あかない日記

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小説家 森鴎外 10 鼠坂

2022-08-24 | 人物忌

   鼠坂 坂下から

   鼠坂 坂上から

 

森鴎外は 坂を題名として
「鼠坂」(1912年)を書いている。

文京区には同名の「鼠坂」がある。

説明文には

「 鼠坂  音羽一丁目10と13の間

音羽の谷から小日向台地へ上る急坂である。
鼠坂の名の由来について「御府内備考」には
「鼠坂は音羽五丁目より新屋敷へのぼる坂なり、

至てほそき坂なれば鼠穴などと
いふ地名の類にてかくいふなるべし」とある。

森鴎外は「小日向から音羽に降りる
鼠坂と云う坂がある。
鼠でなくては上がり降りが
出来ないと云う意味で 
附けた名ださうだ・・・
人力車に乗って降りられないのは勿論、
空車にして挽かせて降りることも出来ない。
車を降りて徒歩で降りることさへ、
雨上がりなんぞにはむづかしい・・・」と
小説「鼠坂」でこの坂を描写している。

 また、“水見坂”とも呼ばれていたという。
この坂上からは、音羽谷を高速道路に
沿って流れていた、弦巻川の水流が
眺められたからである。

  文京区教育委員会  平成17年3月 」

 

現在の鼠坂は 写真にあるように 
幅4m 高低差14m 100mほどの坂道で

車は通れない。

 

以上が 小説「鼠坂」の舞台であるが 

鴎外が書いた怪談でもある。
あらすじは

人力車も通えない急な鼠坂の坂上に
新築した屋敷は、日露戦争のとき
満州で金儲けをした家主夫妻が
西遊記の怪物が住みそうな家を建てた。

その新築祝いの夜、酔いの回った
家主が以前新聞記者の小川から
聞いた満州での悪行を語りだす。

20歳くらいの中国人女性を服従させ
凍り付くような寒さの抗の中で死なせたと・・・
その夜 小川は幻覚に悩まされて死んでしまう。

 

森鴎外は 軍医として戦地に赴いており
多くのあくどい悲惨な事件を
漏れ聞いていたのではないか。

また 逃げ場のない坂道を舞台として
「鼠坂」の名を用いて 
怨念をテーマとしている。


なお 森鴎外は 
軍医として二度戦地に赴いている。

○日清戦争(1894/7-1895/4) 
 中路兵站軍医部長 
 1894/9 ~1895/5  朝鮮半島

 第二軍兵站軍医部長として中国・山東半島 
   1895/5 ~1895/10台湾(台湾征服戦争)

○日露戦争(1904/2-1905/9)
 第二軍軍医部長 
 1904/2~1906/1 中国大陸

 

 



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