会津の重ちゃん日記

日常の出来事、地方紙の記事、街中散策して見聞したことを発信。

中華人民共和国へ15

2010-02-27 20:48:36 | 旅行
2月27日(土)  
 また、寒くなった。それでも雨。雪は確実に融けている。

 
 朝方 沖縄周辺で地震発生。ラジオ体操も地震情報でなかった。テレビも一時このニュースを流した。しかし、津波もなく大きな被害もでていないのでニュースとして大きくとりあげられることはなかった。よかった。
冬季オリンピックも終盤。日本人の活躍はあまり取り上げられなくなってしまった。本当に数人のメダリストを追い求めるマスコミ、それにあおられて一時的なスポーツフアンの熱狂。選手はこの重圧を受けながら大会に臨んでいる。個人では限界であろう。

 日本の国威掲揚のためにも財政・人事など側面からの応援が必要な時代になった。選手の活躍が日本の国力を示すキャンスである。スポーツ以外の分野に大きく貢献すると思う。政治家のみなさん「政治とカネ」の問題ばかりで時間を費やすのでなく、スポーツの分野で、学問の分野で、産業の分野で、芸術の分野で・・・・・・・。多方面で活躍する人々を応援して日本をアピールすることがだいじである。  

2月1日(月) 中華人民共和国への旅15「上海を後にして」 

中国の世界は不思議なもの。他国の有名ブランド品のコピーや怪しげなルートから入出した品物が公然と売られている。その場所も「上海雑技団」が公演する建物の3階にあった。
 偽物でもランクがあり、Aランクは本物といっていいくらい。タグもきちんと付いている。本人さえ納得して買うならお買い得の店であった。欲しい物がないので見るだけで終わった。
 公演も約2時間で終わった。色々な演目があり、最初から写真を撮っていればと思った。
夜は深まり、ホテルに着いたのは午後10時過ぎ。明日は、荷物をまとめ、朝食を済ませて空港に向かう。食事7時(我々のためだけに)、出発8時。忙しい。



中華人民共和国へ14

2010-02-26 22:23:35 | 旅行
2月26日(金)  
  行きつ戻りつ春はやって来る。
    雪が雨になる季節。まさに雨水。

 
金曜日は資源物回収日なので午前6時半ステーションに容器を設置する。「豊齢研ITサロン会津」パソコンの日。講師をするので下調べや授業の流れを再確認する。その他愛犬ラッシュの散歩。午前4時に起きたのだが忙しい朝だった。
 昼は冬季オリンピックの華「女子フィギアスケートフリー」。実力伯仲している選手達。金メダルを期待された3人の選手はプレシャーがあったことだろう。
 この競技の採点方法はよくわからないが、キム・ヨナと浅田真央の点差が大きかったのには不満が残る。日本の選手は全員8位以内。すばらしい。本当にお疲れ様。よくやったねと労いの言葉をかけてあげたい。韓国の活躍に目をみはる。日本も国策として、スポーツ振興に力をいれるべきである。  

2月1日(月) 中華人民共和国への旅14「上海雑技」 

上海の新天地を散策した後、市内のレストラン『海鮮料理』を食べる。そしてバスで移動し上海雑技を観賞する。
 上海雑技団は中国全土にある雑技団の中でもトップの技と施設の充実度を誇る。鍛え抜かれた肉体から生み出されるスーパーテクニックは、目が離せない迫力に満ちている。
 ハラハラドキドキ感を味わいながら、様々の技を堪能することができた。
 アクロバットの2人組、スタイル抜群の美女による皿回し。圧巻は球の中でのバイクの競演であった。事故が起きてもしかたがない。スルリ満点。
 写真撮影はできないと思っていたが、周りではパチパチと写真を撮っていたので演技が終わる頃あわてて数枚撮影。


 


中華人民共和国へ13

2010-02-25 05:47:20 | 旅行
2月25日(木)  
  13.3度。猪苗代町は記録的な暖かさだという。
      春がやって来たのかな?

 
暖かいと気分も爽快。外仕事に汗を流したくなる。残念ながら一日室内で過ごした。午前中は「会津の峠テクテク会」の総会。午後は「山川健次郎顕彰会」の新春の集い。どちらも大事な会なので出席。これからも年度末は諸会合が多い。健康に留意して活動しよう。 


 2月1日(月) 中華人民共和国への旅13「新天地」 

かって石庫門と呼ばれたレンガ造りの古風な家並みを利用したカフェレストランやバー、ギャラリー、ショップなどが点在する新天地。2002年春に華々しくオープンした当時の人気は今も健在で、昼夜を問わず、多くの上海っ子や観光客で賑わい続けている。狭い路地裏などは人通りが少ないが情緒がある。
 小樽や倉敷のような観光地?もう少しコンパクトにまとまった町?。

 行政が積極的に関与してこの「新天地」を上海観光の目玉にしている。
日本でも地域再生といって町起こしをしているが、規模が小さい。土地が国有という中国とは違うからいろいろな制約があるのでやむを得ない面もある。
 上海の新天地は一度は訪れてみましょう。
 次ぎの写真は街の様子のスナップです。






中華人民共和国へ12

2010-02-24 21:16:55 | 旅行
2月24日(水)  
  南風が春を運んできた。暖かい陽だまりは最高。

 
今日も暖か一日。街中の道路は砂ぼこりがたっている。残雪は急速に融け、消えてきた。
道行く人々の服装も軽やかになっていた。春がやって来たと実感するにはもう少しかな?
 
 2月1日(月) 中華人民共和国への旅12「中国茶」 

豫圓入り口の九曲橋周辺の建物は上海世界博覧会のために改築中。

その橋を渡る人々を眺めながらお茶を楽しむ人々を後にして 豫圓商城 を
歩いてバスに乗る。道路も工事中で凸凹。

10年前に上海を散策した時は「豫圓商城」の街中をゆっくり歩いたのに今回はさーっと通り過ぎてしまった。浅草の仲見世のような雰囲気を味わえなくて残念であった。
中国茶道体験と称してお店に案内された。10人くらいずつ個室で中国茶について話しを聞き、数種類の茶をいただいた。

お茶の入れ方
1.茶池に湯を張り、聞香杯と品芦杯を温める
2.茶壷に湯を張り、さらに上から湯を注いで温める
3.湯を払った後、茶葉を入れて湯(90~95度)を注ぐ
4.聞香杯の中に茶を注ぎ、品芦杯に移した後、聞香杯に残った香りを楽しむ
5.品芦杯に移したお茶を味わう。茶壷に湯を注ぎ足すのは5~6回くらい

中華人民共和国へ11

2010-02-23 17:47:17 | 旅行
2月23日(火)  
  春が一気にやって来たような陽気。

 
朝からからりと晴れた青空。あれほどあった雪もみるみると融け出した。上着の要らない暖かな日。春がやってきた。梅の木の根元に生えている福寿草は黄色い花を太陽に向かって咲き出していた。
 雪中下のキベツも顔を出した。収穫する。家庭菜園が忙しくなる季節がもうすぐやってくる。梅や柿の剪定もまだなので気がもめる。
 午前中は着付けを習っている妻の送迎。午後は城西地区保健委員会の会合、夜は厨倶楽部の例会。忙しい一日。突然テレビユー福島のテレビ取材が入りびっくり。
 放送は26日(金)午後6時から・・・。

 2月1日(月) 中華人民共和国への旅11「豫圓」 

上海の代表的な観光スポット・豫圓。1559年四川省の役人だった藩允端によって造園が開始されて以来、18年もかけて造られたという歴史ある中国式庭園である。
 その面積は2万平方メートルの広さがあり、三穂堂、仰仙堂、打唱台といった名建築もさることながら、北宋の8代皇帝徽宗が集めたといわれる太古石の数々は圧巻の一言。甲南きっての名園で、中国ならでは美意識にふれることが出来た。
 入り口の門をくぐるとすぐ正面にあるのが三穂堂。
清代にはここを舞台に様々な祝典が催された。

以下数枚の写真を載せます。ごらんください。


 まるで壁の上を巨大な龍が泳いでいるような躍動感あふれる龍壁。私邸
として造園された豫圓では、本来皇帝の象徴である龍は使えないのだが、
爪の数を変えていいのがれた。


 玉玲瓏にある細かい穴が無数に開いた太古石がみもの。高さ約3メートル
の太古石は、中国三大太古石の一つに数えられるほどの銘石。

味覚会研修

2010-02-22 22:08:01 | 旅行
2月22日(月)世界友情の日 
    久しぶりに快晴。雪がずいぶん融けた。 

 
 昨日はは男の料理味覚会でいわき方面に1泊2日の研修旅行に出かけた。公民館の講座「男の料理」が平成12年・13年開催し、その後平成14年に男の味覚会として同好会が発足した。毎月1回の料理教室の他に、親睦を図るために研修と称して、日帰りや宿泊の旅行をしている。20名会員の内11名が参加。男だけの気軽な旅。
最大の目的は、旬の鮟鱇鍋と地魚を堪能する。次ぎは白亜の塩屋崎灯台とひばりの慰霊塔・歌碑を散策する。
 いわきの海を食する「民宿 鈴亀」 

 会津若松合同庁舎を11:10のいわき行き高速バスに乗車。終点上荒川へ14:16着。迎えの車で宿へ。小休止後、庭先で鮟鱇のつるし切りを見学。見事な包丁さばき。あっという間に皮をはぎ、内臓や肝をとりだした。
  
夕食まで塩屋崎灯台周辺を散策。宿から10分の距離。何度か訪れている場所なので灯台には上らず、ひばりの慰霊塔・歌碑周辺を散策。売店で買い物。

夕方6時から食事。海を知り尽くした元漁師が厳選した美味しい海の幸。アワビの踊り焼き、ウニの貝焼き、目光の唐揚げ、刺身、そして鮟鱇鍋など食べきれ無いほどのご馳走であった。


今日は鮮場(鮮魚、乾物、野菜、酒類、日用品などのテナントがある)でお土産を買い駅へ。平駅がいわき駅となり3月完成を目指して工事がすすめられていた。また、駅と連結した「ラトブ」8階建ての商業ビルがあり、その中にいわき総合図書館、市民サービスセンター、いわき産業創造館などの公共施設がある。これらの施設は月曜日が休みで見学できなかった。新しい駅と民と官が同居した施設は街の再開発や活性化に大いに役立っている。
会津若松市も駅前サティー跡地の再開発には地権者と協議してよりよい街づくりをして欲しいものである。


 

中華人民共和国へ10

2010-02-20 18:41:07 | 旅行
2月20日(土)   
  時には晴れ間があるが小雪ちらつき、夕方は強い風。

 
「予定は未定にして確定にあらず」とは誰の言葉だったか忘れた。格言かな?今日はそんな日であった。瓶詰めやラベル貼りで酒づくり最終日。予定では喜多方市ほまれ酒造で作業をするはずだった。しかし、昨日102歳の女性が亡くなり今日は告別式。酒造りより告別式が大事。区長として列席し焼香する。長寿を全うされた方の福をいただいた日であった。
 明日は男の料理味覚会でいわき方面に1泊2日の研修旅行(あんこうを食べる)に行って来るのでブログを休みます。

2月1日(月) 中華人民共和国への旅10「上海博物館」 

 「上海ヒルズ」を後にして上海博物館へ移動する。市役所と相対する場所にあった。
建物は、中央ふき抜けの4階建て。日本語の説明書があり、収蔵品を見る時の参考になった。
ここも時間が1時間半位で慌しくみて回った。展示品も入れ替えがある。博物館で写真撮影がOKだった?ので、パンフレットで紹介されていたうちの2点の写真をアップします。


 左の作品は「春秋晩期 犠尊」 中国青銅時代は紀元前約2000年も長く続いた。青銅は貴重な合金として、主に儀礼用器に作られ、祖先神霊の祭祀、貴賓の招宴、荘重典礼など盛大な場面に使用された。青銅器の種類は多く、造形も繁多、文様は精美で、鋳造の技術も高超である。中国古代の青銅芸術は中華民族の最も輝く文化遺産の一つである。

 右の作品は「北斉釈迦仏石造」 釈迦仏は上部と下部に下向きに蓮弁がついている台座に結跏趺坐している。仏の姿と表情は端正で穏やかである。全体の人物造形は力強い精神を含んでいる。背光は化佛、火炎文、蓮草文などの文様がなさた装飾性に富んだ挙身光で、一層の神秘な宗教的雰囲気を引き出している。

この仏像の前では自然と合掌礼拝をした。

これらの青銅器、彫塑芸術の他に古代貨幣、絵画、陶磁器、古代玉器、古代印章、歴代書法、明朝家具などがコーナーを設け展示してあった。

 パンフレットにある目玉の展示品を中心に駆け足でみて歩いた。博物館は時間を十分とってゆっくり鑑賞する所である。ツアー観光では時間確保が難しい。

中華人民共和国へ9

2010-02-19 18:06:59 | 旅行
2月19日(金) 雨水   雪が雨になる頃だがまだ寒い。
 
金曜日は豊齢研ITサロン会津のパソコン教室の日。午前は「簡単なちらし作り」、午後は「図形描画」をする。男子フィギアスケートの決勝はニュースで観た。最強の選手3人が出場。メダルの期待も高かった。結果は 高橋大輔が3位銅メダル、織田信成が7位、小塚崇彦が8位。いろいろなアクシデントはあったようだがよく健闘した。お疲れ様。
2月1日(月) 中華人民共和国への旅9「上海ヒルズ」

 
観光新名所の「上海ヒルズ」の展望台には正月を迎える準備がされたいた。
中国は旧正月(2月14日)が元旦。NEW YEAR の前で記念撮影。多勢の方が入れ替わり立ち変わり記念撮影をした。約30分展望台にいた。時折雲間から下界の様子が見えた。
晴れていたらもっとよく外灘の景色が見えただろうと想像した。下記の写真はポスターです。

中華人民共和国へ8

2010-02-18 17:21:00 | 旅行
2月18日(木)    厳しい寒さが戻って来た。
 
昨日初めての鳩山と谷垣の党首討論は、「政治とカネ」に多くの時間を割いたわりには迫力がなく盛り上らない。日本の現状を踏まえ、これから国民のためにどのような政策で政治を進めるのかを討論して欲しかった。
 今晩開催した城西地区各種連絡会の新蕎麦会は、地域活性化について多くの提案がなされ、国政より活発であった。提案だけでなく実行することが大事であると確認した。

2月1日(月) 中華人民共和国への旅8「発展する上海」

 中央直轄都市である上海は、中国最大の経済と貿易の中心地であり、総合的な工業地かつ中国第一の港を持つ沿岸開放都市、歴史文化の名城である。全市の総面積は6341平方キロ、人口が1600万人、また東部に位置する浦東新区の面積は523平方キロである。 上海は歴史上繁華な都市風貌を持ち、豊富な人文資源で国内外にその名を馳せている。
 
 今やアジア最大のコスモポリスへと変貌した上海。世界中から人、物、金が流れ込み、空前の建築ラッシュに沸いている。21世紀に蘇った魔都のスポットの一部を歩いた。
 写真の中央奥に見えるテレビ塔が、アジアで1位、世界でも3位の高さ350mを誇っていた。
 
 この塔は、2008年8月にオープンした『上海ヒルズ 展望台472m』(森ビル)によって一位ではなくなったが、まだまだ夜のライトアップで観光名所となっている。
 『上海ヒルズ 展望台472m』(森ビル)は、新観光名所である。高速エレベーターでスカイウオ-ク100まで数分で上昇する。上海市内一望は雲の切れ目からやっと見ることができた。
 2010年5月開催「上海世界万国博覧会」に向けて周辺は工事が急ピッチ。日本のバブル期を思い起こす。
 

 
   



 

中華人民共和国へ7

2010-02-17 17:49:11 | 旅行
2月17日(水) 
伊勢神宮祈年祭   
        時折晴れ間をみせるが寒さは厳しい

 
2月も中旬を過ぎると色々な会の反省会がある。14日(日)昼は「会津芦名一族研究会」夜は「城西地区防犯協会」、15日(月)夜は、ゴルフ「99ナインクラブ」、16日(火)昼は食べ歩き「ボーノ・クラブ」、今晩は町内の会計監査。明日の夜は「城西地区区長会例会」。その上、バンクーバーの冬季オリンピック競技をテレビ観戦する。忙しい日々が続く。男子フィギアスケートショートでは、高橋3位、織田4位と奮闘している。わくわくしますね。

1月31日(日) 中華人民共和国への旅7「疲れ果てた」


鍾乳洞を後にして、ベットやマクラの工場へ。製品説明を受け、お試しでベットに横になる。腰痛や頭痛もよくなるらしい。重ちゃんは横になっただけだが数名の方が購入された。

次ぎはいよいよ夕食。桂林市内レストランで「チワン料理」。10品位出たが丸テーブルに大きな皿で9人前がでて来る。めいめい小皿にとって食べるが中華料理の食べ方に慣れていないのとお互いに遠慮してなかなかうまくいかないものである。

夕食後桂林空港へ。午後8時が過ぎていた。ここから空路上海空港へ移動する。手荷物検査でハプニングが起きた。リュックサックがブーである。中に入れていた物はすべて出し検査された。リュックサックの二重ポケットの下に簡易ライターがあった。山歩きの時の携行品として入れていたライターだった。すっかり忘れたいた。没収された。
検査の厳しい成田空港の出国、上海空港の乗り継ぎ、桂林空港の入国ですべてパスしたライターであった。厳重な検査でも見落としがあるのだなと思った。
  

 ハプニングは続くものである。桂林空港21:20中国東方航空5694便で上海空港へ。ガイドと乗客2人のトランクが凹んだり、取っ手が壊れたりしていた。その補償手続きや取替えの手続きで50分以上も待たされた。空港の時計は23:54。
それから郊外のホテルへの移動。ホテル到着は24:00を過ぎ翌日である。
 荷物の整理をして寝たのは午前2時。本当に疲れた1日であった。