アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

「YesかNoか」のコンクール採点方式

2014年07月07日 | ピアノ
昨日のピアニート公爵コンサートで、にロビーへ出ると、もちろん例のCDは売られていたけれどそれは持っているのでいいとして…

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その隣に平積みにされていたのは、青柳いづみこ著「ピアニストたちの祝祭」。一瞬、なんでここにという感じだけど、目次をぱらぱら見るとアルカンについての項があったので、ここでたぶん言及がある(それも、良いほうの)ということは見当がついた。

買って帰るとやはりそうで、「アルカン生誕200年記念コンサート」の中でピアニー…あ、えーと、森下氏の演奏についてかなり詳しく書かれていて、「森下の美点は、こうした超絶技巧のさなかでも、決して音の多さにふりまわされず、曲の構造が聴き手にはっきりわかるような演奏をすることだ。」などとありました。

いやー、尊敬する青柳さんと同じ意見で、なんだかちょっとうれしいわ(*^-^*)

それにしてもねぇ。せっかく、平積みにしたんだから、その並べた趣旨がわかるような派手なポップでも立てておけば、もっと飛ぶように売れたかもしれないのに。

今日、会社に来る途中で読み始めたので、まだ一部しか読んでないんですが、巻末の対談「日本人がショパン・コンクールで優勝できない理由」を先に読みました。これは、2010年のショパン・コンクールで審査員を務めた小山さんと青柳さんの対談です。

コンクールの審査というと、審査員ごとに点数をつけてそれを合計してというイメージですが(確か、中村紘子の「チャイコフスキー・コンクール」ではそんな記述があったような)

ところが、この回のショパン・コンクールでは、点数もつけるけれど各審査員が「Yes/No」をつけて、Yesの多い人から通過という方式だったそうです。じゃ、点数はなんの役に立つかというと、Yes同点のときに使う。

このコンクールで、日本人はすべて第二次予選で姿を消すことになってしまって衝撃が走ったのですが、小山さん曰く、点数合計方式だったらもっといいところまで行ったのではないかと。つまり、減点の少ない演奏という意味では悪くなかったんだけれど、「Yes」(次のステージへ進んでほしい」という積極的な「推し」が得られにくかったというのです。

一方、本戦出場10人のうち5人を占めるという大戦果を挙げたのがロシア。

その差について小山さんはタッチ、選曲、日本の教育などいくつかの思い当たる要因について述べていますが、その中で「流れが止まりがち」というのがありました。

「非常に丁寧なのだけれども音が次に進まない、フレーズの最後が収まりすぎている」
「第一次予選のように短いステージはよいのですが、二次、三次のように一時間の演奏を聞かせるには、ある種の推進力が欠かせません。もちろん丁寧である必要はあって、荒っぽい演奏だったら耳障りなんですが、ショパンの曲は構成自体がドラマティックというわけではありませんから、余計に停滞してしまうのですね。」

レベルがえらくかけ離れた話で恐縮だけれど、私も最近「停滞からの脱出」がマイテーマなので、こんな「てっぺん」の話でもそういうことが問題になるのかとちょっとびっくり。それにしても、「日本人コンテスタント」というくくりで一定の傾向があるのって、なんで??

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コメント (6)
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