あかない日記

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小説家 林芙美子

2020-07-01 | 人物忌

 

6月28日は 林芙美子が
亡くなった日と
前回触れたが

「芙美子忌」として供養されている。

林芙美子は
1903 (明治36) 年 
 現・北九州市門司区に生れ
 
若松・長崎・佐世保・下関
 ・鹿児島・直方などを
 転々とした後

 広島県尾道市に転居し
 第二尾道尋常小学校を卒業する。

1918 (大正7) 年 尾道高女に入学
1922 (大正11) 年
 卒業すると愛人を追って上京

1923 (大正12)年 
 婚約を破棄され
 日記をつけることで
 傷心を慰めたが

 これが「放浪記」の原形となった。
1926 (昭和元) 年 
 画学生・手塚緑敏と
 結ばれてから生活が安定しだす。

1928 (昭和3) 年「女人芸術」に
 「放浪記」の副題を付けた
 「秋が来たんだ」の連載を開始

1930 (昭和5) 年「放浪記」が
 出版されベストセラーとなる。

1931(昭和6) 年11月 渡欧8か月間
1943 年 信州に終戦まで疎開
1951(昭和26) 年 「浮雲」出版
 
同年 6月28日 
  心臓麻痺により急逝 享年47
 
「めし」が絶筆となる。


何と 林芙美子は
先に話題にした壷井栄と
東京・世田谷区太子堂3丁目で
お隣さん同士であった。
(1925/4~26/1)


世田谷区の説明には
「林芙美子旧居 此の路地奥の
 二軒長屋は、林芙美子の不遇な
 時代の寓居です。
その一軒には 壺井繁治、
栄夫婦が住み、
若い頃の平林たい子も
度々訪れました。・・・」とある。


またこの関係は
信州・上林温泉にもあった。

林芙美子の夫・手塚緑敏が
この地の生まれで戦火を
逃れての疎開先にもなり

一方 壷井栄は 
1943(昭和18)年から1
954(昭和29)年に軽井沢に
別荘を構えるまで、

毎年夏にこの地を訪れていた。
林芙美子の薦めあったようだ。


(世田谷区太子堂3丁目付近)

 

なお「放浪記」は
1961(昭和36)年 菊田一夫が
戯曲化し 芸術座において
森光子の主演で 初演されてから
森が死去(2012年)するまで
2017回 公演されている。

 

 



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