前国際金属労連(現インダストリオール)書記長のマルチェロ・マレンタッキの突然の訃報で呆然とした。私が1995年自動車、電機、機械、鉄鋼などを束ねる金属労協の事務局長になってすぐに来日したのがマルチェロだった。国際金属労連の主要加盟組織の日本の新役員への気遣いであった。初めて会った時から意気投合し、同志として長い交友であった。
国籍はスエーデンだが中身はイタリア人で人なつっこく誰からも好かれた。何回も故郷のトスカーナ、グロッセートの美しい様子を聞かされた。戸締まりなんてしなくても安心できる街で隣組は皆友人だ。スエーデンは全く反対だと聞かされた。学校を出て職がなくスエーデンのボルボに就職し、そこで労働組合運動に入り頭角を現し、2000万人の国際金属労連を背負って立った。うるさいドイツや米国の強大金属組織には苦労してたが定年までに鉱山・エネルギーや繊維の国際産別労組組織と合併し、世界最大の国際産別組合インダストリオールを生み出す原動力となった。どこで勉強したのか5カ国語を操り、その交渉力は抜群であった。
インドネシアソニーの争議の時には、私の手に負えない事態となり、マルチェロはジャカルタでソニー本社の副社長と渡り合い、何とか収めることが出来た。トスカーナのワインをこよなく愛し、彼とはモンタルチーノをよく飲んだ。故郷のグロッセートでサイクリング中に心筋梗塞との悲報だが、66歳とは若すぎる。 合掌