チェンバロもクラヴィコードも、ピアノからいえばご先祖様みたいな。
←とにかく期間中にもう一度会いに行こうと思ったの。
というか、「両方のいいとこ取りしてピアノからフォルテまで出せるようにしたよーん」みたいのが元々の「ピアノ」の名称だったと聞きましたが(クラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテ)。
「~聞きましたが」というのは、試弾室に案内してくれたお姉さんの解説でということです。今、いくつかぐぐってみますと、クラヴィチェンバロというのは単に「チェンバロ」の正式名称で「クラヴィ」の部分の意味は「鍵盤」であり、クラヴィコードを意味していないとか?? どうなんですかね、本当のところ。誰か教えて。
名称の由来はともかくとして、
・弦を叩いて音を出す、というところはクラヴィコード側に似ていますが、
・音程があらかじめ作られた弦が張ってある、ひとつの音に複数の弦、というところはチェンバロ側に似ています。
いずれにせよ、同じような形の「鍵盤」を持っていてそれで演奏するので、
この三つの楽器の「どれか」を弾ける人なら、その他二つも、いちおう音が並べられるわけですね。
いちおう弾けますけど、弾き心地はけっこう違います。
ゆかりちゃんの影響もあって、何度かの機会を見つけてチェンバロに触れてきましたが、チェンバロの響きってほんと魅力的なんですけど、その魅力をしっかり引きだすにはちゃんとチェンバロの練習をしなければいけないと感じました。
なんといっても発音のメカニズムが違うわけなので。ピアノなら、一番下まで行ったときに「打鍵」となりますが、その手前の動きの最中もある程度の抵抗を感じます。チェンバロの場合、鍵を押しても爪が弦に触れるまでは何の手ごたえもなく、触れた瞬間に突然意外な抵抗、そして弦を「はじく」ということになります。
チェンバロをしばらく習ったら、少しマシにチェンバロを鳴らせるようになるかもしれない、でもそれはなまじっか弾くスタイルが似ていてメカニズムは全然異なるピアノを弾くときに余計な混乱をもたらさないだろうか?
チェンバロを弾いてみて、こんな素敵な楽器が家にあったら素敵ね、という発作的な所有欲はないでもなかったけれど、でもそれは具体的な形をとる前に簡単にしぼみました。ひとつは置き場所、またひとつは調律の手間という現実的な問題ですが、もうひとつ本質的な問題はそれがまったくピアノの代替品にはならないこと。つまり弾く技術が異質なものだと感じたことでした。
チェンバロを練習してもピアノは上達しない、ある面では混乱をもたらすかも、と思ったことが一番のバリアだったんです。
一方、クラヴィコードの場合、弾き心地はピアノとずいぶん違いますが、クラヴィコードを弾いて「少し慣れた」一時間後にピアノに向かったとき…これはまったく混乱しない、
むしろ、クラヴィコードで弾き方を苦心・工夫したことが、ピアノを弾くときにちょっとしたヒントになっている。
と思ったのです。
「打鍵」の瞬間と、そのあとの鍵盤の保持をピアノよりダイレクトに意識できて、ちょっとした弾き方の差がストレートに音に表れるクラヴィコードはほんとうにおもしろい楽器だと思います。昔の(モーツァルトさんとか?)作曲家はクラヴィコードで音を確かめながら作曲したとか…ほんとかどうか知りませんが、寝室にも持ち込めるサイズと音量を考えるとそんなこともあったかなと想像できてしまいます。しかもクラヴィコードを触っていても、翌日ピアノフォルテを弾く邪魔にもならないと思えばそりゃ便利ですよね。
・ピアノを弾くこととの親和性が高く
・置き場所コンパクト
・小音量で夜間もOK
・グラピより安価(かな?)
・チェンバロより調弦する本数が少ない(^^;;
・バッハやモーツァルトを弾くととっても幸せ
あぁぁー自分を押しとどめるネタが思い至らない…
いやひとつはあります。
・これを買ったら一生グラピはないな
金曜日のあと、なんかクラヴィコードのことばかり考えています。
これは恋なのかしら。
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「はじめての中学受験 第一志望合格のためにやってよかった5つのこと~アンダンテのだんだんと中受日記完結編」ダイヤモンド社
←またろうがイラストを描いた本(^^)

「発達障害グレーゾーン まったり息子の成長日記」ダイヤモンド社
(今回もイラストはまたろう)

というか、「両方のいいとこ取りしてピアノからフォルテまで出せるようにしたよーん」みたいのが元々の「ピアノ」の名称だったと聞きましたが(クラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテ)。
「~聞きましたが」というのは、試弾室に案内してくれたお姉さんの解説でということです。今、いくつかぐぐってみますと、クラヴィチェンバロというのは単に「チェンバロ」の正式名称で「クラヴィ」の部分の意味は「鍵盤」であり、クラヴィコードを意味していないとか?? どうなんですかね、本当のところ。誰か教えて。
名称の由来はともかくとして、
・弦を叩いて音を出す、というところはクラヴィコード側に似ていますが、
・音程があらかじめ作られた弦が張ってある、ひとつの音に複数の弦、というところはチェンバロ側に似ています。
いずれにせよ、同じような形の「鍵盤」を持っていてそれで演奏するので、
この三つの楽器の「どれか」を弾ける人なら、その他二つも、いちおう音が並べられるわけですね。
いちおう弾けますけど、弾き心地はけっこう違います。
ゆかりちゃんの影響もあって、何度かの機会を見つけてチェンバロに触れてきましたが、チェンバロの響きってほんと魅力的なんですけど、その魅力をしっかり引きだすにはちゃんとチェンバロの練習をしなければいけないと感じました。
なんといっても発音のメカニズムが違うわけなので。ピアノなら、一番下まで行ったときに「打鍵」となりますが、その手前の動きの最中もある程度の抵抗を感じます。チェンバロの場合、鍵を押しても爪が弦に触れるまでは何の手ごたえもなく、触れた瞬間に突然意外な抵抗、そして弦を「はじく」ということになります。
チェンバロをしばらく習ったら、少しマシにチェンバロを鳴らせるようになるかもしれない、でもそれはなまじっか弾くスタイルが似ていてメカニズムは全然異なるピアノを弾くときに余計な混乱をもたらさないだろうか?
チェンバロを弾いてみて、こんな素敵な楽器が家にあったら素敵ね、という発作的な所有欲はないでもなかったけれど、でもそれは具体的な形をとる前に簡単にしぼみました。ひとつは置き場所、またひとつは調律の手間という現実的な問題ですが、もうひとつ本質的な問題はそれがまったくピアノの代替品にはならないこと。つまり弾く技術が異質なものだと感じたことでした。
チェンバロを練習してもピアノは上達しない、ある面では混乱をもたらすかも、と思ったことが一番のバリアだったんです。
一方、クラヴィコードの場合、弾き心地はピアノとずいぶん違いますが、クラヴィコードを弾いて「少し慣れた」一時間後にピアノに向かったとき…これはまったく混乱しない、
むしろ、クラヴィコードで弾き方を苦心・工夫したことが、ピアノを弾くときにちょっとしたヒントになっている。
と思ったのです。
「打鍵」の瞬間と、そのあとの鍵盤の保持をピアノよりダイレクトに意識できて、ちょっとした弾き方の差がストレートに音に表れるクラヴィコードはほんとうにおもしろい楽器だと思います。昔の(モーツァルトさんとか?)作曲家はクラヴィコードで音を確かめながら作曲したとか…ほんとかどうか知りませんが、寝室にも持ち込めるサイズと音量を考えるとそんなこともあったかなと想像できてしまいます。しかもクラヴィコードを触っていても、翌日ピアノフォルテを弾く邪魔にもならないと思えばそりゃ便利ですよね。
・ピアノを弾くこととの親和性が高く
・置き場所コンパクト
・小音量で夜間もOK
・グラピより安価(かな?)
・チェンバロより調弦する本数が少ない(^^;;
・バッハやモーツァルトを弾くととっても幸せ
あぁぁー自分を押しとどめるネタが思い至らない…
いやひとつはあります。
・これを買ったら一生グラピはないな
金曜日のあと、なんかクラヴィコードのことばかり考えています。
これは恋なのかしら。
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「はじめての中学受験 第一志望合格のためにやってよかった5つのこと~アンダンテのだんだんと中受日記完結編」ダイヤモンド社

「発達障害グレーゾーン まったり息子の成長日記」ダイヤモンド社
(今回もイラストはまたろう)