足腰手首と怪我と闘いながらついに2000本安打を本日達成し,野球殿堂入りを決めた。かつて近鉄時代にはパリーグ最高年俸3億円+5000万の時代から中日へテスト生で入団した年俸600万円と浮き沈みの激しい野球人生だが、現役でやりたいという根性で達成した記録だ。
今日は政治色の強い国民栄誉賞の行事を派手にドームでやっていたが、内閣が良いなと思う基準の栄誉賞より明確な2000本安打、中村選手の殿堂入りを称えたい。中村選手は近鉄、ドジャース、オリックス、中日、楽天、そして現在のDena横浜と渡り歩き、中日ではテスト入団ながら4番も打ち、日本一に貢献した。楽天では怪我に泣かされ戦力外通告、簡単に言えば解雇され、自主トレで回復し、Denaに何とか入団、昨年はラミレスの代わりに4番を打つこともあった。今年は年俸も3000万にもあげて貰い、ラミレス、ブランコと組むクリーンナップは強力で大活躍している。
これだけ渡り歩いているから全球団から本塁打を打ったという珍しい記録もあるが、中村選手が39歳まで活躍できるワケは別にある。ドジャースでは内野の守備を全てやらされたが、日本の球団もその器用さを買っている。三塁手としてゴールデングラブ賞を貰っているくらい守備の名手であるし、最大の魅力は長打力と広角打法という技術だ。もちろんそれらを磨いてきた浪速のど根性があったからこそだ。
転職を考えているサラリーマンの教師ともいえる。