先日、平日休みを取って優雅にゆっくり図書館に寄ったので(^^) めずらしくDVDを借りてみた。
←DVDをゆっくり見るって時間が贅沢品
「小澤征爾 ~西洋音楽と格闘した半世紀~」
その中で、指揮者の役割って何ですか? という話があって
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楽団員が100人いたとして、それぞれの人は音楽のバックグラウンドが違って、考えも違うから、「こう弾きたい」はみんな違う。
それでは音楽にならないので、指揮者が出てきて、まぁ7割とかの人が「それでいこう」と思ってくれれば
当日の演奏は便宜上、指揮者の決めた方針で演奏する、ということ
----
とかいってた。
7割!? んで、残りの人は、「しゃあねぇなぁ、今日のところは」みたいな? それでいいんですかね。
半分以上の人が、意見違ってて、「しゃあねぇなぁ」じゃ、やっぱ困るんだって。
でも、100%の人の意見が一致するというのも、不健全で、それは音楽じゃない、と小澤さんはいいます。
それぞれの人が、人間性というか、それぞれ「個」の魅力を持っていることが音楽の要だから。
指揮者が指揮をするにも、「はーい、こうやります」といって、それにただ従わせる、ってのではあまりよくない。
カラヤン先生は「invite」と表現してたそうだけれども、
それぞれの人があらかじめ自分で勉強したり、練習したりして、「こう弾きたい」というのを持ってきていたら、
それを感じ取った上で、「この演奏はこうしようとしてる」というのを示して、inviteする。
個々の演奏者が、あぁそれいいねそうしよう、とinviteに応じてくれてね、
アンサンブルとして合ってくる。
指揮者の元で。
でも、そこでは、指揮者がひとりで考えた音楽とは、微妙に違った結果になっているんですね。
inviteした側もなんらかの影響を受けているんです。コミュニケーションというか。
inviteするっていうのは、いっしょに呼吸してもらうことだとも言ってました。
おっ、ここで「呼吸」。こないだ思ったことと同じ♪
歌は、息吸わないと歌えないし、管楽器もそうだけど、バイオリンなら呼吸と関係なく弾けちゃう。でも、そういう楽器の人も含めて、自然に一緒に呼吸してもらえるようにinviteするのがいい指揮者。言葉尽くして、やたら説明してなきゃいけないのはよくないしるし。
そうそう、そうなんですよ。
私はオケで弾いたことがないから、指揮者不在の少人数アンサンブルについての話だけど。
うまく「呼吸」を合わせて何度か弾いてみるだげでもね、どんどん演奏が変わって、「音楽」になってくることがあります。友人同士のアンサンブルであれば、言葉であれこれ音楽解釈を説明することもあんまりないわけで(っつか、できませんが)、言葉ナシ、音楽だけです。それが、ちゃんとアンサンブルになっていく過程って、ほんと楽しいですよね。
それと、小澤さんがいってたこと:
-----
西洋音楽には非常に規則がたくさんある。
ちょっとリズム、音の高さ、とか違っててもNG
きっちりそのとおりにやらないといけない楽譜のインフォメーションがたくさんあって、そのとおりやるだけでたいへん。
小さいころからずっとその訓練をしていて、
それができると「できた」気がしちゃう。
けど、お客さんにとって大事なのはそこじゃない。
音楽を解釈した「人間」が出てこないといけない。「個」がいちばん大事。
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小澤さんがいってるのは、プロの音楽家の話が前提なので、小さいころからものすごい長時間の訓練を重ねてきて、いわゆる「楽譜に忠実に」「音楽的に弾く」ということはクリアできた場合に、その先に必要なものが「個」だということですね。
一方、超レイトスターターなアマチュアの立場からいうと、「小さいころからものすごい長時間の訓練を重ねてきて」がないので、技術的な完成というのがナイわけなんだけど、それで、「個」もなければほんとに意味なし(^^;; で、もちろん何かいいたいことがあるというのは大前提…なんだろうね。ま、うまい子どもより、たいがい人生経験はてんこもりなんだからなんかしらあるよね。あるけど、それと演奏というところが結びついていないこと、演奏技術が未熟なことがあいまって、なんだかわけのわかんない演奏になるわけだけどさ…
なんかアンサンブルで、意外にうまく合った瞬間は、いつもよりちょっと、「自分と演奏表現が結びついた」感触があって、これがアンサンブルの醍醐味(のひとつ)だと思うの。ソロの演奏をするときにも、すこーしずつ、その経験が生きてくると思うんですよね。
それにしても、その演奏技術ももうちょっとだけどうにかしろよって話だけど。
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DVDを見る暇がない人のために(?)本にしたものもあった
→「小澤征爾 指揮者を語る (100年インタビュー) (単行本)」
けど、小澤さんが生で「語る」(アクション込み-笑)ところがないとわかりにくいかもしれない、という気はする。
ここのブックレビューにある「Edgeworth-Kuiper Belt」さんの感想、ほぼかぶるんだけど、
インタビュアーがさっぱりわかんない人で、なんかずれてるのがもったいないのよね。
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「小澤征爾 ~西洋音楽と格闘した半世紀~」
その中で、指揮者の役割って何ですか? という話があって
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楽団員が100人いたとして、それぞれの人は音楽のバックグラウンドが違って、考えも違うから、「こう弾きたい」はみんな違う。
それでは音楽にならないので、指揮者が出てきて、まぁ7割とかの人が「それでいこう」と思ってくれれば
当日の演奏は便宜上、指揮者の決めた方針で演奏する、ということ
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とかいってた。
7割!? んで、残りの人は、「しゃあねぇなぁ、今日のところは」みたいな? それでいいんですかね。
半分以上の人が、意見違ってて、「しゃあねぇなぁ」じゃ、やっぱ困るんだって。
でも、100%の人の意見が一致するというのも、不健全で、それは音楽じゃない、と小澤さんはいいます。
それぞれの人が、人間性というか、それぞれ「個」の魅力を持っていることが音楽の要だから。
指揮者が指揮をするにも、「はーい、こうやります」といって、それにただ従わせる、ってのではあまりよくない。
カラヤン先生は「invite」と表現してたそうだけれども、
それぞれの人があらかじめ自分で勉強したり、練習したりして、「こう弾きたい」というのを持ってきていたら、
それを感じ取った上で、「この演奏はこうしようとしてる」というのを示して、inviteする。
個々の演奏者が、あぁそれいいねそうしよう、とinviteに応じてくれてね、
アンサンブルとして合ってくる。
指揮者の元で。
でも、そこでは、指揮者がひとりで考えた音楽とは、微妙に違った結果になっているんですね。
inviteした側もなんらかの影響を受けているんです。コミュニケーションというか。
inviteするっていうのは、いっしょに呼吸してもらうことだとも言ってました。
おっ、ここで「呼吸」。こないだ思ったことと同じ♪
歌は、息吸わないと歌えないし、管楽器もそうだけど、バイオリンなら呼吸と関係なく弾けちゃう。でも、そういう楽器の人も含めて、自然に一緒に呼吸してもらえるようにinviteするのがいい指揮者。言葉尽くして、やたら説明してなきゃいけないのはよくないしるし。
そうそう、そうなんですよ。
私はオケで弾いたことがないから、指揮者不在の少人数アンサンブルについての話だけど。
うまく「呼吸」を合わせて何度か弾いてみるだげでもね、どんどん演奏が変わって、「音楽」になってくることがあります。友人同士のアンサンブルであれば、言葉であれこれ音楽解釈を説明することもあんまりないわけで(っつか、できませんが)、言葉ナシ、音楽だけです。それが、ちゃんとアンサンブルになっていく過程って、ほんと楽しいですよね。
それと、小澤さんがいってたこと:
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西洋音楽には非常に規則がたくさんある。
ちょっとリズム、音の高さ、とか違っててもNG
きっちりそのとおりにやらないといけない楽譜のインフォメーションがたくさんあって、そのとおりやるだけでたいへん。
小さいころからずっとその訓練をしていて、
それができると「できた」気がしちゃう。
けど、お客さんにとって大事なのはそこじゃない。
音楽を解釈した「人間」が出てこないといけない。「個」がいちばん大事。
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小澤さんがいってるのは、プロの音楽家の話が前提なので、小さいころからものすごい長時間の訓練を重ねてきて、いわゆる「楽譜に忠実に」「音楽的に弾く」ということはクリアできた場合に、その先に必要なものが「個」だということですね。
一方、超レイトスターターなアマチュアの立場からいうと、「小さいころからものすごい長時間の訓練を重ねてきて」がないので、技術的な完成というのがナイわけなんだけど、それで、「個」もなければほんとに意味なし(^^;; で、もちろん何かいいたいことがあるというのは大前提…なんだろうね。ま、うまい子どもより、たいがい人生経験はてんこもりなんだからなんかしらあるよね。あるけど、それと演奏というところが結びついていないこと、演奏技術が未熟なことがあいまって、なんだかわけのわかんない演奏になるわけだけどさ…
なんかアンサンブルで、意外にうまく合った瞬間は、いつもよりちょっと、「自分と演奏表現が結びついた」感触があって、これがアンサンブルの醍醐味(のひとつ)だと思うの。ソロの演奏をするときにも、すこーしずつ、その経験が生きてくると思うんですよね。
それにしても、その演奏技術ももうちょっとだけどうにかしろよって話だけど。
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DVDを見る暇がない人のために(?)本にしたものもあった
→「小澤征爾 指揮者を語る (100年インタビュー) (単行本)」
けど、小澤さんが生で「語る」(アクション込み-笑)ところがないとわかりにくいかもしれない、という気はする。
ここのブックレビューにある「Edgeworth-Kuiper Belt」さんの感想、ほぼかぶるんだけど、
インタビュアーがさっぱりわかんない人で、なんかずれてるのがもったいないのよね。
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