2018年6月28日(金)晴 25.8℃~21.5℃
「会津戊辰戦争 郷村に避難した女たち 」
蒸し暑い日が続きます。雨が降っても数センチもしみと通らない。屋敷内の畑には毎日水やりをしているが、離れたところの野菜には時折水をやるだけ。育ちが悪い。北会津町の菜園場の農家は苦労しておられる。野菜の値が上がって各家庭の家計永影響でないか心配である。
ブログアップをと心掛けているのだが、所用で仙台へ、家庭菜園のこと、町内のこと、城西コミュニティセンター管理運営委員会のこと、諸活動がいろいろと重なり、身一つでは対応できない日々が続いている。訪問してくださる皆さんにまた発信したいと努力していきます。続けての訪問よろしくお願いします。
四、郷村に避難した女性たち
①川島 りさの話(75歳まで存命)
・・・・・その内に官軍は城に迫りけれバやむを得ず城門を閉ざされたれば、南を指して生き延びたり。・・・・それより少々隔たりて大川の流れあり。女子供のみて徒歩渡りがたし。姉は体も大きくして鎧を杖につき川を渡り候。其れより本郷村に着きたり。わらわども三軒の者、皆覚悟をきめロウソクを立てて折る間に、各々方も御覚悟いかに候ふなどと申す女もありしが、未だ城も落ちぬ事にもあり、死ぬるは何時でもできることなれば、しばらく御とどまるべしとて、、その夜もすでに明けぬ。
・・・・・9月23日にいたりては鉄砲の音、にわかに止みたり。時々來る官軍の人束来たり会津さん降参だ降参だと声高にののしりあっている。降参ななっても婦女子の身は如何ともなりががたし。官軍は分捕り物を売るとのことにて村の人々に屏風、畳、衣類などあらゆるものを馬に負わせ帰りけり。官軍とも申すべき者が市民より分捕り品を売りさばくとは言語道断のことなり。(『今は昔思い出』)
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②長谷川勝太郎の妻、みとの話
初め自害するつもりでいたが、夫の生死もわからず早まって死にべきではないと思い、家族一同避難者の大群に挟まれながら入城するつもりでいたが、既に城門が閉まっていたので避難し、大川に辿りついた。そこは、雨のため濁流となり、女の死体や流弾に傷つけられた男の死体などが流れてきた。渡し船に乗ろうとすると、船頭はなかなか乗せてくれないので、一人前二分とう法外な船賃で乗せてくれた。下小沢の名主の家に滞在していたが、開城後、武家の屋敷ハ皆焼き払われ、若松の我が家に戻ると、五、六人の農民たちが襖や障子などを引き剥がしていた。みと子は止めようとしたが「ここは官軍の陣やだったのを買い受けたのだ」と逆に食ってかかれたという。
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「会津戊辰戦争 郷村に避難した女たち 」
蒸し暑い日が続きます。雨が降っても数センチもしみと通らない。屋敷内の畑には毎日水やりをしているが、離れたところの野菜には時折水をやるだけ。育ちが悪い。北会津町の菜園場の農家は苦労しておられる。野菜の値が上がって各家庭の家計永影響でないか心配である。
ブログアップをと心掛けているのだが、所用で仙台へ、家庭菜園のこと、町内のこと、城西コミュニティセンター管理運営委員会のこと、諸活動がいろいろと重なり、身一つでは対応できない日々が続いている。訪問してくださる皆さんにまた発信したいと努力していきます。続けての訪問よろしくお願いします。
四、郷村に避難した女性たち
①川島 りさの話(75歳まで存命)
・・・・・その内に官軍は城に迫りけれバやむを得ず城門を閉ざされたれば、南を指して生き延びたり。・・・・それより少々隔たりて大川の流れあり。女子供のみて徒歩渡りがたし。姉は体も大きくして鎧を杖につき川を渡り候。其れより本郷村に着きたり。わらわども三軒の者、皆覚悟をきめロウソクを立てて折る間に、各々方も御覚悟いかに候ふなどと申す女もありしが、未だ城も落ちぬ事にもあり、死ぬるは何時でもできることなれば、しばらく御とどまるべしとて、、その夜もすでに明けぬ。
・・・・・9月23日にいたりては鉄砲の音、にわかに止みたり。時々來る官軍の人束来たり会津さん降参だ降参だと声高にののしりあっている。降参ななっても婦女子の身は如何ともなりががたし。官軍は分捕り物を売るとのことにて村の人々に屏風、畳、衣類などあらゆるものを馬に負わせ帰りけり。官軍とも申すべき者が市民より分捕り品を売りさばくとは言語道断のことなり。(『今は昔思い出』)
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②長谷川勝太郎の妻、みとの話
初め自害するつもりでいたが、夫の生死もわからず早まって死にべきではないと思い、家族一同避難者の大群に挟まれながら入城するつもりでいたが、既に城門が閉まっていたので避難し、大川に辿りついた。そこは、雨のため濁流となり、女の死体や流弾に傷つけられた男の死体などが流れてきた。渡し船に乗ろうとすると、船頭はなかなか乗せてくれないので、一人前二分とう法外な船賃で乗せてくれた。下小沢の名主の家に滞在していたが、開城後、武家の屋敷ハ皆焼き払われ、若松の我が家に戻ると、五、六人の農民たちが襖や障子などを引き剥がしていた。みと子は止めようとしたが「ここは官軍の陣やだったのを買い受けたのだ」と逆に食ってかかれたという。
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