1月24日は 日本のダ・ヴィンチとも言われた
江戸時代の 発明家 平賀源内 が亡くなった日。
その墓は 台東区橋場2-22-2にある。
説明文には
平賀源内墓 (国指定史跡)
平賀源内は享保13年(1728)、
讃岐国志度浦(現香川県志度町)に
生まれる(生年には諸説ある)。
高松藩士白石良房の三男で
名は 国倫(くにとも)。
源内は通称である。
寛延2年(1749)に家督を継ぎ、
祖先の姓である平賀姓を用いた。
本草学・医学・儒学・絵画を学び、
事業面では成功しなかったが、
物産開発に尽力した。
物産会の主催、鉱山開発、陶器製造、
毛織物製造などをおこない、
エレキテル(摩擦起電機)を復元製作、
火浣布(石綿の耐火布)を発明した。
一方で風来山人・福内鬼外などの
号名をもち、
「風流志道軒伝」などの滑稽本や、
浄瑠璃「神霊矢口渡」などの
作品を残している。
安永8年(1779)11月に
誤って殺傷事件を起こし、
小伝馬町の牢内で12月18日に病死、
遺体は 橋場の総泉寺(曹洞宗)に葬られた。
墓は角塔状で笠付、上段角石に
「安永八己亥十二月十八日
智見霊雄居士 平賀源内墓」と刻む。
後方に従僕福助の墓がある。
総泉寺は昭和3年(1928)
板橋区小豆沢へ移転したが、
源内墓は当地に保存された。
昭和4年に東京府史蹟に仮指定され、
昭和6年には松平頼壽
(よりなが・旧高松藩当主)により
築地塀が整備される。
昭和18年に国指定史跡となった。
平成17年3月 台東区教育委員会 」
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