あかない日記

写真付きで日記や旅行・趣味を書き留める

広島旅行(9) 世界遺産「厳島神社」

2015-04-15 | 国内・広島

 

世界遺産「厳島神社」の碑もあった

碑の上の穴から 大鳥居が見えるようになっているが

残念ながら 写真は少々ずれてしまった。

その世界遺産に選ばれた理由は

 ○海上に建ち並ぶ建造物群と背後の自然とが一体となった景観は
人類の創造的才能を表す傑作である。

 ○平安時代の住宅建築様式が神社建築に取り入れられており
同一文化圏内の価値観の交流がうかがわれる。

 ○建造物の多くは創建時のままの姿が保たれ
平安時代から鎌倉時代の建築様式を今に伝えている。

 ○自然崇拝に基づく建造物群は
日本人独特の精神文化を表した宗教的空間である。

 以上が評価され 1996年 文化遺産に登録されている。

これらの事項を 頭に入れて見学することにする。

 


広島旅行(8) 日本三景

2015-04-14 | 国内・広島

 

ここ宮島は 松島(宮城県) 天橋立(京都府)と並び

 「日本三景」の一つに数えられて
その碑が建っていた。

これらは海にある風景で 古くから詩歌に詠まれ絵画にも多く描かれている。

また 日本三景を花鳥風月にたとえ 「雪」は天橋立 「月」は松島


「花」は紅葉を花に見立てて宮島だそうだ。

 ということで 現在は初夏
また秋にお出でくださいということか?


一方 「新日本三景」もあるそうだ。 

・駒ヶ岳と大沼(北海道)
・三保の松原 富士山と海岸(静岡県)

・耶馬溪(大分県)

 


広島旅行(7) 平清盛

2015-04-13 | 国内・広島

 

「厳島神社」といえば「平清盛」

厳島神社は 全国500社ある厳島神社の総本社である。

平安時代後期 平清盛は厳島神社を深く信仰するようになり

現在の寝殿造になったのは清盛の命で造営されたという。


それは平家物語に清盛が夢枕で

「厳島の宮を造営すれば 必ずや 位階を極めるだろう」


との お告げを聞いたとの エピソードが残されているとか。


また 1954年 平清盛没後770年を記念し

嚴島神社を造営した清盛の偉績をたたえ

その霊を慰めるために 嚴島神社の北西に

末社として「清盛神社」を建立している。


例祭「宮島清盛まつり」は 3月20日に行われている。



広島旅行(6) 神の使い

2015-04-12 | 国内・広島

 

  

フリーは宮島に到着 下船してすぐに

「宮島のシンボル」シカの迎を受ける。

厳島のシカは 神の使い「神鹿(しんろく)」として 神聖視されていたが

戦後に 厳島を接収したアメリカの兵士が

ハンティングの対象として 撃っていたために激減した。


しかし 現在島にいるシカは 奈良公園から人為的に

6頭移入されたものの子孫が含まれている。

その後シカの生息数増加に伴い 餌の不足から 農作物や人的被害が多くなり

その対策として 野生状態に戻すために餌やりを禁止している。

一方 栄養状態の悪いシカを保護・手当てした後に

山に帰すなどの 管理を実施しているそうだ。

 


広島旅行(5) 観音様

2015-04-11 | 国内・広島

 

 

 

 山の形が観音様の寝姿に見えるという。

左から 額 鼻 そして唇 顎だそうだ。

 山肌が見えるあたりは “目” に見え ”観音様が開眼” したようにも見える。

 なるほど 言われれば そう見え なお一層 “神の島” といわれるのだろう。

   宮島は 30km2の島だが 神の島として森林等の伐採は

昔から禁じられてきたこと。

 
また 暖温帯性針葉樹と南方系高山植物の同居など 

特異な植物・植生の分布が見られ

 弥山(みせん・535m)を頂に 広がる「弥山原始林」として

世界遺産にも加えられている。

 

 


広島旅行(4) 大鳥居

2015-04-10 | 国内・広島

 

 

 フエリーは 順調に宮島に向かい 

右手に 宮島のシンボル「大鳥居」が近づいてくる。


この海中の大鳥居は 海の中に支柱を打ち込んでいるのではなく

 自分の重さだけで 立っているそうだ。

台風や地震にもよく耐えている。

それには 仕掛けがあるそうだ。

鳥居は高さ16m 支柱の周囲は10mもあって 

上部の島木は箱形の造りで


中に玉石約7tを詰めて “おもし” にし


主柱・袖柱6本で支え 柱と屋根の交差する部分には

動きやひずみなどを自然に吸収仕掛けがあり

 海底部分は 松材の杭を打って地盤を強化したうえで


その上に布石を並べて基礎の代わりとしていることによるとのこと。


そんな知恵が 大昔にあったとは 驚きだ。

今の鳥居は 平安時代から8代目であるが 

 巨木を必要とするため 

明治から100年以上も 建て直しが行われていなとのこと。




広島旅行(3) フェリー

2015-04-09 | 国内・広島

 

 

 

連絡船の桟橋は JRと広電と仲良く棲み分けして

隣り合わせにあり 並行路線になっている。


我々は 広島電鉄グループの宮島松大汽船フェリーを利用する。


フリーは 約200トンで800人の乗船が可能。


一般客はJR ツアー客は 団体割引があるのか広電利用する傾向があるが。


また 乗船時間は 約10分ほどだが 


JR船は 少し遠回りして 厳島神社の大鳥居を見せてくれるそうで


少々多くかかるそうだ。

 

 


広島旅行(2) JR宮島口

2015-04-08 | 国内・広島

 

 

 ツアーバスを降り 宮島に渡るため徒歩で桟橋に向かう。

ここ宮島口は JR山陽本線と JR宮島連絡船が乗り入れる。


1988(昭和63)年 青函連絡船 


1990(平成2)年 宇高連絡船が 廃止された後は


JRでは 唯一の「鉄道と航路の連絡駅」となっている。

写真は 連絡船乗り場と これに対面して徒歩6分のところにJR宮島口駅がある。

戦前は 海軍の柱島近海の艦艇へ直接 連絡用の艦載艇が発着したため

特急「富士」など 優等列車が停車していた。


戦後も 日本三景の一つである宮島の玄関口として


一部の特急や急行列車が停車していたが


山陽新幹線全通(1975年)を境に 優等列車は激変した。


2005(平成17)年に 寝台特急「あさかぜ」が廃止された後は


この駅に停車する特急・急行はなくなった。 

一方 連絡船は 鉄道駅開業の同日の1897(明治30)年に桟橋が設置され

1903(明治36)年に 山陽鉄道の航路に 1906(明治39)年には


国有化され 1987(昭和62)年に分割民営化された。


そして 2009(平成21)年の連絡船会社の分社化を経てきている。

我々は ここから航路を利用するのかと思ったら さらに先へ進む。 

 

 


広島旅行(1) 競艇場

2015-04-07 | 国内・広島

 

 

ツアーバスは 島根県から高速道路を使い 広島県に入る。

 廿日市ICで降りて
最初に目に飛び込んできたのは 

山陽本線と広島電鉄の鉄路の向こうにある


モーターボートの宮島競艇の建物だが

この沿線は 毎年1月に開催される全国都道府県対抗男子駅伝競走大会の

コース(広島市~廿日市市)になっており 

テレビでよく見かける風景でもある。

当方は 競艇場に行ったことはないので よくわからないが

日本財団として社会貢献していることは知っている。

宮島とあるが本州側の宮島口にあり 

厳島にわたるフェリー乗り場のすぐ隣にある。

競走水面は海で 児島・徳山・下関・丸亀の競艇場と並び 

瀬戸内海
の海水を利用したコースであるため 

潮の干満の差が大きく ボートを操作しづらくなる傾向にあるようで


満潮時はインが有利 干潮時はアウトが有利とか。

 

 


島根旅行(95) 道の駅かわもと

2015-04-06 | 国内・島根

 

 

先の江の川沿い走り 途中 川本町の「道の駅 かわもと」を見る。

ここ川本町の特産品は「えごま」だそうだ。

えごまの油は “α-リノレン酸”という良質な脂肪酸を多く含んでいて

これは食品から摂取しなければならない必須脂肪酸のひとつで

体内に吸収されると良質な脂肪酸に変わることから注目されているそうだ。

また この道の駅は ”世界遺産石見銀山に一番近い道の駅” を

キャッチフレーズにしている。


島根旅行(94) 川本町

2015-04-05 | 国内・島根

 

 

 

川本町とは 埼玉県にも存在するが

ここの川本町は 県内で唯一「まち」と読む。


県中部の山間部に位置し 町域を流れる江の川の水運により


古くから栄えた町でもある。


江戸時代は 石見銀山の影響により 天領となっていた。


明治時代になると 邑智郡役所が設置され 

この地域一帯の中心地となった。


1934年に 三江線(さんこうせん)が 町内まで伸びてくる。


三江線は 島根県の江津駅から 広島県の三次駅間 108kmを繋ぐ。


現在の人口は 4000人を割っている。


町内の県立川本高校 (現在の県立島根中央高校)が

全日本吹奏楽コンクールで 優勝金賞を飾ったことから

「音楽の町」を宣言している。


その象徴 橋の欄干にも 楽器と五線のオブジェが飾られていた。

 


島根旅行(93) 江の川

2015-04-04 | 国内・島根

 

  

バスは 石見銀山から 一路 国道261号線 を行くが

途中 「江の川」沿いのところがある。

この川名 “ごのかわ” と呼び 

広島県から島根県を流れ日本海に注ぐ一級河川で 


 中国地方最大の川である。


また 広島県では「可愛川」(えのかわ)とも呼ばれ「中国太郎」の異名を持つ。

 流域の地形的状況により 河口に大規模な平野部を利用した

農地などを作らなかった事から「無能な川」と呼ばれた。


一方 中国山地を越えて日本海に注ぎ 水量も豊富なため

三江線などの 中国地方を 縦断する交通機関が発達する昭和期まで

「川の道」として 河川交通の要となっていた。

 


島根旅行(92) 羅漢寺

2015-04-03 | 国内・島根

 

 世界遺産・石見銀山の 見学がを一通り終わるが

かなり急ぎ歩き回ったので 汗をかき のども渇き かなり疲れた。

バスのに戻って 配られた昼食の弁当で 空腹と疲れを癒す。

バスは これから次の見学地 広島に向かう。

この大森の街を抜ける間際 「羅漢寺」を見る。

小さな大森の街だが 寺が多くみられる。

前にもふれたが 鉱夫の寿命が短かったこと

また 宗派の界を設けなかったことにようるようだ。

 この羅漢寺は堂や階段 橋 羅漢像を含め みな石で造られ

 石見銀山の石工技術が活かされて


石造物文化を代表する貴重な信仰遺跡となっている。


1766(明和3)年創立の真言宗の寺で 

銀山で亡くなった人々の霊と先祖の霊を供養するために

25年かかって 代官や代官所役人 領内の人々の援助協力により

石橋などを築き 石窟内に石造の五百羅漢を納めて建立されている。


岩盤斜面に3つの石窟があり 中央窟に石造釈迦三尊仏を

左右両窟には五百羅漢像がそれぞれ250体ずつ

計501体の坐像が 安置されているそうだ。

 

 


島根旅行(91) 石見銀山資料館

2015-04-02 | 国内・島根

 

この建物は 1889(明治22)年に 旧邇摩郡役所として建てられ

 現在は「石見銀山資料館」として公開されている。

銀山で使用された鉱山道具 生活用品や県の文化財に

推定されている銀山絵巻などが展示されている。

また この地は 江戸時代に天領となった銀山を治める

幕府の代官所があった大森代官所跡で

 1815(文化12)年に建てられた正門と長屋門が

当時の姿をとどめ 庭は枯山水で 

四季おりおりの花木の表情が見られる。