有効に使うため、昼食は車内で駅弁ですませた。
 到着するとすぐに駅前の定期観光バス案内所に行き、事前に予約しておいた明日の「山鉾・高尾川床料理・大覚寺コース」の切符を購入した。
 その後、伊勢丹デパートの地下でお土産などをみて「角屋」見学の時間調整をした。
 何度か京都に来ているが、「角屋」の2階は予約しないと見学できない。時間が合わなかったり、休館だったりして・・・・。
 7月19日~9月14日まで休館する情報を得たので、出発前事前予約をした。
 午後2時15分に間に合うようにタクシーで島原の「角屋」へ向った。
(つづく)

 
 
 

忙しい土曜日 夕涼み

2011-07-23 22:52:49 | 地域情報
2011年7月23日(土) 曇り・一時雨
忙しい日であった。屋敷内の畑でないところに植えつけた玉ねぎは夏草の中にすっぽりと埋まってしまっている。午前中は雨が降ると玉ねぎが濡れてしまうので除草しながら収穫した。肥料が少なかったのか雨が少なかったのか今年は大小様々不ぞろい。家で消費する一冬分が収穫できたのでよかった。

 午後1時から住吉神社で夕涼み会の準備が始る。会場づくり、食べもの、飲み物、景品など。
 午後5時からは第24回灯ろう流し第2回実行委員会に出席。城西コミセンで実行委員、協力委員など集まって作業内容などの確認をした。区長会庶務が実行委員会の事務局になっているので、夕涼み会については町内副会長と青壮年、女性達にお願いして進めてもらった。
 会議は能率的に進め、午後6時までには終える事ができた。急いで住吉神社境内「夕涼み」へ行く。例年通り外に広く会場を設営したのだが、天気予報に反して雨が降りだし、急遽社務所内に会場を移して夕涼み会を開催した。

 狭い会場だったが、色々な家族やご近所の方々と膝を付き合わせて飲み食いし談笑でき、町内の融和が図れてよかった。準備する人を含めて70~80名は集まった。

 夕涼み会の内容は若干変更したが、組対抗のじゃんけん大会は代表戦。優勝はメロン1箱とバナナ1箱、準優勝と3位はバナナ1箱。4位以下は参加賞として洗剤やテッシュペーパーを組の戸数分(会場に来た)。

 この後、町内会長の私とじゃんけんをして勝った人が次のような賞品をゲットできるじゃんけん大会を行った。
 今年は賞品は豪華であった。
 こしひかり10kg--3袋、ダイナマイト西瓜1個、掃除機1台、電子レンジ1台。
 
 賞品をもらった人で持ち帰れなくて家族に車で迎えに来てもらった人もいた。
 豪華賞品で来年はもっと盛り上るだろう。午後8時頃散会。
 雨も上がり境内ではミニ花火大会をして残った子ども達が楽しんだ。

 諸準備をし後片付けもしてくれた町内副会長と青壮年、女性達に感謝する。
 
 

京都から帰って

2011-07-22 20:58:54 | Weblog
2011年7月22日(金) 晴れ
16日から19日まで京都の祇園祭を見学に行った。夜遅く帰って次ぎの日20日は豊齢研ITサロン会津の教室に出席。
 
 21日は夏草繁る畑の世話をする。お化けきゅうりや茄子、トマト、インゲンなど収穫し食べきれないのでご近所に配った。夏の旅行は草花の水やりが一番心配であるが、
アサガオの緑のカーテンはしおれることなくつるを伸ばし葉を広げていた。花壇の百日草や棚の下や木陰に置いた植物も枯れずにあった。ほっとした。
 21日午後は城西地区灯ろう流し実行委員会事務局会と四中旅行無尽に出席した。
 
 22日は会津の峠テクテク会10周年記念講演「峠と植物」を開催した。
 本来は3月に実施するはずだったが東日本大震災のため延期し、ようやく実施できた。
 講師は前会津生物同好会会長 折笠 常弘 先生。

 会津の地形や気象の話から始り、峠は植物の分布の境であり非常に興味深い。長年の研究実績に基づき、写真を提示しながらのお話は大変勉強になった。赤井谷地で昭和天皇をご案内したこと、ホロムイイチゴのこと、皇居を訪ねたことなど、エピスオードを交えての話は笑いもあり楽しく拝聴できた。

 会津の峠テクテク会会長として10周年講演を実施してよかった。一つの区切りをつける事ができる。
 

京都夏の旅

2011-07-15 18:47:26 | 旅行
2011年7月15日(金) 快晴・猛暑日
 朝から蒸し暑くて蒸し暑くてどうにもならない日であったが、旅行の準備をして大きな荷物は宿へ送った。16日~19日まで留守にするので草花がしおれてしまわないか心配である。向かいに住んでいる息子夫婦に水やりを頼む。盆栽や植木は棚の下や木陰に移した。二人で出かけるといなるといろいろと忙しい。


 今まで春の京都、秋の京都2回、冬の京都と一人歩きをしてきた。今回は夏の京都一人歩きでなく妻と二人で京都を歩くことにした。「祇園祭」宵山と本祭り山鉾を観るために出かけます。暑い会津盆地から暑い京都盆地ですが祭りの熱気を味わってきます。

 帰ってから、京都の祭りをアップします。