2012年8月31日(金)晴れ 35.6度
いつものように午前7時過ぎラッシュが嫁に抱かれて我が家にくる。寝不足なのか大あくびして居間のテーブルの脇で寝る。
しばらくして起きて朝食をとっている妻のそばに横になる。いつもだと食べ物をねだるのだがそれもしない。5分くらい経って突然立ち上がり、手足を痙攣させ、よたよたする。よだれを流し失禁した。犬の異常な状態に我々夫婦もびっくりした。とりあえず抱っこして体をさすってやった。犬猫病院へ連れて行かなくてはとあわてふためいた。かかりつけの医院や鑑札などを聞くために、嫁の勤務先に電話をする。
嫁は落ち着いてラッシュは先天性のてんかん持ちだという。過去に2~3回発症していた。少し抱っこして体をさすってやっていれば発作が治まるとの返事。そのとおりにしたら発作がおさまり、廊下で熟睡した。 その後はいつもの元気なラシュになって一安心。
ペットの突然の異常に驚き、あわてた朝でした。
インターネトで「犬のてんかん」を調べてみた。
特発性のてんかんというのは、はっきりとした原因なしに起きる発作性障害のことをいう専門用語である。
それはまた遺伝的、あるいは先天的てんかんとも呼ばれる。
てんかん、発作、ひきつけ、あるいはけいれんと言う言葉は皆、同じ事を表しており、脳内のニューロンが突然、
発作的で連続した電気的放電を起こしたときに現われる体の状態のことである。
その結果、随意筋の不随意の収縮や、異常な興奮、異常な行動、あるいはこれらのいくつかが同時に起きる。
あなたの犬に症状が出るとき、様々な現われ方をすることがあり、単にぽかんとした目つきで、顔の一部を
ひくひくさせるだけの場合から、ばたんと横に倒れて、吼えたり、歯軋りをしたり、尿を漏らしたり、排便したり、
足をばたばたさせたりというひどい現われ方をする場合がある。
6月2日(土)旅行三日目 曇り 青島神社
温泉に入り、美味しい海鮮料理を食べ、焼酎を飲んで寝たのですっかり疲れがとれた。
日の出は午前5時06分。窓外をみると早起きして海岸を散策している人、勤務時間前にサーフィンをしている人と海岸は賑わっていた。私は自転車を借りてホテルから1kmくらい離れた青島神社に行ってみた。お参りして帰ってきたご夫婦にシャッターを押してもらた。
舗装された道の脇の海岸は波で浸食されていて鬼の洗濯板と呼ばれている。
青島神社(あおしまじんじゃ)は、宮崎県宮崎市青島にある、青島のほぼ中央に鎮座する神社で、周囲1.5kmの青島全島を境内地とする。旧社格は村社で、現在は神社本庁の別表神社。
青島は全島が熱帯・亜熱帯植物の群生地として、国の特別天然記念物に指定されている
元来は海洋に対する信仰によって創祀されたと考えられ[1]、古くから青島自体が霊域として崇められており[2]、そこから後述するように江戸時代まで全島が禁足地とされていた。社伝によれば、山幸海幸神話で、彦火火出見命が海神宮(わたつみのみや)から帰還した際に青島に上陸して宮を営んだため、その宮跡に命と上記2柱の神を祀ったのに始まると伝えるが[3]、寛文2年(1662年)の大地震で旧記古文書類を失った為に創祀の古伝を詳らかにしえないという[4]。
神社の旧記によれば、平安時代の日向国の国司の巡視記とされる『日向土産』なる書に「嵯峨天皇の御宇に奉崇(あがめまつる)青島大明神」と記され当時既に崇敬されていたと伝え、その後文亀3年(1503年)に伊東尹祐によって再興されて以降、伊東氏の篤い崇敬を受け、大永3年(1523年)、天正6年(1578年)、貞享4年(1687年)、寛保2年(1742年)、明和4年(1767年)、文化5年(1808年)と6度にわたる社殿の造営・改修や、境内の保全事業が行われた。また、飫肥藩時代は藩士の中で土器(かわらけ)格の者1人を島奉行に任じ[5]、島内の樹林や磯辺を監守させた他、牛馬を渡島させたり発砲を禁じたりと一切の汚穢を警戒させていた[4]。元文2年(1737年)まで入島は神職と島奉行のみに限られ、村民は対岸の尖浜(現青島海水浴場)に拝所を設けて遙拝していたが、当時の神主であった長友肥後が藩主に解禁を申請し、以来一般人の渡島参詣が可能になった。
明治4年(1871年)村社に列し、戦後は神社本庁の別表神社に指定された。
いつものように午前7時過ぎラッシュが嫁に抱かれて我が家にくる。寝不足なのか大あくびして居間のテーブルの脇で寝る。
しばらくして起きて朝食をとっている妻のそばに横になる。いつもだと食べ物をねだるのだがそれもしない。5分くらい経って突然立ち上がり、手足を痙攣させ、よたよたする。よだれを流し失禁した。犬の異常な状態に我々夫婦もびっくりした。とりあえず抱っこして体をさすってやった。犬猫病院へ連れて行かなくてはとあわてふためいた。かかりつけの医院や鑑札などを聞くために、嫁の勤務先に電話をする。
嫁は落ち着いてラッシュは先天性のてんかん持ちだという。過去に2~3回発症していた。少し抱っこして体をさすってやっていれば発作が治まるとの返事。そのとおりにしたら発作がおさまり、廊下で熟睡した。 その後はいつもの元気なラシュになって一安心。
ペットの突然の異常に驚き、あわてた朝でした。
インターネトで「犬のてんかん」を調べてみた。
特発性のてんかんというのは、はっきりとした原因なしに起きる発作性障害のことをいう専門用語である。
それはまた遺伝的、あるいは先天的てんかんとも呼ばれる。
てんかん、発作、ひきつけ、あるいはけいれんと言う言葉は皆、同じ事を表しており、脳内のニューロンが突然、
発作的で連続した電気的放電を起こしたときに現われる体の状態のことである。
その結果、随意筋の不随意の収縮や、異常な興奮、異常な行動、あるいはこれらのいくつかが同時に起きる。
あなたの犬に症状が出るとき、様々な現われ方をすることがあり、単にぽかんとした目つきで、顔の一部を
ひくひくさせるだけの場合から、ばたんと横に倒れて、吼えたり、歯軋りをしたり、尿を漏らしたり、排便したり、
足をばたばたさせたりというひどい現われ方をする場合がある。
6月2日(土)旅行三日目 曇り 青島神社
温泉に入り、美味しい海鮮料理を食べ、焼酎を飲んで寝たのですっかり疲れがとれた。
日の出は午前5時06分。窓外をみると早起きして海岸を散策している人、勤務時間前にサーフィンをしている人と海岸は賑わっていた。私は自転車を借りてホテルから1kmくらい離れた青島神社に行ってみた。お参りして帰ってきたご夫婦にシャッターを押してもらた。
舗装された道の脇の海岸は波で浸食されていて鬼の洗濯板と呼ばれている。
青島神社(あおしまじんじゃ)は、宮崎県宮崎市青島にある、青島のほぼ中央に鎮座する神社で、周囲1.5kmの青島全島を境内地とする。旧社格は村社で、現在は神社本庁の別表神社。
青島は全島が熱帯・亜熱帯植物の群生地として、国の特別天然記念物に指定されている
元来は海洋に対する信仰によって創祀されたと考えられ[1]、古くから青島自体が霊域として崇められており[2]、そこから後述するように江戸時代まで全島が禁足地とされていた。社伝によれば、山幸海幸神話で、彦火火出見命が海神宮(わたつみのみや)から帰還した際に青島に上陸して宮を営んだため、その宮跡に命と上記2柱の神を祀ったのに始まると伝えるが[3]、寛文2年(1662年)の大地震で旧記古文書類を失った為に創祀の古伝を詳らかにしえないという[4]。
神社の旧記によれば、平安時代の日向国の国司の巡視記とされる『日向土産』なる書に「嵯峨天皇の御宇に奉崇(あがめまつる)青島大明神」と記され当時既に崇敬されていたと伝え、その後文亀3年(1503年)に伊東尹祐によって再興されて以降、伊東氏の篤い崇敬を受け、大永3年(1523年)、天正6年(1578年)、貞享4年(1687年)、寛保2年(1742年)、明和4年(1767年)、文化5年(1808年)と6度にわたる社殿の造営・改修や、境内の保全事業が行われた。また、飫肥藩時代は藩士の中で土器(かわらけ)格の者1人を島奉行に任じ[5]、島内の樹林や磯辺を監守させた他、牛馬を渡島させたり発砲を禁じたりと一切の汚穢を警戒させていた[4]。元文2年(1737年)まで入島は神職と島奉行のみに限られ、村民は対岸の尖浜(現青島海水浴場)に拝所を設けて遙拝していたが、当時の神主であった長友肥後が藩主に解禁を申請し、以来一般人の渡島参詣が可能になった。
明治4年(1871年)村社に列し、戦後は神社本庁の別表神社に指定された。