話がえらく前後しますが、先日のレッスンにはプーランクのノクターンを持って行きました。
←いつかショパンのエチュードを!?
この曲、最初の音こそ平明に「ドミソド」で清らかに始まるので油断していると、
臨時記号がごっちゃーーーとついてきてわけわからんくなるというものです。
音が取りにくい(頭に入りにくい)、という意味でも面倒な曲ですが、
指を広げる幅が微妙にいつもと違う感じで、弾きにくい、指が思ったところに当たらない…
というやっかいさもあります。
レッスン中も「ややこしい」「難しい」を連発しながらえっちらおっちら。
しかしですね、この曲、私はずいぶん前(おそらく8年くらい前?)に弾いたことがあるんです。
そのころというと、まぁピアノ再開してちょっと経って、あれこれ挑戦してみたいという頃ではありますが、
「今(といってもたいしたものではない)」から見てもすんごい下手だったんで、
この無謀選曲っぷり、半端ないです(^^;;
今でこそ、曲の響きが頭の中に描けると、その音が拾える(聴音できる)という状態なので、物理的に指が動かないとかつっかえるという問題はさておき、混乱せずに譜読みはできますけど。
当時、そうではなかった…そのうえ、ごちゃっとした音の中でこの「ミ」はこの「ファ」につながるんだなーとかそういう発想すらなかったので、
…それって、機械的に音を拾っていくしかない状態!?
「さすがにそれでは楽しくなかったのでは」とおゆき先生。
んーーそうですね、確かにこの曲はわけわかんない感が強くてそんなにピンと来なかった曲ではあります。
ヤマハの先生は、私が次々勝手な曲を持ってくるもんでもうすっきり腹くくってて、
どんな曲が来ても拒まず、できることをやる
というつもりでいたらしいんですが、そしてそれはある程度うまくいってて(当たり前ですがうまく演奏できるという意味ではなくて本人的に楽しめるという意味)それはそれでアリかなとは思うんですが、
さすがにこの曲は、とめてもよかったんじゃ
と思うものはいくつかあって、その中のひとつですねこれは。今から考えると。
しかしそうやって当時無謀な挑戦をしたからこその、
今もっとずっとなんとかなる、楽しめる
という状況にたどり着いたわけですから、いちがいに悪いともいえませんが。
ところで、なんでこんな曲に手をつけたのかというと、当時、発表会に出るときは「基本、年齢順」という鉄のオキテ(笑)があって、いつも「バラ1」「バラ4」「スケ2」「革命」なんつー曲の次に弾かなくてはいけなかったオバサンの悲しいポジション、という事情があります。
(「私は永遠の17歳なのでプログラムのここいらへんに入れてください!!」と年齢詐称してみたのに聞き入れられなかった)
指の動くコドモが弾かなそうな曲を引っ張り出してこよう
ということで無謀曲に突進していったわけです。
だから、無謀といってもスケルツォとかエチュードとかそういう、指が動かないと弾けない系じゃなくて、わけわかんない系ね。
ショパンでもエチュードとか、リストとか、そういうのは縁のない曲。弾けもしなければ弾きたいとも思わない曲、という位置づけでした。
ところが、今回、四月は君の嘘のCDをずっとリピしていたらば、ショパンのエチュードのいくつか、これまで何度となく聞いているのに私の心をほんの表面しか捉えなかった曲にものすごくやられてしまって、もぉこれいいすごくいい、こんないい曲だったの?? なんで??
上手なコドモがパラパラ弾くエチュードとか、力自慢が強引にねじ伏せるエチュードとか、そんなのほんとどうでもよくって、真似したいとも思わなかったけれど、阪田くんの弾く「木枯らし」とか、25-5もすごく表情豊かで変化に富んでいて、魅力的だった。
今まで持ってたイメージ「エチュードってこんなもん」でいうと、「弾けないし弾きたいとも思わない」だったのが、「弾けないけど弾きたい」と変わってしまって(現金なやつ…)、さぁーそれじゃ、90歳になったとき(←まだ40年以上ある)弾けるようにするには、音数多い系の無謀曲にもそろそろ手をつけていったほうが!? と思ったり(そういう問題なのか?)
ここ数日、「木枯らし」が脳内リピートして悶々としてるの。
責任取れよなぁ~「四月は君の嘘」!!
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「発達障害グレーゾーン まったり息子の成長日記」ダイヤモンド社
(今回もイラストはまたろう)
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この曲、最初の音こそ平明に「ドミソド」で清らかに始まるので油断していると、
臨時記号がごっちゃーーーとついてきてわけわからんくなるというものです。
音が取りにくい(頭に入りにくい)、という意味でも面倒な曲ですが、
指を広げる幅が微妙にいつもと違う感じで、弾きにくい、指が思ったところに当たらない…
というやっかいさもあります。
レッスン中も「ややこしい」「難しい」を連発しながらえっちらおっちら。
しかしですね、この曲、私はずいぶん前(おそらく8年くらい前?)に弾いたことがあるんです。
そのころというと、まぁピアノ再開してちょっと経って、あれこれ挑戦してみたいという頃ではありますが、
「今(といってもたいしたものではない)」から見てもすんごい下手だったんで、
この無謀選曲っぷり、半端ないです(^^;;
今でこそ、曲の響きが頭の中に描けると、その音が拾える(聴音できる)という状態なので、物理的に指が動かないとかつっかえるという問題はさておき、混乱せずに譜読みはできますけど。
当時、そうではなかった…そのうえ、ごちゃっとした音の中でこの「ミ」はこの「ファ」につながるんだなーとかそういう発想すらなかったので、
…それって、機械的に音を拾っていくしかない状態!?
「さすがにそれでは楽しくなかったのでは」とおゆき先生。
んーーそうですね、確かにこの曲はわけわかんない感が強くてそんなにピンと来なかった曲ではあります。
ヤマハの先生は、私が次々勝手な曲を持ってくるもんでもうすっきり腹くくってて、
どんな曲が来ても拒まず、できることをやる
というつもりでいたらしいんですが、そしてそれはある程度うまくいってて(当たり前ですがうまく演奏できるという意味ではなくて本人的に楽しめるという意味)それはそれでアリかなとは思うんですが、
さすがにこの曲は、とめてもよかったんじゃ
と思うものはいくつかあって、その中のひとつですねこれは。今から考えると。
しかしそうやって当時無謀な挑戦をしたからこその、
今もっとずっとなんとかなる、楽しめる
という状況にたどり着いたわけですから、いちがいに悪いともいえませんが。
ところで、なんでこんな曲に手をつけたのかというと、当時、発表会に出るときは「基本、年齢順」という鉄のオキテ(笑)があって、いつも「バラ1」「バラ4」「スケ2」「革命」なんつー曲の次に弾かなくてはいけなかったオバサンの悲しいポジション、という事情があります。
(「私は永遠の17歳なのでプログラムのここいらへんに入れてください!!」と年齢詐称してみたのに聞き入れられなかった)
指の動くコドモが弾かなそうな曲を引っ張り出してこよう
ということで無謀曲に突進していったわけです。
だから、無謀といってもスケルツォとかエチュードとかそういう、指が動かないと弾けない系じゃなくて、わけわかんない系ね。
ショパンでもエチュードとか、リストとか、そういうのは縁のない曲。弾けもしなければ弾きたいとも思わない曲、という位置づけでした。
ところが、今回、四月は君の嘘のCDをずっとリピしていたらば、ショパンのエチュードのいくつか、これまで何度となく聞いているのに私の心をほんの表面しか捉えなかった曲にものすごくやられてしまって、もぉこれいいすごくいい、こんないい曲だったの?? なんで??
上手なコドモがパラパラ弾くエチュードとか、力自慢が強引にねじ伏せるエチュードとか、そんなのほんとどうでもよくって、真似したいとも思わなかったけれど、阪田くんの弾く「木枯らし」とか、25-5もすごく表情豊かで変化に富んでいて、魅力的だった。
今まで持ってたイメージ「エチュードってこんなもん」でいうと、「弾けないし弾きたいとも思わない」だったのが、「弾けないけど弾きたい」と変わってしまって(現金なやつ…)、さぁーそれじゃ、90歳になったとき(←まだ40年以上ある)弾けるようにするには、音数多い系の無謀曲にもそろそろ手をつけていったほうが!? と思ったり(そういう問題なのか?)
ここ数日、「木枯らし」が脳内リピートして悶々としてるの。
責任取れよなぁ~「四月は君の嘘」!!
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(今回もイラストはまたろう)