会津の重ちゃん日記

日常の出来事、地方紙の記事、街中散策して見聞したことを発信。

ラシュは今 どこ?

2013-09-27 22:02:20 | 愛犬
2013年10月1日(火)晴 27.8℃~16.1℃

 栗の実がはじけて地に落ち、柿の実が日に日に色づいてきました。暑い暑いと言っていたのが遠い昔のように思えるこの頃です。
 9月25日(水)午後6時頃 いつもの散歩コースでリードから首輪がはずれるアクシデントがあり、愛犬が逃げてしまった。
 妻を携帯で呼び出し二人で探す。犬が向こうにいたよとの子どもの情報でその方向に行くと他家の庭先に居た。呼んで捕まえようとすると追いかけっこを楽しむように逃げ回る。
 夕闇が迫り、暗くなったので探すのを止め、西若松駅東口広場のベンチに座っていると、やって来た。餌を与えて捕えようとするとまた逃げてしまった。その夜は、息子夫婦、孫達総出で探すも見つからない。

 翌日すぐに保健所と警察署に届けを出す。「犬を探しています」のポスターを作り夫婦二人で駅周辺に貼った。ガソリンスタンド、美容院など知り合いにもポスターをお願いした。  翌日早速目撃情報が入ったが確実性に乏しかったので見つからない。次の日は愛犬家の方が心配して「犬は戻ってきますよ」と電話をくださった。しかし、その後はぱったりとない。毎日、2時間くらいエリアを決めて探している。
居なくなって1週間が経った。情報はない。
 朝夕急に気温が下がり寒くなった。どこで寒さを凌いでいるのだろうか。何を食べているのだろうか。水は飲んでいるのだろうか。気がかりでならない。家族同様にしていたラッシュが居ない生活は空虚でむなしい。
 優しい方に保護されていればいいのだが・・・。交通事故に遭って廃棄物として焼却されてしまったのだろうか。

ラッシュと共にした5年間の一コマ
愛犬ラシュ




愛犬行方不明

2013-09-26 19:38:03 | 愛犬
2013年9月26日(木)曇21.3℃~15.9℃

 昨日豊齢研ITサロン会津のパソコン教室。2ヶ月 GIMPやJTrimのソフトを使って画像編集を会員と共に学んできた。多くの経験を積んだ方の前で授業をするのは、資料準備、当日すすめ方など周到な計画と心構えが必要である。8月、9月の担当を終え帰宅する。


疲れた体を横たえて休んでいると、そばに来て疲れているの?と話しかけるような眼差しを向ける。右足でどうしたの?、と問いながら私の身体をかく。最高に従順な姿勢を示していた犬が散歩の途中リードから首輪が外れると脱兎の如く走り出してしまった。追いかけると遊んでいるつもりなのか他家の庭や畑を走り回る。午後6時過ぎて薄暮になったので探すのをやめた。
 探しても探しても見つからない。翌日は、保健所と警察署に届けた。下記のような“犬を探しています”のポスターを作成し、西若松駅の東口、西口周辺に掲示した。そして探し回る。成果なし。
 1件だけ見かけたという情報の電話があったので、探してみたがみつからない。
 毎日犬の散歩をしていると、愛犬家達が駅東口広場に集まる。愛犬行方不明を話すと、8日間も帰って来なかったとかセブンイレブンに迷い込み警察署に保護されたいたとかの話が聞く。柴犬は利口だから戻ってきますよと慰められる。

 飼い主の息子夫婦や孫達、私たち夫婦は、雨が降った夜はどこで寝たのかな?水や餌はどうしたのかな?道に迷っているのだろう?などと考えると気持ちが落ち着かない。[
一刻も早い吉報が欲しい










薪能 

2013-09-25 19:53:51 | 地域情報
2013年9月23日(火)晴29.7℃~12.1℃

会津能楽会の第27回会津鶴ヶ城薪能は、23日、会津若松市の会津能楽堂で催された。会津まつりの一環として行われた行事なので無料。
大勢の市民が詰めかけるだろうと思い開演50分前に行ったのだがイス席は満席。それでも空席がないかと見渡すと、最前列で舞台の真正面席が1つ空いていた。右隣3席が招待者席で教育長、市長、文化団体連絡協議会会長だった。だから空いていたのかと合点しながら空席に座った。3人ともよく知っていいる方だったので気を使わずに済んだ。途中から市長、教育長は退席したのでゆっったりと過ごすことができラッキーであった。

 佐藤ヨシカ会津能楽会会長挨拶、室井昭平市長の祝辞に続き、宝生流の「嵐山」「頼政」、観世流の「高砂」「江口」の仕舞が演じられた。
 風があったため薪の火入れはせず、宝生流の「胡蝶」の能を上演した。
 風が強く吹き、寒さが厳しかったので、虫の音と星が彩る秋の宵に、薪の火がゆらめく幽玄の世界とはいかなかったが、集まった大勢の市民は、梅の花に出会った蝶が舞う幻想的な舞台を楽しんだ






浅田次郎講演会

2013-09-23 22:04:02 | Weblog
2013年9月22日(月)晴28.7℃~13.5℃

作家で日本ペンクラブ会長の浅田次郎氏の講演会が午後3時半から会津若松市の会津大講堂で開かれた。聴講は無料だが往復はがきで申し込みが必要であった。演題は「徳川幕府のしくみ」。
 
 市長の挨拶でも紹介されたが、浅田氏は『会津とは縁が深い。何の伝があるわけではないのだが、子どもの時分から今日まで、折に触れてお訪れているのである。幼いころのキャンプや、高校時代に一夏過ごした早稲沢の学生村、猪苗代や裏磐梯へのスキー行。アパレル業界での仕事でもいくどか会津若松にお邪魔した。職業作家になってからは、取材のためにやはりしばしば通っている。・・・略』
 という会津とのご縁という切り出しから講演がはじまった。
 内容は多岐にわたっているので全部をアップできませんが、自分なりに聴き取ったことをランダムに書いてみます。
  
 一つは、江戸に徳川家康が幕府を開いたのは、秀吉による家康の関東移封はである。現代でいえば良い意味での左遷だったと思います。箱根の坂より西である三河・駿河は、関東に比べれば先進地帯でした。家康の移封により、関東が発達する可能性が有ったし、未開の関東に飲み込まれて徳川家が潰れたら、秀吉にとってはそれでも良かったわけです。家康は地形に目をつけ、丘陵地帯を削り、江戸湾を埋め立て広い土地を作った。また、海運に江戸の繁栄を願った。その願い通り、江戸時代約260年は幕府初期の島原の乱と幕末の戊辰戦争以外は国内で戦争がなく日本独自の文化が華を咲かせ平穏な時代が続いたのである。

 二つは、政治の仕組みが現代のように中央集権のピラミット型でなかったことである。将軍の下に老中(4~6人)と若年寄(4~6人)がおり、その下に寺社奉行、勘定奉行、町奉行などが月番(1ヶ月勤務して1ヶ月休む)で務めた。老中は5万石以上の大名で全国支配の担当である。若年寄は5万石以下の大名で旗本や御家人の支配を軸とする将軍家の家政を担当した。(詳しくは大御所、大老、大目付などの役もあった)

 三つは、各大名の挌である。1万5千坪の本丸御殿は表・中奥・大奥が南から北にこの順で存在している。表は将軍謁見や諸役人の執務場、中奥は将軍の生活空間であるが、政務もここで行っていた。大奥は将軍の夫人や女中が生活する空間である。大奥は表や中奥とは銅塀で遮られており、一本(後に二本)の廊下でのみ行き来ができた。
 表には江戸詰となった大名が諸行事のたびに登城する。その時の部屋など席が決まっていた。将軍席の近くには、高松松平、会津松平、井伊家(譜代筆頭大名)、続いて御三家(尾張、紀伊、水戸)、前田家(外様筆頭大名)・・・。石高とか役職とか、徳川家との縁などを含めて挌という。

 四つは、参勤交代である。1年ごとに国元と江戸を行列をつくって行き来する。江戸に近いところは半年ごとであった。津軽藩や松前藩は免除されていた。五街道が整備され、宿場が栄え、助郷など・・・。助郷(すけごう)は、日本における労働課役の一形態。江戸時代に、徳川幕府が諸街道の宿場の保護、および、人足や馬の補充を目的として、宿場周辺の村落に課した夫役のことを言う。

 五つは、黒船来航である。ヨーロッパで起きた産業革命。資本主義による植民地化競争。中国(清王朝)の衰退などが日本の開国を促し、植民地化されることを防いだ明治維新。 鹿鳴館など欧米に追い付け追い越せが極端になり江戸文化が排除された。各地の城の取り壊しや神仏分離と廃仏毀釈(神仏習合の廃止、仏像の神体としての使用禁止、神社から仏教的要素の払拭などが行われた。祭神の決定、寺院の廃合、僧侶の神職への転向、仏像・仏具の破壊、仏事の禁止などを急激に実施したために、混乱した。明治4年(1871年)ごろ終熄したが、影響は大きかった。)今にして思えば貴重な江戸の文化遺産が無くなってしまったことが残念でならない。城の取り壊しをせず守った姫路城、松本城など幾つか現存しているのは地域の力だったのだろう。






お米シャンパンで乾杯!プロジェクトに参加して

2013-09-22 23:31:05 | Weblog
2013年9月22日(日)晴26.0℃~14.0℃

「お米シャンパンで乾杯!プロジェクト」に参加して????が多かった。
 
募集パンフレットには9月21日「酒米収穫見学と利酒」と書いてあっただけで当日の日程、集合場所など詳細が分からない。
 連休明けの17日にパンフレットの担当者に電話をした。
 「(資)大和川酒造店&(有)大和川ファーム&一般社団法人会津自然エネルギー機構 自然エネルギーでつくるお米シャンペンで乾杯!プロジェクト」担当 K・K氏と連絡がとれた。

 メールで下記のような日程が届いた。
 9月21日(土)酒米稲刈り見学会・太陽光パネル見学
  集 合 PM2:30   場 所 大和川酒造店 飯豊蔵(喜多方市押切南2-115)
  時間割 PM2:30 あいさつ
        3:00 酒米収穫現地見学 
        4:00 太陽光発電パネルの説明と見学
        4:30 日帰り温泉入浴(300円)
        6:00 ホテルチェックイン
        6:30 懇親会
  ※稲刈り体験希望者は、作業しやすい服装でおいでください。


当日 作業できる用意をして集合場所 飯豊蔵へ20分前に着いた。事務室で大和川酒造店の工場長と懇談して待ったが人が集まってこない。
担当者K・K氏が来る。「実は貴方と福島から来る夫婦だけの参加です。」と告げられ絶句してしまった。
「お米シャンパンで乾杯!プロジェクト」参加希望者に21日の日程通知が遅く、ほとんどの人が都合つかなかったらしい。
 それでも日程を一部変更して、太陽光発電パネルの説明と見学と酒米収穫現地見学を実施した。
 福島からお出でになったご夫婦は、酒米収穫現地見学を終えると宿泊地の湯野上温泉へ行かれた。
 私一人が稲刈り体験をした。この酒米は「美山錦」。この他草丈が1.5m以上で11月頃収穫する「雄町」、「五百万米」「山田錦」などの酒米が作付されていた田を巡った。特に酒造好適米としてランク上位の「山田錦」は関西地方でしか収穫できないと思っていたが、温暖化と生産技術の向上で会津でも作付できるようになった。
 工場長は恐縮して、雄国山麓のそば畑や恋人岬、恋人坂の景勝地などを案内してくれた。5月田に稲が植えられ水が張られた時、山麓からみる夕陽が沈む景色はとっても美しいと熱っぽく語った。


 たった一人なので日帰り温泉には行かず、ガーデンホテル喜多方に早々とチェックインした。  夕食はここ2~3年で有名になったもつ焼酒場「弦や」へ行った。このプロジェクトの担当K・K氏はホテルのオーナーでもあった。  一人では懇親会にならないので「弦や」に一緒に飲みに来てくれた。約1時間くらい地酒を飲み交わし談笑。    笑い話にもならない「お米シャンパンで乾杯!プロジェクト」参加であったが、ホテル代は2割引きだったし、翌日は知人の病気見舞いもできたので私にとってはよかった。

 
 

 




お米シャンパンで乾杯!プロジェクト

2013-09-21 08:56:08 | 地域情報
2013年9月21日(土)晴28.7℃~13.5℃

朝洗面で鏡を見る。首周りのしわ、顔のシミ、張りの無さ、風貌の変化にがっくりする。男性がエステに通い、洗顔クリームで顔を洗い、保湿クリームなど・・・・。若者はしていても新しい学帽をわざと破き、靴磨きの油を塗り、汗臭い手ぬぐいを腰に下げ、高下駄を履いたバンから時代に育った自分にまだそれはできない。でもひょっとすると小さなバックを持って洗面所で鏡を見ながら化粧直しをしているかもしれませんよ(笑い)。化粧品会社が男性にターゲットを絞っているらしい。また体力的な衰えはどうしようもないが好奇心だけはまだまだ旺盛である。

 写真は飯豊蔵です。

 春夏秋冬の節々に酒の頒布の案内が喜多方市大和川酒造から届く。その中に〝自然エネルギーでつくるお米シャンパンで乾杯プロジェクト”のパンフレットが入っていた。
 「お米シャンペンつくりを一緒にはじめませんか。しかも今回は、太陽光発電で蓄電池を満たし、お米シャンパン造りの工程で可能な限りか活用します。世界初の自然エネルギーを活用したお酒造りへの挑戦。ささやかな挑戦ですが、安心安全な自然エネルギーの普及にも役立ちます。
 酒造りは(資)大和川酒造店、お米作りは(有)大和川ファーム、自然エネルギー施設は、一般社団法人会津自然エネルギー機構に協力していただきます。お米シャンペンは3,000本製造予定です。このプロジェクトへの参加は1口2,000円です。完成したお米シャンペンが1本つきます。いい仲間が500人つくれたらいなと思っています・・・・・。略 」

 好奇心旺盛で酒好きの私が参加しないわけはありません。早速 申し込んでみました。

 そん結果は?明日アップ
 









中秋の名月

2013-09-20 19:16:01 | Weblog
2013年9月20日(金)晴28.2℃~12.2℃

昨日はインターナショナルスイミングスクールへ行った。腰痛リハビリのために月曜日と木曜日通っている。30分の床運動などストレッチをしてから水中歩行などの運動を50分、自由時間10分のスケジュール。所用があって休むと調子が悪い。無理してでも通って体を動かすとその時は辛いが、帰宅してからの生活は楽になる。

 画像は知人の青木氏より借用しました。

 年配者と女性ばかりのグループの黒一点なので自由時間のおしゃべりには中々とけこめない。
 この日は〝中秋の名月”の話。子どもが小さいころはこのような行事をどこの家庭でもやっていたよねと話が弾んだ。
 30代のコーチがお月見の餅は15個供える。そして野菜や果物を15品供えるんですか?聞いてきた。
 お餅は分かるがその他15品供えることがわからなかったという。家庭でも経験がなかったのだろう。サブコーチの20代もわからない。
お月見にお供えものをするのは、月が風雅の対象だけでなく、信仰の対象でもあったからです。この時期の収穫に感謝し、収穫物をお月様にお供えするようになりました。
 核家族化が進み日本の伝統行事が保育園や幼稚園でしか経験できなくなったのかと思うとなくさびしい限りである。


 我が家では孫が小さい時は、正月行事、団子さし、ひな祭り、端午の節句、七夕・・・などやってきたが、孫が中学生になるとほとんどやらなくなってしまった。時々思い出して老夫婦でお月見などは細々とやってきた。
月見団子でなく月見餅はスーパーで買い求めた。その他のお供え物はわが家で収穫できるものをと考え集めてみた。
 新じゃがいも、オクラ、茄子、トマト、キュウリ、ピーマン、インゲン、ニンニク、みょうが、枝豆、イチジク、栗、少し足りないので梨、オレンジ、ブドウなどは買い求めた。とくにぶどうなどのツルものは、月と人とのつながりが強くなるという縁起(えんぎ)のいいお供えものだそうです。
 ススキを飾ってみると月見のお膳立てができ風情があって自己満足。午後7時に旅行から帰って来た妻はびっくりしていたが、素敵といってくれた。老夫婦二人肩を寄せ合ってお月見です。いいでしょう。

じくじくした思い

2013-09-19 22:01:34 | Weblog
2013年9月19日(木)晴26.4℃~11.3℃

 〝会津の重ちゃん日記”に訪問してくださるみなさん。今日は中秋の名月。暗闇の中に満月の光。
 しばらくぶりでブログをアップします。
 この間、いろいろあったのですが以下に書くようなじくじくした思いが胸にわだかまってアップできませんでした。
 

 5日に 南相馬市に県退公連大会があって飯館村を通った。阿武隈山系北部の高原に開けた豊かな自然に恵まれた美しい村。
 日本で美しい村連合に福島県では北塩原村、三島町とともに加盟している。
 その美しい村が東日本大震災で起きた東京電力福島第一原子力発電所の事故で一瞬にして変貌した。あれから2年半が経過しても除染は進まず帰還することができない。田には稲が黄金色に輝き頭を垂れ収穫を迎える。高原には牛がのんびりと草を食べている。家庭では祖父母、両親、子どもがテレビを観ながら団欒の時間を過ごしている。
 その平凡だが幸せな日常生活が今はない。避難を余儀なくされている。
 こんなことが私の身に起きたら・・・・・・・? 誰に向かって抗議をしたらよいだろうか? 生活はできるだろうか? 帰還はいつ?と次から次へ不安といら立ちがつのるだろう。
 こんなことを書いている私自身にいらだちを覚える。あなたは当事者でないとお叱りをうける。その通り。じくじくした思いである。


 5日以降いろいろなことがあった。
 2020年 東京五輪決定で被災地のことは忘れ去られてしまわないか。台風で各地に被害。連日のごとく汚染水の問題が報道される。
 韓国では青森、岩手、宮城、福島、群馬、栃木、茨城、千葉の水産物の輸入をしないという。じくじくした思いである。

 安倍晋三首相は19日、東京電力第一原発を視察。ゴールの見えない汚染水問題にやっと政府は動き出した。オリンピック招致のプレゼンで首相は国際公約をしたのである。
 本気になって原発問題に取り組んでほしい。政府だけでない。与野党問わず国(全国民)を挙げてである。






ジャズフェステバル

2013-09-08 16:53:34 | Weblog
2013年9月8日(日)雨 22.0℃~19.3℃

仙台市に所用があって出かけた。会津若松市 県合同庁舎前午前7時30分発は高速バスはほぼ満席。若い人達が多かった。
仙台市は買い物、観劇、一番丁をブラリと歩く。ちょっぴり開放感が味わえる。やはり東北地方の中心都市である。
 
 街は「音楽の星・地球~ここから~」1991年参加バンド25グループからスタートした。今年は、700を超えるプロやアマチュアのグループが仙台市の公園や通りを舞台に演奏する。
第23回定禅寺ストリートジャズフェスティバルin仙台(実行委員会主催)が7、8日、仙台市中心部で繰り広げられていた。ことしのテーマは「音楽は無限大」。東日本大震災からの復興に取り組む杜の都が、彩り豊かな音楽に包まれる。一番丁で足を止めてしばし若者気分に浸った。


 ステージは青葉、宮城野両区の公園やビル前の空間、アーケード商店街など46カ所=地図=に設けられ、全国から733バンド、約5000人が参加する。ジャズに限らずロックやポップス、ブルース、ゴスペルといった多様なジャンルが奏でられる。
 演奏は両日とも午前11時~午後5時半ごろ。青葉区の勾当台公園など9カ所は、午後8時まで演奏が続く「ナイトステージ」となる。
 勾当台公園市民広場では7日午後5時半~8時、プロ奏者によるステージ「サタデーナイトジャム」が4年ぶりに復活。ジャズボーカリストのシャンティさん、ピアニストの塩谷哲さん、世界的トランペッターの日野皓正さんが出演する。
 締めくくりとなる8日午後6時からの同広場でのフィナーレは、未来を担う子どもたちが主役。石巻市の石巻ジュニアジャズオーケストラや七ケ浜町の「グルーブ7」などが登場し、無限の可能性と震災復興の希望を音楽で表現する。







飯館村を通って

2013-09-06 22:10:05 | 地域情報
2013年9月6日(金)曇 26.0℃~19.6℃

 南相馬市で開催された平成25年度福島県退職連盟相馬大会に参加するため会津若松市から磐越道・東北自動車道・国道4号・県道12号を利用した。川俣町ー飯舘村ー南相馬市を通った。特に飯館村を車窓から見たが家には灯りがない。人影もない。耕されない田畑が延々と続く。除染されたものがシートに覆われて道路すぐ脇に山積みされていた。
 時々車両を見かけるが除染関係者のものだろうか。テレビ報道や新聞記事などで惨状は知っていたが、現場を通り実際に光景を目にすると胸が熱くなった。福島第一原子力発電所事故により、平和な生活が一変してしまった。 住民の方々の心労は想像できない。
 国が最優先課題として原発事故問題に取り組んでいかなければならない。復興税は復興のためだけに使ってほしい。


 飯館村のホームページによると
 飯館村は、阿武隈山系北部の高原に開けた豊かな自然に恵まれた美しい村です。
総面積230.13キロ平方メートルの約75%を山林が占めた地形は比較的なだらかで、北に真野川、中央に新田川と飯樋川、南部に比曽川が流れその流域に耕地が開かれ集落を形成しています。
年平均気温は約10度、年間降水量1,300mm前後で高原地帯独特の冷涼な気候にあります。
2010年(平成22年)9月27日:「日本で最も美しい村」連合に加盟し、全国的にも住んでみたい村の上位にランクされていた。素晴らしい村であった。

 東日本大震災[編集]
2011年(平成23年)3月11日14時46分18秒、マグニチュード9.0の東北地方太平洋沖地震が発生し、飯舘村は震度6弱(観測地点:伊丹沢地区)を記録した[7](cf. 東日本大震災)。 地震動そのものによる被害は他地域との比較の上で極めて軽微であったが、地震とそれに伴う津波によって引き起こされた福島第一原子力発電所事故(東京電力)の影響は深刻なものとなった。飯舘村はその全域が、放射線量が年間積算20ミリシーベルトに達するおそれがあるとする「計画的避難区域」(1カ月以内を目安として住民全員の避難が指示される区域。より深刻な「警戒区域」の外側)に指定され、土壌からは放射性物質の検出が続いている。


2011年
4月10日 - この時点で判明した人的被害は死者1人・行方不明者0人。
4月11日 - 原子力事故の影響により、福島第一原子力発電所から20km圏外にある福島県内5市町村(飯舘村・浪江町・葛尾村の全域、および、川俣町と南相馬市の一部地域。対象は約3,000世帯・約10,000人)が、計画的避難区域に指定される。
5月15日 - 政府指定の計画的避難区域で計画的避難が開始され、初日は飯舘村民および川俣町民の、乳幼児がいる18世帯・113人が区域外へ移動した(飯舘村民の移動先は福島市)。なお、計画的避難区域の全住民のうち、5,000人前後(飯舘村では対象となる約1,700世帯・約6,177人の3割ほど)はすでに自主的避難をしている。
5月26日 - この時点で判明した人的被害は死者1人・行方不明者0人・重症者0人・軽症者1人、建物被害は無し