会津の重ちゃん日記

日常の出来事、地方紙の記事、街中散策して見聞したことを発信。

酒がうまい

2013-01-31 21:13:26 | 健康
2013年1月31日(木)晴れ 3.5度~-8.9度 

 放射冷却だろうか県内各地で朝方の温度が非常に低くなった。湯たんぽだけで寝ているので肩のあたりが寒くて目を覚ましてしまった。
時間経過とともに陽が昇り気温も上昇して凌ぎやすく気持ちのよい一日であった。
 土曜、日曜の大雪で外出もままならなかったが久しぶりにインタナーショナルスイミングスクールに出かけストレッチや水中運動をする。
体の節々が「ぽきっ ぽきっ」と音がする。雪片付けで筋肉痛になった足腰、手足が水中で体を動かすとあまり痛みもなく動かすことができた。すっきした。週2回のプール通いは休まないようにしよう。
 
 プールからの帰り道 地酒専門店により「会津娘」などを造っている高橋庄作酒造の「雪がすみの郷」を買う。昔から愛された霞のような酒。純米うすにごり生酒で季節限定で販売している。重ちゃんは大好きです。酒好きの方はもう飲んでいるでしょうね。まだの方は飲んでみてください。(宣伝費などはもらっていません。・・笑い)
 続いてJA経営の「まんま^じゃー」へ寄り、生花、野菜、イナゴの甘露煮、みかんを買った。おっと忘れていました。馬刺を買いました。これが一番のメーンの買い物でした。酒といえばつまみですからね。

 夕方は高校受験を控えている孫を学習塾に送って祖父の役目を果たしてから晩酌。「うまーい。」


 



「八重」の出版物あれこれ

2013-01-29 11:07:55 | Weblog
2013年1月29日(火)曇り 3.0度~-2.3度 

 昨年NHK大河ドラマに「八重の桜」が決定してから一挙に関心が高まり、会津若松市「八重の桜」プロジェクト協議会ができ官民挙げての取り組みがはじまった。
「おもてなしキャラバン隊 ふくしま八重隊」が、福島県内外を問わず、さまざまなイベント等に出演し、そのパフォーマンスを通じて福島県のPR。八重の魅力をアピールしている。その上、まちかどで出会える「ハンサムウーマン」の心からのおもてなし。八重&会津博 大河ドラマ館のオープン。
  会津に生まれ、会津で育っていても「新島(山本)八重」についてあまり知らなかった。昨年公民館主催の「八重の桜」の講座を受講したり、会津バスツアー「八重ゆかりの地」に参加して「八重」について学んだ。


 また、福島民報情報ナビ「たいむ」に連載された「会津女性 八重の生涯」を読んだり、「幕末のジャンヌ・ダルク 歴史物語 新島八重の生涯」吉村康著(歴史春秋社)や「時代を駆ける 新島八重」野口信一・小枝弘和著(歴史春秋社)、「八重と会津戦争」(洋泉社)を購入して読んでみた。これらの出版物以外にも新島(山本)八重の評伝や物語などの本が昨年から今年にかけて次々と出版されている。

 ○「新島八重を歩く」星 亮一+戊辰戦争研究会著(潮書房光人社)、○「会津に恋して」小日向 えり著(新人物往来社)、○「明治の兄妹 新島八重と山本覚馬」(新人物往来社)、○「新島八重 ハンサムな女傑の生涯」同志社同窓会著(淡交社)、○「清らかにたかく ハンサム・ガール」松尾しより著(双葉社)、○「日本の元気印・新島八重」本井康博著(思文閣出版)、○「八重さん、お乗りになりますか」本井康博著(思文閣出版)、○「八重と新島襄」保坂正康著(毎日新聞社)、○「媚びず動ぜず凛として 新島八重」林 洋海著(上毛新聞社)、○「新島八重 おんなの戦い」福本武久著(角川oneテーマ21)、○「めぐり逢い 新島八重回想記」鳥越碧著(講談社)、○幕末のジャンルダルク新島八重」好川之範著(新人物文庫)、「川崎尚之助と八重」あさくらゆう著(知道出版)、「新島八重ものがたり」山本智子著(日本キリスト教団出版局)、○『すらすら読めてわかりやすい「新島八重」伝説』黒沢賢一著(創英社/三省堂書店)、○「あした咲く花」菅野彰著(イースト・ブレス)
 まだまだ新島八重についての出版物があると思いますが、本屋で手に取って見たり、図書館で借りて見たりしてから座右に置きたい本を買えばよいと思います。

 


ドラマ「八重の桜」の波及効果

2013-01-28 12:18:10 | Weblog
2013年1月28日(月)晴れ 2.1度~-2.9度 

 NHK大河ドラマ「八重の桜」が3週目となり好調なスタート。制作を統括するNHKの内藤慎介エグゼクティブ・プロデューサーは順調なスタートを喜び、「ドラマを通して伝えたいのは、夢を持って前に進めば必ず光は見えてくる、ということ。散りはしても苦しみを乗り越え再び花を咲かせるー。この美学こそ震災に傷つき、悩むわれわれの背中を押してくれてのではないか」とコメントした。

 またNHK14日・21日「鶴瓶の家族に乾杯」で綾瀬はるかがハンサムウーマンと会津の魅力を発信したり、26日「土曜日スタジオパーク」では須賀川市から西田敏行・佐藤B作を招いて撮影の裏話と会津の魅力を語った。
また、福島中央テレビ27日「白虎隊~敗れざる者たち」で会津からみた戊辰戦争を描いている。会津は賊軍ではない。「京都守護職を引き受けるべきではない」と主張した西郷頼母。第一章2時間は見ごたえがあった。今後の第二章、三章が待ち遠しい。

 今年は風評被害を払拭して会津が脚光を浴びることだろう。市民総ガイドのつもりで会津に来た方々におもてなしの心をもって接していきたい。





大雪被害

2013-01-27 16:36:03 | Weblog
2013年1月28日(日)晴れ 2.1度~-2.9度 

 今冬最強クラスの寒気が日本列島に流れ込んだ。気象庁によると、北日本の上空約5,000mに氷点下42度以下の寒気が流れ込み強い冬型の気圧配置になった。会津若松市では26日午前7時、平成22年2月25日の「クリスマス豪雪」以来となる雪害応急対策本部を設置した。 午前中までは陽射しがありかなりの雪が降ったがさらさらしていた。午後から再び激しく雪が降り、日没後は市街地でも視界が極めて悪くなった。道路網も鉄道網も大混乱となった。

 雪質も変わり湿って重くなっていた。昨日も書いたが、昼食後、少し離れた駐車場へ行ってみた。降り積もった雪でパイプ車庫が倒壊しそうになっていた。雪を取り除き片づけたがこのままの状態だと雪が降りやまないので必ず倒壊する。

 懇意にしている大工さんに電話をして事情を話す。雪片付けの現場から午後5時頃来て応急処理をしてくれた。車庫が倒壊して自動車が潰れれば新車が買えるのだが・・・。雪が落ち着いたら全部撤去し新設するしかない。いくらかかるか分からないが大雪の被害は甚大である。

この大雪で28日(月)会津大学での講演が中止とのメールが来た。これも大雪の被害。

1月28日(月) 午後3時から 会津大学講堂にて開催を予定しておりました、「最新の情報通信政策とICTを活用した街づくりについて」講演会は、大雪による影響を鑑み中止といたしました。

参加申し込みをされた方におかれましては、お間違えのないようよろしくお願い致します。

会津若松市総務部情報政策課





大雪に悪戦苦闘

2013-01-26 15:20:28 | Weblog
2013年1月27日(土)大雪 -2.6度~-4.3度

 「雪やこんこ あられやこんこ 降っても降ってもまだ降りやまぬ・・・」の童謡ではないが、日本列島がすっぽりと寒気団に包まれてしまった。年に一、二度あるか、いや数年に一、二度あるかないかの大雪が昨日から降り止まない。雪国会津だがこの大雪には参った。
 昨日から何度雪片付けをしただろうか。酒づくりで喜多方に行くのを中止。息子も部活指導を中止。妻も○○さんを囲む会を欠席。

 今日は土曜日だったので息子夫婦もおり、我々老夫婦と4人で雪片付けをした。幸い裏に畑、隣が空き地なので雪片づける場所はある。午前11時会津若松市降雪量81cmのニュースを聞きながら汗を流した。

 昼食後、少し離れた駐車場へ行ってみた。降り積もった雪でパイプ車庫が倒壊しそうになっていた。車庫に入っている私の車、車庫脇に駐車して置いた息子夫婦の車が危ない。長い雪べらで車庫の雪を落とし、車の雪を払い、周辺の雪を片づける。
 明日まで降り止まなかったら1m以上の積雪量になるだろう。車庫の倒壊が心配だが今日の雪片付けはお仕舞い。早めに入浴して早めに休むことにする。 春の来ない冬は無いというが・・・・・・。
 



 


高齢者達の新年会

2013-01-25 12:10:29 | パソコン
2013年1月25日(金)雪 1.7度~-3.7度

 一昨日 東山温泉「御宿 東鳳」でNPO法人豊齢研ITサロン会津の新年会を行った。週間天気予報ではこの日だけが快晴で暖かく、寒い冬に外出するのが億劫になっている高齢者にはありがたい。
 
 出席を申し込んだが葬式、体調不良で欠席の方が3名おられた。例年のことであるのでしかたがない。そのことなどでホテルや役員との連絡は毎日であった。それでも34名が参加しホテルのバスや自家用車でホテルに到着。パソコン教室で学習した名刺づくりの成果を名刺交換しながら確かめあった。それぞれが個性的な名刺を作成していて学習の成果があがっていてよかった。



 入浴する人、お話しをする人などしばしの自由時間を過ごし、正午より長谷川代表の挨拶、安西さんの祝吟、岩崎監事の乾杯で新年会が始まった。午後2時までの2時間飲み放題の宴会だったが、自家用車で来た人、お酒を飲まない人、高齢になり飲んでも量が少なくなっている人が多くなっているので今後の宴会のあり方を考えなくてはならない。
 
 アルコール量は少なくなったが人生経験の豊富な高齢者の新年会である。芸達者が多く吟詠、マジック、舞踊、カラオケ、デュエットとなど出し物があり、午後2時までの時間があっという間に過ぎるほど盛り上がった。閉会の前には、男性群と女性群がそれぞれ合唱して宴会の締めをした。司会をはじめ宴会を盛り上げてくれた関係者に感謝したい。
 

 



男達の新年会

2013-01-22 12:17:56 | 料理と酒
2013年1月22日(火)曇り 3.7度~-1.3度 

 大寒が過ぎると寒さも軟らいだのか降り積もった雪も融けて道路は乾いたり、シャーペット状になっていた。天気予報では明日は少し晴れ間が見えるが、その後は雪マークが続く。まだまだ降雪と寒さは続くだろう。


 20日(日)の「男の料理味覚会」の新年会の様子を少しアップしてみます。
「居酒屋 籠太」の主人が会津の武家料理について市内の旧家の古文書を研究して復元した話しはすごく興味を引いた。戊辰戦争で多くの古文書が焼失したり散逸してしまい苦労した。戊辰戦争後鶴ヶ城の茶室「麟閣」を払い下げ受け保存しまたお城に寄付した森川薬局。この旧家に残っていた古文書、会州一酒造の古文書など。
研究の結果、会津の料理が京料理に似ているのは松平容保公が京都守護職になったからという説もあるが、それ以前に幕府の役人接待などで江戸で修業した武士が会津に料理を伝えたようである。例えば京都も会津も海から離れているが「ナマコ」など海産物を料理に使っている。(籠太のホームページに詳しい。みてください。)

講話を聴いた後は宴会となった。メーイン料理はふぐ鍋。ふぐ料理は調理免許を持っている料理人が調理しないとふぐの毒にあたることもある。この免許は各都道府県ごとに取得しなければならない。籠太の主人は京都、東京、会津若松で取得している。それでもふぐの肝は4日くらい水に晒して毒を抜くことが必要ということで今回の鍋には入っていない。
ふぐの産地は下関などだったが、最近は温暖化の影響かどうかわからないが青森が産地になっている。
とらふぐがおいしい。
 酒は20日に発売になって完売してしまう「飛露喜」や「会津娘原酒」、「にごり酒」など1升ビンを机上にどーんと置いて飲んだ。
 話題も料理の話、酒の話、旅行、政治、飛行機事故・・・・。大いに盛り上がった。
 
 

新年会が続く

2013-01-21 17:30:22 | Weblog
2013年1月21日(月)曇り 3.7度~-5.4度 

 年が明けて初めて飲食を伴う会合を新年会と呼ぶならば1月は数が多い。公的な役職は大部分辞任したので会合は少なくなったが同好会やお付き合いの会合はまだ少し残っている。
 5日は「知的のんべえの酒づくり講座」、15日は「西若松駅を愛する会」、19日は「きらく会(老人会)」、20日は「男の料理味覚会」、21日は「中学時代の同級生の無尽」、23日は「NPO法人 豊齢研ITサロン会津」、26日は「ほまれ酒造の酒づくりの会」と続く。胃癌手術してまだ10ヶ月なので会合には出席するが体調を考えて短時間で中座するようにしている。
 
 20日「男の味覚会」では懇親会に入る前に「会津の武家料理」や「ふぐ鍋」についての講話を聴いた。
 講師は会津でも有名な居酒屋「籠太」の主人(インターネットで検索して来る客が多い)。京都や東京で修業し、会津では古文書で武家料理など研究し郷土料理にも造詣が深い。また、会津坂下町の小さな酒屋だった廣木酒造の酒を全国的な酒「飛露喜」になるよう応援した一人である。
 
籠太(かごた)は江戸時代から昭和初期まで実在した江戸街道沿い、城下のはずれ滝沢峠の降りたあたりに実在した街道茶屋の名前です。つい数年前まで建物もありましたが、建て直しで池の庭と共に取り壊されてしまいました。
昔、参勤交代の折や、春には城下の人たちが石部桜で花見の折、夏には滝沢の不動様への夕涼み、秋には飯盛り山への茸狩りと、物見遊山の折に愛された、会津一の街道茶屋の名前です。

 店では折々の季節の名物料理が供されていましたが、又この茶屋の名物は、庭の池越しに松の立ち木の間から見える磐梯山が何よりのご馳走だったとか。私達は開店に当たり会津の多くの記録に登場し、又、人々の多くのドラマがあり、あたたかい人間的な匂いのするこの茶屋の名前に強く惹かれました。





久しぶりに祖父の出番

2013-01-19 15:55:02 | Weblog
2013年1月19日(土)晴れ 2.8度~-2.7度 

 十数年前息子家族が我が家の向かいに引っ越して来た。共稼ぎの親に代わって祖父母が孫の面倒を見ることになった。妻は年子の孫二人のおやつ、食事、洗濯などこまめに世話を焼く。私は車で保育園や病院への送迎。お遊戯会に招待されると喜んで出かけた。
その後、小学校に入学しても帰宅後は我が家に来て両親の帰りを待つ生活。その頃から私の出番はあまりなくなったが、妻は相変わらず孫の世話を焼く。中学校に入学するようになると部活などがあり帰宅も遅く、まっすぐ自宅へ帰るようになった。
 妻は孫のところへ出かけて部活で汚れた運動着などを持ち帰り洗濯、おやつなどを届けて食べさせる。世話が続く。
 何か用事があると「おばーちゃんは?」との第一声。孫も息子も・・・・。


 昨日は違っていた。息子が「明日 家にいる」と聞いてくる。土曜日だが両親は仕事で孫の部活や塾の送迎ができないのでそれを頼んで来た。久しぶりに祖父の出番である。当日はきらく会(老人会)の新年会だったが飲酒せず孫のスケジュールに合わせて車を運転した。
 高校受験を控えた中学3年生の孫は午前も午後も塾へ。中学2年生の孫は鶴ヶ城体育館でサッカーの練習へ。
 夕食の時 酒の肴が一品多かった。

ネットで祖父母の支援を調べたら
① 子育てや共働きをする上で祖父母の支援を得やすい「近居」が注目されている。その背景には、ワーク・ライフ・バランスに困難を抱える若い家族の働き方の問題があると思われる。

 本研究では、シニア世代の男女を対象に子育て支援の実態や支援の理由をたずねた。
② 孫がいる男女のほとんどが、何らかの形で孫の子育てを支援していた。祖母では祖母本人の年齢が若く、孫が幼く、孫と近居する場合に、より多くの支援を行っていた。

③ 祖父母が孫の子育てを支援するのは、「孫がかわいいから」という積極的な理由からだけではなかった。調査結果は、働く母親の仕事と子育ての両立や、帰宅時間の遅い父親に母親が子育てを頼れない状況を支えるために祖父母の支援が行われていることを示唆していた。

④ 幼い孫と近居し、孫の子育てをより多く支えている若い祖母では、孫の子育て支援に必ずしも積極的ではなく、身体的疲労を感じている人が少なくなかった。

⑤ 孫がいない男女の多くが、孫が生まれた場合には孫の子育てを支援したいと考えている。その理由として、子育ての大変さや女性が働き続けながら子育てをすることの難しさをあげる人が女性ではきわめて多かった。

⑥ 子育て期の家族が抱えるワーク・ライフ・バランスの困難を改善することは社会的課題であり、家族という私的領域内での対処には限界がある。家族間の世代間扶助に頼るのではなく、企業や地域社会、社会保障政策における世代間関係を総合的に再編する視点が不可欠である。

酒づくり その5 留仕込み

2013-01-17 12:25:41 | 料理と酒
2013年1月18日(金)雪 真冬日 -1.2度~-6.8度 

 午前中一時晴れていたので愛犬ラッシュの散歩を30分くらいした。
 凍結した路面の上にうっすらと新雪が降り積もっていてつるっと滑りそうになった。テレビで滑らない歩き方は原始人のように腰を少し落として前かがみになり、小幅で足裏全体をつけて歩けばよいと放映していた。雪国育ちの人間は経験的に履物を選び小幅で滑らないように歩くように心がけている。

 この厳しい寒さが酒つくりには最適である。
 酒づくり その4で述べたように日本酒は初仕込み、仲仕込み、留仕込みと三段仕込みが一般的である。
 踊りの翌日仲仕込を行い、仲仕込の翌日留仕込を行います。
 酵母が、環境に慣れたのを見計らって、仲添の約2倍量にあたる麹と蒸米と仕込み水を投入する。
この時点で、単純計算では最初の約8倍ほどの分量になっていることになるが、実際には醗酵が進み量的にかさがまし、20~25倍ぐらいの容積になっている。また泡あり酵母を用いた場合は、一時的とはいえ泡のためにそのはるか上を行く容積までに見かけ上は膨張するので、それを初めから計算に入れた上で仕込みタンクの大きさを決めなくてはならない。いま主流を占めているのは3t仕込みタンクで、約10tの収容能力がある。

今回の酒づくりでは最終的に、総米612kg、蒸米490kg、こうじ米122kg、仕込み水795ℓとなった。
 留仕込み(留添)をおこなったあとは、仕込みタンクの外郭部の空洞に冷水を入れたり、伝統的な製法では氷を周囲に縛りつけたりして温度管理をおこない醪の完成を待つ。温度管理の仕方や日数は吟醸系と非吟醸系とは異なるが、おおむね所要3~4週間。

仕込温度は徐々に下げていきます。仕込み温度は仲仕込で8~10度、留仕込で6~8度です。添と同様に、いずれの温度も、精米歩合が低くなるほど(高度精白した米ほど)低くなります。