坂下 根津神社前から
森鴎外の作品には いくつかの「坂」が登場するが
その一つ「青年」にある“S坂”について触れる。
坂の説明文には
「新坂(権現坂・S坂)
本郷通りから、根津谷への便を考えてつくられた
新しい坂のため新しい坂のため、
新坂と呼んだ。
また、根津権現(根津神社の旧称)の表門に
下る坂なので権現坂ともいわれる。
森鴎外の小説「青年」(明治43年作)に,
「純一は権現前の坂の方へ向いて歩き出した。
……右は高等学校(注・旧制第一高等学校) の外囲,
左は出来たばかりの会堂(注・教会堂 今もある)で,
…… 坂の上に出た。地図では知れないが,
割合に幅の広い此坂はSの字をぞんざいに
書いたように屈曲してついている」とある。
旧制第一高等学校の生徒たちが、
この小説「青年」を読み、
好んでこの坂をS坂と呼んだ。
したがってS坂の名は
近くの観潮楼に住んだ森鴎外の命名である。
根津神社現社殿の造営は宝永3年(1706)年である。
五代将軍徳川綱吉が、綱豊(六代将軍家宣)を
世継ぎとしたとき、その産土神として、
団子坂北の元根津から、遷座したものである。
文京区教育委員会 平成14年3月 」
現状のこの坂
多少くねってはいるが S状には見えない
当時の鴎外にとっては
そう見えたのかもしれない。
登場人物は 前回に記載
注)
・高等学校は、旧制第一高等学校(現在の東京大学)
・会堂は、坂を登りきった右角に
ある聖テモテ教会(1902・M35年創設)
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