あかない日記

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インド紀行 68 ファテ-ブル・シークリー

2016-01-11 | インド紀行

 

アーグラーから南西40kmにある
世界遺産(1986年登録)の町
「ファテ-ブル・シークリー」へ

 ファテ-ブル・シークリーは 
ムガル帝国第3代皇帝アクルバによって 建設された都市。


台地の上に 3km×1.5kmの城壁で囲まれ
 その中央部分は 宮廷地区と モスク地区に
わかれている。

そのほとんど構造物が赤砂岩で築かれており

土着の建築文化とイスラーム建築の融合がなされている。

町名は“勝利の都シークリー”という意味
勝利の都と名づけられたのは
当時 アクバルがグジャラート地方での戦いに 勝利したため。

アクバルは跡継ぎに恵まれなかったが
この地に住むイスラーム教の
聖者サリーム・チシュティーに
世継ぎ(男の子)の問題について相談したところ
すぐに息子を授かるだろうと予言され
 実際 その翌年に 
王子サリーム(のちの4代皇帝ジャハーン・ギール)が
誕生し
喜んだ アクバル帝は
 アーグラーから遷都し ここを帝都とした。

しかし 慢性的な水不足と 猛暑に見舞われ
1585年にラホール(現パキスタン)に
遷都し直してしまった。 

わずか 14年間しか使用されず 
あっけなく 打ち捨てられた都は
廃墟となってしまった。

 

 


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