アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

ピアノと歌と絶対音感

2011年02月22日 | ピアノ
中学の音楽の授業で習った歌を歌おうという会の一回目のときも、先生は私たちの声に合わせて、歌いやすいように自在に転調して伴奏してくださっていたのですが、私にとってはほとんど違和感ありませんでした。
(会の模様については、一回目「深い記憶にある歌をみんなで歌おう」二回目「遅効性の音楽授業」をご覧ください)

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つまり、今自分が歌っている声の高さが、目の前にある楽譜と違っていても、歌い出しからの相対的な音階が合っていればノープロブレムというわけです。私はもともと、絶対音感を持っていませんのである意味当然です。

ところが。今回は、会の前座として発声練習的賛美歌の伴奏を引き受けた関係で、会の前にさんざかピアノを弾いていました。そしたら、自分が歌うほうに回って、先生がピアノを弾くようになった後もずっと、ピアノのほうがドレミで聞こえてしまい、それと楽譜とずれているのでものすごく混乱しました。

頭の中で必死に「今この一度下を歌っているよな」とか自分に言い聞かせつつ歌っていくのですが、次の段に移って、というか次のフレーズに移る瞬間に、ふとだまされて楽譜のほうの音をとってしまったりとか。たまに、先生ご自身が、「うっかり楽譜のほうの音を弾いてしまう」というミスタッチをなさったりするもんで(^^;; 混乱に拍車がかかります。

実は、前回のときも、私は会の前に遊びでソプラノ・リコーダーを吹いていたりしたため、絶対音的なドレミもいちおう頭ではわかっていました。でも歌い始めたあとはそちらに容易にスイッチして、先生が弾くピアノはずっと鳴っていても、それとは関係なく移動ドで歌うことができていたんです。

たぶん、ソプラノ・リコーダーとピアノでは、私にとっての馴染みの深さがまったく段違いなので、スタックされ方のレベルが違うんだと思います。自分でピアノを弾いて、かつそのあとピアノの音が鳴っていると、そこから離れるきっかけがつかめないようです。

本物の絶対音感を持っている人であれば、もちろんそれが前提でいつも暮らしていますから、歌うときには頭の中で移調しながら楽譜を見るなどの訓練も当然できているでしょう。私はそれもないわけで、つまり結論「にわか絶対音感は邪魔以外の何物でもない」。

それと、ピアノが私にとってものすごく強烈に、「固定ド」への楔となることもわかりました。おもしろい体験でした。

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コメント (11)
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