昨日、初代連合会長山岸章さんの送る会が帝国ホテルであった。私が山岸さんを知ったのは全電通委員長時代以降で、電機連合と全電通の会合でよくお目にかかった。官公労の親分だからという先入観があり、身構えたが、話を聞いてその柔軟な考え方に共鳴したのを覚えている。話がうまく、彼が話し始めると皆耳を傾け始めた。全電通には政治局というのがあって、組合の中でも最も政治力があり、政治局員には多くの社会党国会議員が入っていたと記憶している。
連合会長になって、その政治力を大いに発揮、打倒自民党政権を前面に細川政権実現にこぎつけ、民主党政権への足がかりとなった。与野党を問わず政界との連携は強く、昨日の送る会には、森、麻生、菅、鳩山の元首相を始め多くの国会議員が献花したほどだ。
山岸さんは1948年富山の石動郵便局で職業人生をスタート、翌年には全逓富山地区本部執行委員となり、その後、電電公社が郵便局から分かれ、全電通委員長にまで上り詰めた。学歴のない山岸さんが不世出のリーダーに何故なれたのか彼の遺影を見ながら考えさせられた。戦後の労働運動の昂揚はマッカーサーの政策もあり、盛り上がった。労働組合は民主主義の学校といわれ、企業以上の教育研修に多くの資源をさいた。とりわけ全電通の各級組合役員に対する研修は熱心で、稲取に立派な研修センターを設けたほどだ。山岸さんはそうした研修会で資質を磨き、あらゆる努力をされたのだと思う。民営化でNTTができたときには全電通も民間労働組合の分析、学習に全力を注ぎ、私も北海道や兵庫県の全電通地区組織の研修会に講師として呼ばれ、労使経営協議会の運営について半日ぐらい話した。最近は労組指導者もNTT労組を含め、大卒が多くなったが、山岸さんほどのリーダーは残念ながら出てきてない。