あかない日記

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大隈重信

2017-01-10 | 人物忌

 

 

1月10日 思想家・政治家・教育者で
早稲田大学の創設者
 大隈重信 が亡くなっている。

  1838(天保9)年―1922(大正11)年 享年78歳

 肥前国佐賀藩の藩士の子として誕生する。
7歳で藩校弘道館に入学するが 教育方針に反発し
のちに 改革運動を起こした。


また 国学 蘭学を熱心に学び
蘭学に関しては 後に教授となり
藩校弘道館で講義したほか

藩校英学塾で英語やアメリカの
文物・思想を学んでいる。


海外の思想・文化・教育に精通し
さらに語学にも堪能であったことから

明治政府が誕生すると外国事務局判事として
対外諸問題を担当したのをきっかけに

1873(明治6)年 参議兼大蔵卿の要職に
就くなど 政府の中枢で活躍した。

しかし 国家構想を巡り 財政上の問題や
閣僚との対立が原因で 
明治14年の政変で下野する。


その後 1882(明治15)年に
政党(立憲改進党)を結成し
また同年に「学門の独立」の精神を基として
東京専門学校(早稲田学校と別称された)を創設する。


1888(明治21)年には 政府の求めに応じて
外務大臣として政界に復帰した。


後に 総理大臣(第8代・第17代)となり
1916年(大正5)年 総理大臣 辞任によって
政治の世界を退いた。

この銅像は 杖をついている姿だが
1889(明治22)年に 暴漢に襲われ
爆発物を投げつけられ 右足を切断した。

 雉子橋邸跡(千代田区役所前の碑)