2014年9月29日(月)晴 23.1℃~13.5℃
胃癌手術して3年目の6ヶ月ごとの検診日。前夜は午後8時まで食事。それ以後は水以外は口に入れてダメだった。家内はアルコールは控えたらといううが、一晩だけ休肝日をとっても意味がないので、いつものように晩酌をして受診した。CTは予約午前8時半に撮影できてスムーズ。ところは胃カメラ検診は午前9時予約が3人もいて困惑した。3番目になったので午前10時20分にカメラ室へ。3月の時は研修医が胃カメラを操作したが、今回は主治医が胃カメラを操作し検査した。その結果は即伝えてもらった。口頭で異常なし。次回6ヶ月後は3月だが主治医は転出するという。次の医師にはよく引き継ぐというが、患者としては心配なので「上部内視鏡検査報告書」を求め翌日文書を受け取った。この報告書には、依頼医、依頼病名、検査理油、検査種別、検査日、総合診断、診断情報、4枚の写真が印刷されていた。
皆さんも、いろいろな検査をした時は、口頭だけでなく「○○検査報告書」をもらっておくと良いと思います。
「東山温泉街に歴史あり」
東山温泉周辺には「土人形名人の館」「正雲寺」など昭和50年以降のものがあるが、温泉街にはそれ以前の羽黒神社、東北電力東山発電所、祈祷師白道院(山田雄三氏)居宅跡、著名人の碑、新滝には竹下夢二の絵画などがある。また、少し足を延ばせば背炙山に豊臣秀吉が奥州仕置きのため通った関白平、おけいの墓などがある。東山ダムの桜は見事。
羽黒神社は天平元(729)年、僧/行基が羽黒山東光寺として草創。
祭神は、倉稲魂神うかのみたまのかみ。
羽黒山への1,225段の石段を上った頂上にある。
この山頂で三本足のカラスと出会い、軍荼利と妙見、聖観音の3菩薩が現れたため、寺院を建立しと伝えられる。
その後、修験道場の院宇300余が連なっていたと云う。
今も残る「院内」の地名は、寺院の内だったことに由来する。
応安5/文中元(1372)年、日什大正師が蘆名直盛公の招聘で帰郷し住職に就いている。
明治時代の神仏分離で寺が廃され、羽黒山湯上神社となる。
推古・白鳳仏の特徴を持つ銅造聖観音菩薩立像を所蔵。
大晦日の年越しそばを食べてからの初参りは「東山羽黒山元朝まいり」と呼ばれており、独特の白い雪の中、1225段の階段の参道を登り大勢の善男善女で賑わう。若い男女の出会いの場でもあった。
春には階段の左右にはカタクリが咲き、頂上の神社裏には雪ツバキの群生地がある。
祈祷師 白道院(山田雄三氏)居宅跡脇羽黒山参道の一部に、著名人の碑がある。白道院は全国的に有名な方だったのだろう。この碑には上から、水の江瀧子、江守喜久子、石原裕次郎、長門裕之、葉山良二、小林 旭、北原三枝、南田洋子、浅丘ルリ子等の名が刻まれている。
場所は東山温泉旧道入り口100m位左脇にある。見過ごしてしまうかもしれませんが一度見に行ってみてはどうですか。
また、そこから50m先右側の民家脇を入っていくと東北電力発電所入り口の看板がある。階段を下りていくと湯川縁に着く。吊り橋の向かい側に発電所がある。興味があったらここも見てみましょう。
毎年10月第一土曜日 背炙山ではおけいの顕彰祭事が行われている。
今回の現場学習で身近なところに歴史がある。住んでいる街を散策すると新しい発見があるかもしれませんね。
胃癌手術して3年目の6ヶ月ごとの検診日。前夜は午後8時まで食事。それ以後は水以外は口に入れてダメだった。家内はアルコールは控えたらといううが、一晩だけ休肝日をとっても意味がないので、いつものように晩酌をして受診した。CTは予約午前8時半に撮影できてスムーズ。ところは胃カメラ検診は午前9時予約が3人もいて困惑した。3番目になったので午前10時20分にカメラ室へ。3月の時は研修医が胃カメラを操作したが、今回は主治医が胃カメラを操作し検査した。その結果は即伝えてもらった。口頭で異常なし。次回6ヶ月後は3月だが主治医は転出するという。次の医師にはよく引き継ぐというが、患者としては心配なので「上部内視鏡検査報告書」を求め翌日文書を受け取った。この報告書には、依頼医、依頼病名、検査理油、検査種別、検査日、総合診断、診断情報、4枚の写真が印刷されていた。
皆さんも、いろいろな検査をした時は、口頭だけでなく「○○検査報告書」をもらっておくと良いと思います。
「東山温泉街に歴史あり」
東山温泉周辺には「土人形名人の館」「正雲寺」など昭和50年以降のものがあるが、温泉街にはそれ以前の羽黒神社、東北電力東山発電所、祈祷師白道院(山田雄三氏)居宅跡、著名人の碑、新滝には竹下夢二の絵画などがある。また、少し足を延ばせば背炙山に豊臣秀吉が奥州仕置きのため通った関白平、おけいの墓などがある。東山ダムの桜は見事。
羽黒神社は天平元(729)年、僧/行基が羽黒山東光寺として草創。
祭神は、倉稲魂神うかのみたまのかみ。
羽黒山への1,225段の石段を上った頂上にある。
この山頂で三本足のカラスと出会い、軍荼利と妙見、聖観音の3菩薩が現れたため、寺院を建立しと伝えられる。
その後、修験道場の院宇300余が連なっていたと云う。
今も残る「院内」の地名は、寺院の内だったことに由来する。
応安5/文中元(1372)年、日什大正師が蘆名直盛公の招聘で帰郷し住職に就いている。
明治時代の神仏分離で寺が廃され、羽黒山湯上神社となる。
推古・白鳳仏の特徴を持つ銅造聖観音菩薩立像を所蔵。
大晦日の年越しそばを食べてからの初参りは「東山羽黒山元朝まいり」と呼ばれており、独特の白い雪の中、1225段の階段の参道を登り大勢の善男善女で賑わう。若い男女の出会いの場でもあった。
春には階段の左右にはカタクリが咲き、頂上の神社裏には雪ツバキの群生地がある。
祈祷師 白道院(山田雄三氏)居宅跡脇羽黒山参道の一部に、著名人の碑がある。白道院は全国的に有名な方だったのだろう。この碑には上から、水の江瀧子、江守喜久子、石原裕次郎、長門裕之、葉山良二、小林 旭、北原三枝、南田洋子、浅丘ルリ子等の名が刻まれている。
場所は東山温泉旧道入り口100m位左脇にある。見過ごしてしまうかもしれませんが一度見に行ってみてはどうですか。
また、そこから50m先右側の民家脇を入っていくと東北電力発電所入り口の看板がある。階段を下りていくと湯川縁に着く。吊り橋の向かい側に発電所がある。興味があったらここも見てみましょう。
毎年10月第一土曜日 背炙山ではおけいの顕彰祭事が行われている。
今回の現場学習で身近なところに歴史がある。住んでいる街を散策すると新しい発見があるかもしれませんね。