あかない日記

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信州紀行 須坂市43 須坂小唄

2019-12-24 | 国内・長野

 

  

「須坂小唄」

1 山の上から チョイと出たお月
 誰を待つのか またれるか
 ヤ カッタカタノタ
     ソリャ カッタカタノタ

2 誰も待たない 待たれもしない
 可愛いお前に 逢いたさに
  ヤ カッタカタノタ
      ソリャ カッタカタノタ

3 可愛い私は 須坂の町に 
 須坂恋しか あのお月
 ヤ カッタカタノタ
     ソリャ カッタカタノタ

4 お月や工場を チョイと来てのぞく
  誰に思いを かけたやら
 ヤ カッタカタノタ
     ソリャ カッタカタノタ

 
 (以下5~9 略) 


説明によれば

「須坂小唄」は、
1923(大正12)年に
市内の製糸会社(山丸組)の工場歌として

作詞:野口雨情 
作曲:中山晋平 によりつくられ 

唄は佐藤千夜子が 
加えて 藤間流の踊りが添えられた。

当時は 製糸業が栄え 
工場から“カッタカッタ”の音が
町内に響き渡り活気に満ちていた。

その後 市民の唄となり 
現在は 盆踊りに唄われている。

なお 囃子の
「カッ タカタノタ  ソリャ 
カッタカタノ タ」は、
糸枠の回る音

須坂の製糸業が
全盛の大正時代には、
工女たちは 須坂全体で
6千人を超えていました。

工女の多くは
寄宿舎生活をしていました。

長い一日の労働が終わると、
上町・仲町などの菓子屋・
小間物屋・下駄屋・呉服店などへ
買い物に出かけ、
工女相手の店として発展しました。

また 東京や横浜から生糸の
買い付け商人が殺到し、
料理屋や芸姑屋が繁盛しました。

 

「須坂小唄」(国会図書館)