遙か昔、会社に入って何年か仕事で近江八幡を訪れたが、仕事が終わると近江牛のしゃぶしゃぶをご馳走になって深夜帰宅という繰り返しで、近江商人の街というだけの印象だった。その後、ごみの捨て場のようだった八幡堀が地元の努力でよみがえったというニュースを聞くに付け1度行きたいと思っていた。
現在でも商売してる商店、扇や小間物を扱っている。看板は探さないと判らないほど小さい
訪れてみると、何とも不思議な城下町だ。確かに悲劇の関白豊臣秀次が諸国から技術屋や商人を集め、八幡山に城を築き、碁盤の目のような城下街を作ったが、10年で悲劇の廃城となる。しかしその後の近江商人の発展の歴史はすばらしく今も豪商の邸宅は残されている。
豪商の庭園
明治にに入り、全国初の県立商業学校をつくり、英語教師として米国人ウィリアム・ヴォーリズを招いた。この英語教師が万能の才能を持っていたことがこの街の不思議さを添えた。彼は建築家であり、メソレータム製造の製薬会社を起こし,学校、図書館、病院をつくり経営した。現在も「近江兄弟社」として残っている。このため、城下町いや商人街の一画に西洋館が連なっている。
ヴォーリズの住居、近江兄弟社が経営する幼稚園教員の寮だった
日本一美しい小学校だ西洋館だが、瓦は立派な近江瓦だ