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アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

音律と、バッハの先見性!?

2015年06月01日 | ピアノ
昨日の記事の続き。「第9回工房コンサート全4回音律シリーズvol.4 最終回 しっかり聞いてドビュッシー~スライドする美意識~」では、三台のピアノが用意されていました。

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ピアノというか、ひとつはモーツァルト時代のピアノフォルテ(のレプリカ)。これは、ミーントーンという調律がされていました。

あと二台は1920年代くらいのベヒ。ひとつは平均律、ひとつは平均律にとても近いナントカ(名前失念)で調律されていました。この二台は、調律がちょびっと違うんでしょうけど私にはわからないというか、「牧神の午後~」を二台ピアノで演奏されたときも違和感なかったです。というか、すばらしい演奏でした(*^-^*)

ミーントーンは、さすがにニブイ耳の私でも違うなって思うくらい違います。たとえば「ドミソドミソドミ~」って弾いたら天にも昇る幸せな響きですが、シャープやフラットの多い調で弾いたら「わっなにコレ」ってなります。

モーツァルトさんがこのミーントーンで調律されたピアノのために作曲していたかどうかはわかりませんが、ともかくミーントーンというのはその時代には使われていた調律であるそうです。ま、ともかく、ピアノといえば平均律で決まり、の現代とは異なる世界であったわけで…

モーツァルトが調ごとに異なる雰囲気というものをちゃんと意識して作曲していたらしいことは確かだそうです。そもそも、シャープとかフラットとかは3つまでしかついてない、ということですがなるほど…そういわれてみれば。あんまり考えたことがありませんでしたが(^^;;

私がバイオリンソナタ伴奏初挑戦した「モーツァルト バイオリンソナタKV304 二楽章」は、モツ様にしては珍しい短調の名曲で、すすり泣くようなハートわしづかみの悲しい旋律で始まりますが、途中でがらりと調子を変えて輝かしい長調(シャープ3つ)に転調するところがあります。というか、現代のピアノで弾けばそれはもう、華やかで明るくて、一点の曇りもない感じなのでそう思っていたのですが、実はモーツァルトはそういうつもりでなかったのかもしれない、という話をしていました。えー(o_o)

なにしろ、この長調パートをミーントーンのピアノで弾くと、単に明るいというよりは、何かこう不安がひっかかるというか、むしろ胸騒ぎ的な響きになってしまうんです。

モーツァルトは調性の性格もよく掴み、転調の天才でもあったので、もっときれいに響く調に持っていきたければできたはず。この歪みは意図されたものだったのではないかと。

ほかにもいろいろ例があるのでしょうけど、要するに平均律でない時代には、ちゃんと調によって違う響きというものがあって、作曲家はそれを意識して曲を書いていたのだろうという…納得の話ですね。

ところが、バッハです。彼は、モーツァルトよりさらに前の時代で、それこそ調ごとに違う響きになることが当然だったはずなのに。

そう、ご存じのとおり「平均律クラヴィーア」(もともと「平均律」は誤訳で、「いい具合に調律された」というような意味らしいが)なんて、シャープフラットこてこての調まで平等に使った曲集を出してますし、どうもわりとこだわりなく、ある曲を違う調に編曲しちゃうなんてのが平気の平左だったらしい。これはいったいどういうことなのか??

…ということでさんざん悩んだあげく、

昨日のレクチャーによれば、バッハは平均律の鍵盤楽器を持っていたのではないけれども、平均律(歪みを均等にならしてあって、どの調でも平等に弾けて聞けてしまう)の世界をいわば理想郷として予見して、そこに思いを託して「平均律クラヴィーア」を書いたのではないか、というような結論になっていました。

そうだとすると、バッハは、調による性格を否定して、どこの調でもまんべんなく使えるという便利を目指していたのかしらん。平均律のピアノが当たり前になって、純正なハモりが忘れられそうな現代を夢見て??

ウィキペだと
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しばしば議論の対象となるヨハン・ゼバスティアン・バッハ(1685年 - 1750年)の『平均律クラヴィーア曲集』(独原題 Das Wohltemperirte Clavier )については、かつてはバッハが平均律を用いれば、オクターヴの12の音を主音とする24の長短調で作曲できることを示したものとされていた。その後、20世紀後半に古楽研究が進むにつれて中全音律をはじめとする古典調律への関心が高まり、Wohltemperirteとは『よく調整された音律』という意味であり、必ずしも平均律を意味するものではなく、むしろバッハが意図したのはヴェルクマイスターの調律法のような、全ての調が演奏可能な不均等律である、という考えが一般的となった。ただしバッハが平均律を用いていた可能性も依然として否定はできない。
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と書いてあった。ますますよくわからん。

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