子育てがノーリスクってことはありえないけど、中でも、またろうを育てるのはかなりのハイリスクだったと思う。
←ふつうにしつけりゃ子どもがふつうに育つとは限らない
またろうが小学五年生のとき、学校の社会科見学で自動車工場に行ったのだが、そこで「あっ(^^) このボタンなんだろう」みたいに押しそうになり、すんでのところで止められたということがあった。「ラインを止めるところだった!!」というヒヤリハットで、T先生は生きた心地がしなかったことと思う。
もし止めちゃってたらずいぶんな損害賠償請求が来ただろうか?
私やよしぞうが「他人の所有物である大事なもの」に触っちゃいけないというしつけを怠ってきたからというわけではないけど、というよりむしろそれではずっと苦労していて何度も何度も言って聞かせたり工夫したりしていたんだけれど、それでもとにかくまたろうは「触っちゃう子」だったのだ。
小学校一年生くらいのときの耳鼻科通いはほんとうに大変で、あのぴかぴかの消毒済み器具というのはものすごくまたろう的に「そそる」ので、頭ではダメとわかっていても、衝動的に手が伸びるのを本人もなかなか止められない。
結局、本人が編み出した「手のひらをお尻の下にしまってしっかり押さえつけておく」という方法でその衝動性に打ち勝って、二年生くらいからは無事に耳鼻科で診察が受けられるようになったんだけど。
まぁなんだかんだと成長で、五年生くらいだとずいぶんそういった行動は抑えられていた。だから油断したというか…T先生も当然傾向は知っていたけど、そのころ日常で特別気になるほどじゃなかったのでそこまで注意を払ってなかったと思う。
仮に、私とよしぞうがそのことについて「しっかりしつけようとはしていた」と認定はされたとしても、それでもまたろうが触っちゃう性質の子であったという事情があって、現実にふつうの子なら押さないボタンを押しちゃって、損害を与えたとしたら。
「親の監督責任」は免れないだろう。
そういう子なのは生まれつきだからしょうがないけど、そういう子であることは知ってるんだから、「見学に親がつきそうことを認めてもらって見張る」とか「見学は休ませる」とかの手段があったでしょうって言われるよね??
ま、そんなこんなあれこれの(ひやひやする)思い出があるので…
サッカーボール裁判の判決はただならぬ関心を持って見守ってたんです。
「親は、子供が人身に危険が及ばないよう注意して行動するよう、日頃から指導監督する義務がある」
そうなんです、それはいちおう日々心がけてたつもりではあるんですけど、
今回の「通常は危険が及ばない行為で、たまたま損害を生じさせた場合は、具体的に予見可能だったなどの特別な事情が認められない限り、監督義務を尽くさなかったとすべきではない」に照らせば、またろうなら社会科見学を休ませるなどの「監督」をすべきだったってことになるんじゃないかと。
またろうを、ふつうの小学校生活させるうえで、ふつうより大きいリスクを負っていたというのは、そうだと思うんです。なので、せめて賠償保険に入るなどの金銭的備えをしつつ、事故が起こらないように言い聞かせつつ祈りつつ、何か起こってしまったら賠償する。というのはするしかない。
それは納得できるんだけど、その責任の大きさ(あるいは賠償額)というのがね。
またろうのやらかしたことが、仮に「ボールが道路に転がり出た」ということであれば、その程度の「責任」にとどまってほしいと思うんです。
「ボールが道路に転がり出た」というのは、常識的に考えると殺傷力の感じられない、比較的小さな危険です。それが、たまたま「お年寄りがバイク乗ってて避けようとして転倒・骨折し、寝付いて認知症進んで1年4か月後に誤嚥性肺炎で亡くなる」というなりゆきで巨大な責任に膨れ上がってしまうのでは悲しすぎる。
たとえばこんな事件がありました:
「11歳が児童公園で蹴っていたサッカーボールが道路へ飛び出し、バイクに乗った男性が乗り上げて転倒、骨折」(大阪地裁87年6月)
これは男性側にも、運転上払うべき注意が欠けていたということで過失の割合を勘案して、子供の親が払う賠償額は55万円になった。
…これならまだしも、非常に運が悪かったけれど実際に怪我させてしまったのでしかたない、と納得もいきます。今回の件も、ボール事件は骨折のところまでだよねということでこの程度の賠償額になっていれば、そんなこともあるかなと思ったかもしれない。
けど、今回の裁判だと、やったことは一千万円超のインパクトのある過失だが(二審)、「通常は危険が及ばない行為で、たまたま損害を生じさせた場合は、具体的に予見可能だったなどの特別な事情が認められない限り、監督義務を尽くさなかったとすべきではない」ので親は免責とします(最高裁)。となるので、実際には賠償金を払わなくて済むけれど、ずっと「人を死に至らしめた」という重荷はなくならない。
それが、もやもやの中身です。ボールに殺傷能力まではなかったでしょう、という。
でも、shigさん曰く「法律は人を幸せにしない」ですし(^^;; 最高裁としては
「通常は危険が及ばない行為で、たまたま損害を生じさせた場合は、具体的に予見可能だったなどの特別な事情が認められない限り、監督義務を尽くさなかったとすべきではない」であればもう、
そもそも死をもたらした過失配分がどうだったか
なんてことは判断の必要ないことになるんですよね(?) だから今回はつっこまれていない。
ということで、偶然の成り行きによっては、細い因果関係の先のどこまでもどこまでも責任とらされるのか? という恐怖は消えないままです。あ、またろうはもう成人なのでそういう意味では消えましたが。
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「はじめての中学受験 第一志望合格のためにやってよかった5つのこと~アンダンテのだんだんと中受日記完結編」ダイヤモンド社 ←またろうがイラストを描いた本(^^)
「発達障害グレーゾーン まったり息子の成長日記」ダイヤモンド社
(今回もイラストはまたろう)
←ふつうにしつけりゃ子どもがふつうに育つとは限らない
またろうが小学五年生のとき、学校の社会科見学で自動車工場に行ったのだが、そこで「あっ(^^) このボタンなんだろう」みたいに押しそうになり、すんでのところで止められたということがあった。「ラインを止めるところだった!!」というヒヤリハットで、T先生は生きた心地がしなかったことと思う。
もし止めちゃってたらずいぶんな損害賠償請求が来ただろうか?
私やよしぞうが「他人の所有物である大事なもの」に触っちゃいけないというしつけを怠ってきたからというわけではないけど、というよりむしろそれではずっと苦労していて何度も何度も言って聞かせたり工夫したりしていたんだけれど、それでもとにかくまたろうは「触っちゃう子」だったのだ。
小学校一年生くらいのときの耳鼻科通いはほんとうに大変で、あのぴかぴかの消毒済み器具というのはものすごくまたろう的に「そそる」ので、頭ではダメとわかっていても、衝動的に手が伸びるのを本人もなかなか止められない。
結局、本人が編み出した「手のひらをお尻の下にしまってしっかり押さえつけておく」という方法でその衝動性に打ち勝って、二年生くらいからは無事に耳鼻科で診察が受けられるようになったんだけど。
まぁなんだかんだと成長で、五年生くらいだとずいぶんそういった行動は抑えられていた。だから油断したというか…T先生も当然傾向は知っていたけど、そのころ日常で特別気になるほどじゃなかったのでそこまで注意を払ってなかったと思う。
仮に、私とよしぞうがそのことについて「しっかりしつけようとはしていた」と認定はされたとしても、それでもまたろうが触っちゃう性質の子であったという事情があって、現実にふつうの子なら押さないボタンを押しちゃって、損害を与えたとしたら。
「親の監督責任」は免れないだろう。
そういう子なのは生まれつきだからしょうがないけど、そういう子であることは知ってるんだから、「見学に親がつきそうことを認めてもらって見張る」とか「見学は休ませる」とかの手段があったでしょうって言われるよね??
ま、そんなこんなあれこれの(ひやひやする)思い出があるので…
サッカーボール裁判の判決はただならぬ関心を持って見守ってたんです。
「親は、子供が人身に危険が及ばないよう注意して行動するよう、日頃から指導監督する義務がある」
そうなんです、それはいちおう日々心がけてたつもりではあるんですけど、
今回の「通常は危険が及ばない行為で、たまたま損害を生じさせた場合は、具体的に予見可能だったなどの特別な事情が認められない限り、監督義務を尽くさなかったとすべきではない」に照らせば、またろうなら社会科見学を休ませるなどの「監督」をすべきだったってことになるんじゃないかと。
またろうを、ふつうの小学校生活させるうえで、ふつうより大きいリスクを負っていたというのは、そうだと思うんです。なので、せめて賠償保険に入るなどの金銭的備えをしつつ、事故が起こらないように言い聞かせつつ祈りつつ、何か起こってしまったら賠償する。というのはするしかない。
それは納得できるんだけど、その責任の大きさ(あるいは賠償額)というのがね。
またろうのやらかしたことが、仮に「ボールが道路に転がり出た」ということであれば、その程度の「責任」にとどまってほしいと思うんです。
「ボールが道路に転がり出た」というのは、常識的に考えると殺傷力の感じられない、比較的小さな危険です。それが、たまたま「お年寄りがバイク乗ってて避けようとして転倒・骨折し、寝付いて認知症進んで1年4か月後に誤嚥性肺炎で亡くなる」というなりゆきで巨大な責任に膨れ上がってしまうのでは悲しすぎる。
たとえばこんな事件がありました:
「11歳が児童公園で蹴っていたサッカーボールが道路へ飛び出し、バイクに乗った男性が乗り上げて転倒、骨折」(大阪地裁87年6月)
これは男性側にも、運転上払うべき注意が欠けていたということで過失の割合を勘案して、子供の親が払う賠償額は55万円になった。
…これならまだしも、非常に運が悪かったけれど実際に怪我させてしまったのでしかたない、と納得もいきます。今回の件も、ボール事件は骨折のところまでだよねということでこの程度の賠償額になっていれば、そんなこともあるかなと思ったかもしれない。
けど、今回の裁判だと、やったことは一千万円超のインパクトのある過失だが(二審)、「通常は危険が及ばない行為で、たまたま損害を生じさせた場合は、具体的に予見可能だったなどの特別な事情が認められない限り、監督義務を尽くさなかったとすべきではない」ので親は免責とします(最高裁)。となるので、実際には賠償金を払わなくて済むけれど、ずっと「人を死に至らしめた」という重荷はなくならない。
それが、もやもやの中身です。ボールに殺傷能力まではなかったでしょう、という。
でも、shigさん曰く「法律は人を幸せにしない」ですし(^^;; 最高裁としては
「通常は危険が及ばない行為で、たまたま損害を生じさせた場合は、具体的に予見可能だったなどの特別な事情が認められない限り、監督義務を尽くさなかったとすべきではない」であればもう、
そもそも死をもたらした過失配分がどうだったか
なんてことは判断の必要ないことになるんですよね(?) だから今回はつっこまれていない。
ということで、偶然の成り行きによっては、細い因果関係の先のどこまでもどこまでも責任とらされるのか? という恐怖は消えないままです。あ、またろうはもう成人なのでそういう意味では消えましたが。
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(今回もイラストはまたろう)