矢田部式部盛治の銅像 (1954(昭29)年建立)
神門手前 左脇にこの像がある。
古代から三嶋大社の神主を務めているのが矢田部家。
三島宿の教育文化の発展にも尽力した代々の神主の中でも
矢田部式部盛治は 幕末・維新と三島を守った人物。
資料には
1824(文政7)年に掛川藩家老職橋爪家に誕生し
20歳で矢田部家の養子となり 1850年家督を継いだ。
1854(嘉永7)年の東海大地震で全壊した大社の建物を復興するため
全国を行脚し勧進(募金)をつのり
1869(明治2)年 現在に見る建物群の再建を果たす。
明治維新の混乱時には伊豆の神官たちを集め
伊豆伊吹隊を結成して三島を守り
また 祇園山トンネル(水路)を開き
現在の加茂川町一帯に 10ha以上の新田開発を行っている。
1871(明治4)年 惜しまれつつ48歳で亡くなった。