会津の重ちゃん日記

日常の出来事、地方紙の記事、街中散策して見聞したことを発信。

京都冬ひとり旅 23

2011-03-31 17:24:35 | 旅行
2011年3月31日(木) 雷・吹雪・雨 
 早朝の雷雨、吹雪、雨と目まぐるしく変わった。特に朝方の雷鳴は地震かと思わせるような激しさだった。被災地はどうだったのだろうかと心配になる。
 
 午後3時に予約した「山鹿クリニック」の整形外科に出向く。あまり待つこともなく診察を受けることができた。前回とは違う医師だったが、レントゲン写真をよくみながら丁寧に説明したり、問診をし、診察をしてくださった。腰痛は神経面も影響している。
訴えを聞いてもらっただけで痛みが薄らいだ気がした。
 
 3分の診察と10分の診察では患者の心理は随分違う。腰痛の原因となっているすべり症はずいぶん若い時からなっていたようだ。筋力の衰えにより神経に触ることが多くなって痺れや痛みがある。背柱狭窄症の疑いもあるのでもう一度来院して別な医師にも診察してもらってくださいといわれた。とりあえず血流をよくする薬と炎症を和らげる薬と胃を守る薬を薬局よりもらった。食後に薬を出して飲んでいる友人・知人をみて薬を服用しないのが自慢だったのが、とうとう薬常用者の仲間入り。

 病院に来る時は雲っていたが暖かかったので自転車で出かけた。帰りは途中から土砂降りで頭からずぶぬれになってしまった。放射能物質が心配なのですぐ入浴し頭から洗い流した。妻が買って来てくれたケンタッキーフライドチキンを孫より早く食べ缶ビールを飲んでふぅーと一息ついた。いつもより早い晩酌でした。


~腰痛も 医師との会話 効果あり~

「京都冬の一人旅23」 
   第4日目 3月2日(水) くもり
 
圓徳院の掌美術館を出る。すぐ目の前に「ねねの小路」があり、幅1.5mくらいの道を左へ折れて歩いていくと昨夜宿泊した「田舎亭」のある石塀小路にでた。小路をそのまま歩いていくと下河原通りに出た。観光客も多くなった。
 右折して直進500mくらいいくと「八坂神社の鳥居」である。昨年は祇園の方から八坂神社にお参りしたので少し戸惑った。

 八坂神社は656年(斉明天皇2年)の創建と伝えられるが定かではない。祭神は素戔鳴尊(すさのうのみこと)。祇園社といい牛頭天皇をまつっていた。明治の神仏分離にともない八坂神社と改称された。祇園祭や新年のおけら詣りでしられ「祇園さん」と呼び親しまれている。7月16日の宵山と17日の山鉾巡行は是非みたい京都の祭である。
 今度は京都の祭を中心に「京都の一人旅」をしてみたい。1年前から宿探しをしなくてはならない。今年はあきらめるしかない。

 参拝を終え同じ道を戻り寒かったので南門脇にある「中村楼」の茶店に立ち寄る。
400年の歴史を誇り、明治維新の頃は中村屋といって向かいの藤屋とともに二軒茶屋と呼ばれる老舗。幕末には坂本龍馬など志士たちも出入りしていた。昼の懐石は12,705円~。夜は15,679円~。
 昼時でお腹は空いていたが茶店のお汁粉750円で我慢した。体が温まった。
 

 
 

京都冬ひとり旅 22

2011-03-30 19:41:42 | 旅行
2011年3月30日(水) 晴れ 
 今回の大震災と原発事故への支援を城西地区区長会で話し合い義援金を贈ることにした。区内に町内会は戸数はまちまちだが29ある。それぞれの町内会で賛同し賛助金が七十数万円集まった。地区区長会長が社会福祉協議会へ届けた。
 同じような義援金のお願いが赤十字からも来た。町内に赤十字賛助会員(特別会員)がいるところはその方達が義援金を集めるが、赤十字賛助会員がいない町内は動きがにぶい。されぞれの町内で話し合って対処することになった。
 4月3日町内会総会がある。出席者に図ってみる。

 1ヶ月振りにプールへ行く。腰痛がひどく立ち居振る舞いが大変だったが、ストレッチと水中運動をしたら体が軽くなった。明日山鹿クリニック整形外科を予約している。
 また、湿布と飲み薬かな? 腰痛は一生治らないのだろうか。
 手術は絶対したくない。

 久しぶりに雪の消えた裏庭と畑に出る。
 春がやって来た。3ヶ所ある福寿草がすべて咲いていた。クロッカスもクリスマスローズも・・・・・・・。自然の営みは静かにあるがままに動いている。
 福寿草を見て句集「山火」を主宰した萩市生まれの福田 蓼汀(りょうてい)の句がふと浮かんだ。それを引用します。


~福寿草 家族のごとく 固まりぬ~

「京都冬の一人旅22」 
   第4日目 3月2日(水) 高台寺「掌美術館」  
 
圓徳寺向かいにある掌のような小さな美術館。ここには高台寺と関連各寺院に収蔵されてきた名品を中心に高台院ゆかりの品々を展示公開している小さな美術館でした。北政所の生活を彩った様々な蒔絵の調度品の一部が展示されていた。
 特に今回特別公開されていたのは高台寺霊屋(秀吉と北政所をお祀りしている所)にある厨子であった。この厨子の中にまた小さな厨子があり大日如来像が入っていて、これを秀吉は戦場にも持参したという。・・・係の話・・・

 また、霊屋の須弥壇や厨子には、華麗な蒔絵が施された世に高台寺蒔絵と称され桃山時代の漆工芸美術の粋を集めている。


京都冬ひとり旅 21

2011-03-29 19:31:59 | 旅行
2011年3月29日(火) 晴れて暖かい 
 ガソリン、灯油、数週間前のあのパニック状態。朝から何時間も並ぶ。ガソリンスタンド周辺は車の列が幾重にもなり交通渋滞が起きた。バスは正規路線が走れず迂回した。
 整理券をもらって給油しても2,000円だけなどの制限があった。
 ところが今日はどうだろう、臨時休業しているガソリンスタンドは見当たらない。いつでも給油できますの張り紙。
 11日以来 必要最小限の運転しかしなかったのでガス欠の心配もなかった。
 久しぶりにガソリンスタンドへ行って給油した。待つこともなく満タン。その上リッター2円の割引と下部洗車無料である。
 
 被災地や救急車などを優先した今回の処置はよかったと思う。
 私たちは経験したことのない未曾有の大震災でパニックになってしまった。
 2~3週間待てば世の中が落ち着き様子が分かって来る。太平洋戦争時と違って備蓄石油は十分あると日本石油連盟が発表しても、目の前に無いと人間は風評に怯えパニックになるのだろう。
 このような風評被害についてNHKで学者が次のようなことを語っていた。
 「ガソリンや灯油は当分入荷しない。停電が続く。福島県の農作物は放射能物質が付いていて危ない・・・・など」
 すると人間の自己防衛メカニズムが働き、買い占めたり、買わなくなったりする。

 国などがリアルタイムで信頼できる情報を発表すること「安全は安全、危険は危険」。また、情報と行動指示が矛盾しないことが大事である。国民もリスクを許容することである。 
   
 
~パニックは 自己防衛の メカニズム~

「京都冬の一人旅21」 
   第4日目 3月2日(水) 晴れているがまだ寒い
 
ねねの道(高台寺道として親しまれた道)を下って目の前の圓徳院に着いた。慶長10年(1605)北政所ねねが豊臣秀吉との思いで深い伏見城の化粧殿とその前庭を山内に移築し移り住み、晩年の19年間を過した地。ねね亡き後、寛永9年(1632)、甥木下利房が高台寺の三江和尚を開基として、木下家の菩提寺の改めたことで
高台寺の塔頭となった。


 伏見城の化粧御殿前庭を移築した北庭は桃山時代の代表的な庭園で「天下一の名手」といわれた庭師・賢庭によるもの。後に小堀遠州が手をい加えたされるが、当時の原型をそのまま留めている。巨石を配した枯滝石組や築山を中心とした枯山庭園から桃山時代の豪胆な気風を窺い知ることができる。

 観光客はだれもいない。庭を独り占めで十数分眺めていた。ゆっくりと時間が流れていた。よかった。秋だったら紅葉が彩りを添える。それも趣があってよいが、ねねも眺めたであろうこの枯山庭園を一人で当時に思いを馳せ眺めることができて幸せであった。

 また、方丈には普通桐紋などを散らした唐紙には絵を描かないのが通例だが、襖絵制作をを懇願していた長谷川等伯が住職の留守中に一気に描きあげたという逸話が残る水墨画「山水図襖」(現在は復元を展示)をはじめ、襖絵、書簡などが所蔵されており見所は尽きなかった。写真撮影ができないのが残念です。
 今回は秀吉、ねね、秀吉の生母大政所の肖像画の寺宝などが特別公開されていて観ることができた。

京都冬ひとり旅 20

2011-03-28 20:30:38 | 旅行
2011年3月28日(月) くもり 
 午後1時30分から会津ワシントンホテルで福島県公務員連盟北会津支部地区委員会があった。平成23年度の総会について審議。例年総会後は歓送迎会を行っていたが、大震災と深刻な状況に陥っている原発事故等を勘案し飲酒を伴う歓送迎会は中止することに決定した。76地区の委員と理事・役員など約100名出席していても自分の意見を述べる者が非常に少ない。現役の時はそれなりに指導者として活躍してきた人達なのにこの沈黙は??????。
 私は、会が進行するような建設的な意見を述べたつもりである。

 最近色々な会合に出席して 2、3人集まると活発に話す人も多勢の前では貝になってしまう人が多いのが気になる。高齢者のみなさん元気を出しましょう。世の中の事に関心をもち積極的に関わりをもちましょう。

 自家用車は使わず会場が会津若松駅近くなので西若松駅から会津若松駅まで往復会津鉄道を利用した。只見線はいまだ不通。

 
~生き方は 内か外へか 退職者~

「京都冬の一人旅20」 
   第4日目 3月2日(水) 晴れ 寒い 
八坂の塔を眺めながら石段を上ると高台寺が正面に見えた。入場券は500円。但し圓徳院と掌美術館とセットだと共通入場券1,000円。もちろん1,000円の入場券を購入。(お寺も人間の心理をよくつかんでいる)
 
 まず、庫裏から方丈へ。案内人の説明を聞き、秀吉の陣羽織や羅紗のスリッパ、杖など
をみる。背丈が小さい。方丈の廊下でしばし腰を下ろし、庭園や開山堂を眺めた。
 季節が冬、午前中ということで観光客もまばら。約30分くらいぼんやりと眺めて時間を過す。
       庭園は、開山堂の東の臥龍池、西の偃月池を中心として展開されており、小堀遠州の作によるもので、国の史跡・名勝に指定されている。偃月池には秀吉遺愛の観月台を配し、北に亀島、南の岬に鶴島を造り、その石組みの見事さは桃山時代を代表する庭園として知られている。

また、開山堂は高台寺一世の住持、三江紹益禅師(1572~1650)を祀る塔所である。左右壇上には木下家定(ねねの兄)、雲照院(家定の妻)等の像も安置されている。礼拝堂の天井には北政所の御所車の天井、前方格子天井には秀吉が使った御船の天井が使われている。

 臥龍廊は開山堂と霊屋を結ぶ階段で龍の背に似ているところからこのように名づけられた。

 傘亭・時雨亭は利休の意匠による茶室であり伏見から移築したものである。傘亭は竹が放射状に組まれ、カラカサを開けたように見える事からその名があり、正式には安閑窟と呼ばれる。時雨亭とは土間廊下でつながっている。



京都冬ひとり旅 19

2011-03-27 23:53:03 | 旅行
2011年3月27日(日) くもり 
 昨夜 町内会の会計監査を受け総会準備を話し合った。例年行っている町内会名簿作成のための世帯調べをどうするか。個人情報の問題がありなかなか大変である。
 
 しかし、今回のような大震災と原発事故が起きた時、町内として高齢者や独居者の緊急連絡先を知っておく必要があると判断し、23年度も作成することにした。
 昔からの世帯はよく分かるが、新しく町内にお出でになった方やアパートの方々(隣組みがない)の 情報がない。どうしたらよいか迷っている。他の区長も同じ事で悩んでいる。23年度は一軒一軒回って住民と話し合ってみようと思っている。
 何かよい知恵はありませんか。  
 
~プライバシー 守り過ぎても 行き詰まる~

「京都冬の一人旅19」 
   第4日目 3月2日(水) 晴れ 寒い 
 

坂本龍馬の墓を後にし維新の道を下る。間もなく右手に高台寺駐車場が見えた。そこを通りすぎてやはり右側の階段を上る。前方に八坂の塔と市街地が見えた。

 高台寺も何度か訪れているが冬は初めてです。
 東山霊山の山麓、八坂法観寺の東北にある。正しくは高台寿聖禅寺といい、豊臣秀吉没後、その菩提を弔うために秀吉夫人北の政所(ねね、出家して高台院湖月尼と号す)が慶長11年(1606)開創した寺である。寛永元年七月(1624)建仁寺の三江和尚を開山としてむかえ、高台寺と号した。
 造営に際しては、徳川家康は、当時の政治的配慮から多大の財政的援助を行ったので、寺観は壮麗を極めた。
 しかし寛政元年(1789)以後度々の火災にあって多くの堂宇を失い、現在残っているのは旧持仏堂の開山堂と霊屋(おたまや)、傘亭、時雨亭、表門、観月台などで現在
残っている。

京都冬ひとり旅 18

2011-03-26 17:01:47 | 旅行
2011年3月26日(土) 吹雪 
 午前6時半頃ラジオ体操をしていた地震情報が入る。会津若松で震度1の地震。喜多方、西会津も震度1だった。震源地は喜多方。びっくりする。
 
外は吹雪。寒さは厳しい。避難して来られた方は不安と寒さでご苦労されている。
 原発事故で会津にも多勢の避難者が来られた。大熊町は住民と町役場が会津若松市へ、楢葉町は住民と町役場が会津美里町へ移転。地元の受け入れも長期化を考え対応して行かなければならない。

それにしても原発事故では次から次へと想定外のことが起きる。
 海水注入したと思うと真水注水、高濃度の放射能物資が海へ流れ出ている。ほんとうにどうなってしまうのだろか。東電は廃炉にしないで発電しようとしているのだろうか。
いくらやっても次から次へと問題が発生している。チェリノブの事故ではコンクリートを流し込み放射能物資の発生を封じ込め廃炉にしたと聞く。
 日本ではその方法はできないのだろうか?
 
 政府発表、原子力保安委員会の見解、東京電力の謝罪、各マスメデアの取材発表と情報がまちまち。昨日駄目だった東京の水が今日は安全、福島県のハウスの中の野菜は安全とか情報がまちまち。何を信じてよいのだろうか。
 世界中の原子力の専門家や機関の協力を得て、しっかりした根拠に基づく発表と見通しを示して欲しい。
 
~情報は 一人歩きする 冷静に~

「京都冬の一人旅18」 
   第4日目 3月2日(水) 雨は上がったが寒い
 
急ぐ旅でもない。自分で計画を作ったので何時でも変更できる。
 はじめの計画では高台寺、圓徳院、清水寺周辺の散策であったが、石塀小路をあちこち歩いているうちに維新の道を歩いていた。午前11時頃だった。観光客もまばら。
 普通は産寧坂を上り清水寺へ行くところだがその後の二年坂などの上りがつらい。

 清水寺は何度も行っているので止めて維新の道の坂道を東へと歩いた。
 高台寺を左に見ながら10分位坂を上る。護国神社に着く。神社は改修工事中だった。
 神社手前の右側に坂本龍馬の墓の階段があった。地方の駅の無人の改札口と同じ。300円を入れて入る。急な石段を上るとそこに坂本龍馬と中岡慎太郎の墓と銅像があった。
そのまわりには西軍の人々の墓が幾重にも上にあった。



 昨年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」を視聴すると徳川慶喜が大政奉劇の大作者(説明板の言葉)である坂本龍馬が醤油商近江屋で殺害された後ここに埋葬された。
 会津の人間としては複雑な思いを抱いた。暗殺されなければ戊辰戦争もなく平穏に明治政府ができたのだろうか?
 
 京都の東から京都市を一望し高台寺へ向った。

京都冬ひとり旅 17

2011-03-25 18:46:34 | 旅行
2011年3月25日(金) 晴れ・くもり 
 豊齢研ITサロン会津の理事会を開き、4月以降の会の活動について話し合った。
 深刻な状況に陥っている原発事故と放射能物資の拡散・避難民の受け入れに伴う会場確保の難しさ等を勘案し、4月のITサロンのパソコン教室は全部休む。教室再開と中止になった野外研修は4月に理事会を開き決定することにした。
 私の関係しているいろいろな会でも中止や延期が多い。
 会津の峠テクテク会は3月の講演と4月の活動は中止。男の味覚会3月総会は延期。会津鉄道を愛する会3月例会は中止。某団体の6月県大会は中止など・・・・。

 このように今回の大震災は、我々の活動にも大きな影響を与えている。

 みんながみんな閉じこもってしまってよいのだろうか、こういう時こそ教室を開き高齢者の元気を示すべきという意見も豊齢研ITサロン会津の理事会ではでた。

 似たような意見が週刊クイックに呉服屋「としの坊」の主人が書いている。
一部引用します。

 「・・・避難生活者の方の為に出来る事、それは寄付や物資提供、ボランティアと様々ありますが、被災地以外の者は協力できることはしながら、なるべく平常の生活を保つことも大事だと思います。むやみに経済活動を止めてしまうのは、長期的にみれば不安材料になると思います。今後もスムーズな援助をするた為にも考えたいと思います。・・・・」

 これも一理ある。復興までには長い期間がかかる。避難生活も長期化する。援助は短期的なものであってはいけない。じっくりと腰をすえてできることは何かもう一度考えてみたい。  
 
~地元では 何ができるか、できないか~

「京都冬の一人旅17」 
   第4日目 3月2日(水) 田舎亭を後にして
 

2階には何組かの宿泊客がおられたようだが、誰とも顔を合わせる事もなく入浴したり洗顔したり出来た。つかづ離れずの女将のもてなしが心地よい。
 朝食は離れに運んでもらい京のおばんざいとおきまりの湯豆腐であった。
 雨もあがり久しぶりに晴れたが寒い。荷物はキャリーサービス(宅配)で次ぎの花屋旅館へ届けてもらい身軽になって田舎亭を後にした。

 石塀小路を散策しながら維新の道、坂本龍馬の墓へと向う。
 石塀小路では昨日「料理旅館 刀禰」に案内した外国の二人連れとばったり。「ハロー」とお互いに声をかけ、「バーイ」と分かれた。ただそれだけのことだが二人も私を覚えていてくれたのがちょとうれしい。

京都冬ひとり旅 16

2011-03-24 17:50:13 | 旅行
2011年3月24日(木) 晴れ・くもり 
 予定してあった集まりもない。ガソリンも給油が難しく車の運転も不安。家の中でパソコンをしたり、裏庭の落ち葉を集めたりして過す。
 息子夫婦はガソリン給油の不安を抱えながら山都と喜多方の勤務地へ。
 孫達はゲームをしたり、友達と遊んだりと春休みの第一日を過す。

 放射物汚染で福島県の野菜は出荷停止、食べるのも制限された。風評被害もはなはだしい。福島県産というだけで野菜だけでなく果実、米、水産物、原乳、食品加工物などが
売れない。地震、津波の自然災害だけでなく原発の事故(人災)が追い討ちをかけている。三重苦を強いられた福島県。憤りを何処にぶつけたらよいのだろうか。

 原子力発電所という危険な施設は遠くに置いて、電力を欲しいままに消費してきた大都会東京はこの大震災でどのような対応をしたのだろうか。消防の出動はすばらしい。
 
 しかし、この大震災を天罰だという知事がはじめのうちどんな支援を打ち出しただろうか。水道水が放射能に汚染されているので乳幼児には飲ませない方がよいという国の発表があると素早く備蓄飲料水を都民に配った。そしてメーカーに増産を要請した。

 財政的に豊かな東京はいまこそ長年電気で恩恵を受けてきた福島県に手を差し伸べるべきではないどろうか。東京は日本の中心で大事であるというが、一極集中では想像を絶する大震災が再び起きた時、大混乱になり日本は沈没してしまう。遷都や地方分散など真剣に議論していくことも大事である。

 とりあえず原発事故の収束を願う。

~原発の 怖さを知った 大惨事~

「京都冬の一人旅16」 
   第3日目 3月1日(火) 灯りが灯る  京懐石
 
  
夕食のことについて書いておきます。京都に来て3日目。今まで夕食はコンビニで買ったおにぎりなどで済ませていたが今夜は少し贅沢にと外人さんを案内する時探しておいた京懐石の店へ出かけた。
 
 京都東山高台寺「花咲 満治郎」である。築120年の歴史ある店内で京懐石に舌鼓を・・・・。この日は仏教系大学の先生方の宴会で予約なしでは無理だった。会津から来た一人旅の者だと話したら、座敷は無理だがテーブルでよければどうぞと言ってくれた。宴会で忙しいところ一人の客のために料理を用意してくれた。ありがたい。
 ミニ懐石3,500円~13,650円と幅がある。ほどほどの値段で注文。酒は地酒「京都千年」。若い女性料理人(修業4年)がいろいろと気を使って料理を運んでくれた。日本料理の世界にも女性が進出している。先付けはこの若い料理人が作った。盛り合わせも彩りも味もよかった。この後素材本来の味をを生かした華やかな京料理がでてきた。
 

 京都へ旅行された時は「花咲 満治郎」へ寄ってみてください。
          電話075-551-2900
 写真は女将と料理長と料理人です。

 この京料理店は祇園に「花咲 錦店」と「花咲 祇園店」がある。

京都冬ひとり旅 15

2011-03-23 21:53:32 | 旅行
2011年3月23日(水) 晴れ・吹雪・くもり 
 今日は孫の卒業式。この東日本大震災で卒業式もできない人々が多い。会津若松市の小学校では卒業式を挙行してくれた。紅白の幕も音楽もない質素な式であった。
 やんちゃな孫も卒業。4月からは1歳上の兄と中学校へ通う。
 過ぎてみれば早いものである。近くの幼稚園も保育園も入れず遠くの保育園へ送迎したこと。中耳炎など病院通いをしたこと。その孫が6年生になると水泳や陸上の選手で活躍。地元の城西ドッチボールクラブに入り、ほぼ毎週練習や試合をしていたこと、兄に刺激されたのか塾へ自分から行くようになったこと。ぐんぐん力をつけて成績も向上した。
 面倒みてきた祖父母もうれしい日であった。夕食は孫の家でお祝い。
  
 
~孫巣立ち あった言う間の 6年か~

「京都冬の一人旅15」 
   第3日目 3月1日(火)雨が止む
 

 アメリカの女性二人を「料理旅館 刀禰」へ。そして今夜の宿「田舎亭」へ戻り部屋に案内してもらった。この宿は石畳が続く石塀小路の路地の奥。かっては一見さんお断りの伝統もあった宿で、映画関係者や芸能人たちがお忍びで訪れる隠れ家的な宿でもある。
 ドラマでも時々撮影される宿。
 築140年の建物の客室はすべて趣が異なり、風雅な客室を改造した離れもある。
 昨年12月に予約したのでこの離れに宿泊することが出来た。映画関係者や芸能人になったような気分である。それもお忍びで・・・・・・。
 部屋の明かりがほのぼのと灯っている。4畳半の離れで炬燵に入り盃に酒を注いでもらいながらゆったりくつろいでいる私の姿を想像してください。酒を注いでくれているのは舞妓さんかな? 若女将かな?
 「うふふ・・・・・・・。」

 
 残念です。夕食は外に出て済ませ、帰りコンビニで買った缶ビールとつまみで寝酒。
枕を抱いて寝ました。

京都冬ひとり旅 14

2011-03-22 19:56:26 | 旅行
2011年3月22日(火) 曇り 
 従兄弟の告別式。夫婦で列席。今回の大震災などの様々なことがあって身内だけの家族葬であった。長兄が車イス生活になったのでここ数年は本家としての付き合いは私がしている。今回もその立場で参列。一般会葬者はなかったが心を込めて葬送の儀ができた。
 大震災で火葬も出来ず遺体を土葬するしかないとの報道を聞くとつつましく野辺の送りが出来ただけでもよかったと思う。都会などでは家族・親族の葬儀が増えているらしい。
 
~大震災 野辺の送りは つつましく~

「京都冬の一人旅14」 
   第3日目 3月1日(火)雨が止む
 
 訪ね歩いてやっと石塀小路を見つけた。ねねの道から西側にある小路。もとは圓徳寺の敷地だった。国の重要伝統建造物群保存地区にも指定されていて、旅館や料亭など趣ある風情が楽しめるところである。
 午後3時頃「田舎亭」を見つけた。まだ、部屋の用意ができていないということで荷物を置いて夕食を食べる場所を探して歩いた。高台寺周辺、ねねの道など・・。雨は止み夕闇がせまりあちこちに灯りがともりはじめていた。
 「てんぷら、りきや」とアメリカの女性に声をかけられた。はじめ何のことか分からなかったが地図を持って何かを探しているのかと察した。
「キャン ユ スピーク ジャパニィーズ」(日本語が話せますか)「ノー」である。
[アイ キャンノット スピーク エングリッシュ」(私も英語が話せない)
 それでも困っている外国の人が多勢観光客が歩いているのに私に声をかけてきたのは何かの巡り合わせである。知っている単語とボディランゲージ(動作)で会話を続ける。
 「ユー マップ プリーズ」(地図を見せてください)と言って地図を見る。
 夕食を食べる場所探しをしていたので彼女達が探している「てんぷら りきや」は「料理旅館 力彌」ではないかと思い案内する。「ウイズ ユ レツ ゴー」(一緒に行きましょう)。目的の旅館に案内できてよかった。「ありがとう」と日本語で言ってくれた。
 海外旅行を何回かしていたので外国の人と単語とボデーランゲージで通じる事を体験していたからすんなりと対応できたのかな。一人旅のよい思い出ができた。