奥泉から別れ その奥の寸又峡へ
赤石山脈の隆起と寸又川の浸食で複雑に入り組んだ峡谷
全長16km 標高差100mもある 途中の道は狭く
そして曲がりくねっており また大型バスも行き来しているので
対向車とすれ違うには大分難儀しながらの到着
しかし 観光客で大混雑 駐車の場所も得られず
夢の吊橋なども見たかったが そのまま引き返すことに。
しかし 当方には 昭和43(1968)年の起こった”寸又峡事件”が
思い起こされ どんな所なのかと関心があったが そんな事件
など 今になっては遠く忘れされており何の形跡もない。
*「寸又峡事件」
在日韓国人二世が 13人を人質に88時間にわたり旅館にたてこもり
在日韓国人に対する警察官の蔑視への謝罪要求と引き換えに人質解放を
条件とした事件で 「差別問題」としてテレビなどで実況された。
いわゆる”劇場型犯罪”の最初のケースになった。