行雲流水

阿島征夫、一生活者として、自由に現代の世相を評す。時には旅の記録や郷土東京の郊外昭島を紹介する。

8月20日、樺太の悲劇を忘れてはいけない

2016-08-21 23:40:17 | Weblog

8月15日に終戦記念日の行事を行うが、15日以降でも実際は戦闘が行われていたことは廣く知られている。戦闘停止へ国の内外で大変な努力がされたことは今年もいくつかのドキュメントや映画「日本の一番長い日」の上映で若い人にも解ってもらえたと思う。

しかし、どうしてもこの20日には、毎年思い起こしてもらいたいことがある。1945年4月5日ソビエト軍による中立条約を破棄した侵攻で樺太住民は大混乱に陥り、15日に終戦を迎えたにも拘わらず20日、通信を最後まで確保すべく電話交換台を守った9人の女性は青酸カリをあおり自決した。稚内の郊外ノシャップ岬にはその彼女たちの霊を祭った祈念碑があり、毎年8月に慰霊祭を行っている。樺太からの引き揚げ者も40キロの距離だが、引き上げる際、小船の転覆で多くの住民が犠牲となった。戦前の稚内港は樺太への玄関口で賑わっていたが、終戦時には修羅場となっていたようだ。現地にゆくと稚内港には防波堤も当時のまま残っており、当時を偲ぶ展示物も公開されている。沖縄の悲劇は多く語られているが、樺太の悲劇も忘れてはならない。

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